道場から戻ると、すでに桜と大河は家を発っていた。

「今日は、二人ともいないから、戸締りは俺がするよ」

 片づけを終えた衛宮士郎がエプロンをかけながら声をかけてきた。


 きんのゆめ、ぎんのゆめ 幕間


 遠坂凛が、衛宮士郎と登校するのは今日で二日目。
 桜がいないという点で昨日とは違うが、それでも凛に向けられる視線の数は変わっていなかった。

 昨日と同じように、訝しげな態度を僅かに見せる凛。
 他人に気取られるようなへまをするつもりはないようだが。
 どうやら、自分に向けられる視線の意味に、まだ答えをつけられないでいるようだ。

(そんなに、不思議なことか。凛)

(まあね。視線はどうでもいいんだけど、この、なんだか奥歯に何かが挟まったような、妙な気分が、ね)

 霊体化したままで、僅かに肩を竦めると、俺は自分が考えていることをそのまま述べた。

(おそらくは、君が、一人ではなく、衛宮士郎と一緒に登校していることが、今の状況を作っているのだろう。君のことだ。異性と一緒に登校するなど、昨日が初めてだったのではないかね?)

(―――なるほど。そういう考えもあるわけか。でも、たったそれだけでこんなに違いが出るなんて。学校に関しては、もう極めたつもりでいたけど、まだまだ奥が深いのね)
 もう一度、霊体化したまま肩を竦め、さらに溜め息を吐く。
 衛宮士郎もどうかと思うが、凛も歳相応に素人らしい。むしろ、平均以下といってもいいのか?

 これでは、彼女に振られたものは、たまったものではないかもしれない。
 今は思い出せぬ、だが確実に存在するであろう武勇伝に、さらに嘆息した。
 これでは、幸せが逃げていきそうだ。


 昨日と同じように、屋上へと向かう。
 同盟を組んだ以上、こうするのは自然とばかりに決まったことだ。
 凛の行動は、思わず拍手しそうなほど機敏なのだが、衛宮士郎はそこまでではない。
 それで結局、寒い空の下、客観的には一人待つはめになるのだが。

 結果、衛宮士郎が凛の機嫌を直すために持参した品を手に取ることになるから、まあ問題はない。
 まずは、腹ごしらえが肝心と、凛、衛宮士郎共に食事をするわけだが。
 霊体化している我々に、勿論食事はない。
 お人よしの気がありすぎる衛宮士郎にしても、最近のごたごたでそこまで気が回ってない部分がある。
 もちろん、俺は食事はしなくてもかまわないし、霊体化している以上、普通の人間が感じるようなそれとは無縁のはずだ。

 だが、セイバーはそれには当てはまらなかったらしい。
 衛宮士郎の背後で、二人が食べている食事を食い入るように見つめている――気がする。
 もちろん、不穏な空気、敵意といったようなものをセイバーが出しているはずもない。
 そういうわけで、二人がセイバーのそれに気がついてはいない。
 高潔たる騎士の彼女が、そこまで不躾なことをするはずもないのだが。

 確か、昨日も昼食はなかったな。
 昨日のことを思い出す。昨日は、ここまであからさまではなかったが。
 あからさまといっても、同じサーヴァントである俺くらいしか感じ取れていないほどの、微細なものだが。

 理解できる、というのは些か辛いものがある。
 それが自分ひとりだと特に。
 そして、それを打開する術を持たないことがさらに。
 生憎と、通貨は持っていないし、もちろん買うことも出来ない。
 魔術でどうにかなるわけでもないし。
 自分の魔術師としての力量を考えるとがっくりとくる。

「アーチャー、どうかした?」

 セイバーとは違い、隠そうともしなかった自分の陰気が、凛にも伝わってしまったのだろう。
 慌てて、曲がってもいない背筋を伸ばし、否定する。

(いや、何の問題もない)

「そう」

 たいして不審に思わなかったのか、凛は追求してこなかった。
 ただ、不思議そうな顔で、見当違いの方向を向いている衛宮士郎に笑いを誘われたようだが。
 セイバーの昨日から今日への変化を鑑みれば、明日の光景は少々洒落にならない。
 彼女の食事に関しての執着は、状況によっては死に繋がる。
 とにかく、明日以降のセイバーの昼食に関しては急務だろう。
 そう断じて、俺はセイバーから僅かにもれ出ている不穏な空気を黙殺した。
 胃が痛くなる自分を幻想しつつ、今度はひそかに溜め息をついた。

 食事が終われば、今日挑む柳洞寺の話となるのだろう。
 戦いに赴くにて、その準備を整えるのは当然なのだが。
 どうにも、あまり良い雰囲気で、話が出来そうにない気がする。 

 確実に、幸運は磨り減っているようだ。



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