拍手御礼SS きんぎんクロスシャナ 略してきんシャナ

 それは、決定的な違いとなる少し前。まだ彼、坂井悠二の日常が燃え落ちる。もしくは燃え上がる少し前。
 詳しい日時を知ることは無駄であり無用。
 彼が、本当に外れた世界と触れ合う前の、僅かな異物。
 ほんの、少しだけ。


 突然、光が視界を満たした。
 広いとはいえない悠二の部屋、手持ち無沙汰に何をするでもなくどうでもいい落書きを描いていた部屋、それを全てかき消すような荒々しくも激しい光が。
 その最初の瞬間、悠二は何も言うことができなかった。
 背後で立ち上り、真実荒れ狂っていた光に、悠二は体を支えるだけだった。
 部屋のものを撒き散らし、吹き荒ぶ風と光。
   呆然と、部屋の明かりを遮る、黒い光を見つめる。
「……………?」
 常人が取る当然の反応として、これを悪趣味な夢だと思い込もうとする。
 そして、目の前の夢は、願いが通じたかのように終わろうとしていた。
「ふぅ」
 視界を奪っていた光が止むと同時に、息を吐く。
 やはり夢だったと思い込もうとして、部屋の惨状に言葉を失った。
(なんなんだよ、いったい……)
 撒き散らされた数々の自分のものを見つめる視界に。

 音もなく、何かが降りてきた。
(……何……?)
 悠二は、突然視界に現れた何者かをはっきりと見た。
 まるで、時代を間違ったような黒い重厚な鎧を纏い、
 鎧よりなお黒い衣服は、ドレスだろうか。
 くすんだ金髪の下の表情は黒いヘルムに覆われて見えず、
 だが、その体躯は間違いなく、少女のそれだった。
 その姿に見入る。
 決して美しいわけでもなく、また気高いわけでもない。
 ただ、それがもつ圧倒的なまでの存在感に、悠二は魅入られていた。
「……………」
 見えない瞳と、瞳が僅かな間交差する。
 しかしそれも一瞬のこと。少女が何かに気づいたように見えない目を瞬かせた。
 その時にはもう、悠二の横を通り過ぎ、部屋にある窓から少女は飛び出していた。
「あ……」
 悠二は、その一瞬の早業に、振り返ることしか出来ず、間抜けな声を上げるだけしか出来なかった。
「悠ちゃん、今の物音はなあに?」
 部屋の外から、坂井悠二の母である、坂井千草の声がする。
 その問いに、悠二が答える間もなく、千草は部屋の中に入り、その惨状を目にした。
 机の上の雑誌類は倒れ、あるいは机から落下し、悠二の私物の比較的軽いものが部屋中に散らばっている。
 そして千草は、息子の部屋の窓が開いていることに気づいた。
「今日は、そんなに風の強い日だったかしら」
 不思議そうに呟きながら、開いている窓に近づき、ほんの少しだけ開いているに留める。
「大丈夫? 悠ちゃん。怪我はない?」
 ともすれば、小さい子供に聞くような、問いかけだったが、彼にはその中に含まれる母の心配を読み取れた。
「ああ、大丈夫だよ、母さん。ちょっとびっくりしただけだから」
「そう、じゃあ、気をつけてね」
 その言葉に嘘はないと感じた千草は、安心したように笑って部屋を出て行った。
(そうだよな、きっと窓が開いてて、風が吹いてただけなんだ)
 今一度、部屋の惨状を見回し、誰も居ないことを確認して、もう一度あれは夢だと念を押す。
 その時―――
「っつ――――!?」
 手を、正体不明の痛みが走った。
 思わず、悠二は蹲り、痛みの元、手首より下、肘と手首の間を凝視する。
(な、なんだ……?)
 そこに、覚えのない妙な形の痣が浮かび上がり、
 それと同時に、背後で何かの気配が膨れ上がる。
 それを確認しようとした悠二は、手に力が入らず、知り持ちする形でそれを見上げることとなった。
「―――召喚に従い参上した。これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。ここに、契約は完了した」
「契約――?」
 まったく理解の及ばない現状に、ただただ、目の前の少女を見上げる。
 視線は自然と交錯し、少女の、その濁った金色の瞳に悠二は、剣を突きつけられたような気持ちを覚えた。
(金、色――)
 ガチャリ、と金属が鳴らす甲高くも、重たい音が鳴る。
 それは、少女が着ている甲冑の音だった。その音が、少女が自分に近づいてきたためだと気づいた瞬間、悠二は後ろに下がった。
(あ――)
 少女の眉が僅かに動く。それがどこか理由の判らぬ罪悪感となって悠二を締め付けた。
 少女の唇が弧を描く。それは、まるで安心して、とでもいうかのような柔らかい微笑で。
 悠二は一瞬、それに見惚れてしまった。
「――あれ?」
 自分がずっと少女の顔を見つめていたことに気づき、気恥ずかしさから思わず視線を下にずらした。
 それで悠二は、少女の姿から鎧が消えていることに気づく。
(え、さっきまでは確かに)
 あまりに物々しい鎧はなくなり、視界に入るのはあまりに真っ黒な所謂ドレスという代物だけ。
 見慣れぬものには変わりないが、物騒さと言う点で考えればドレスと鎧では比べる必要もない。
「どうやら、イレギュラーのようだが、まずはこの部屋を片付けないか? もちろん、原因は私にあるのだから」
 少女は言葉を発しながら、その手に散らばった筆記用具やノートなどを手に取り。
「力になろう、マスター」
 そうして、微笑んだ。


   思えば、この時から、僕の世界は変わり始めていたのかもしれない。

 
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