拍手御礼SS きんぎんクロスシャナ 略してきんシャナその2

 差し出されるノートや筆記用具を、悠二はぼんやりと見つめていた。
 差し出されるものに、何か特別おかしなことがあるわけではない。
 ただ、それを掴んでいる少女の手が、あまりに現実離れしていたため、彼はある種のショックを受けていたのだ。
「マスター?」
 差し出していた手を取ろうともしないことに、なんら気を悪くするでもなく、少し心配するような声を少女が放つ。
 それで、我に返った。
「あ、ああ、ごめん。ありがとう」
 自分でも素っ頓狂な声だと思う言葉を放ち、少女から散らばっていたものを受け取る。
 受け取った後も、少女は他に散らばっているものを拾っていた。
 それを、やはりぼんやりと見ていた悠二だったが、こんどの回復は早かった。
 少女がまた手渡してくる前に、と慌てて手の中のものを片付ける。
 
 それが自分を指す言葉だと初めて理解した悠二は、その言葉のもつ意味にどこか不謹慎な考えをもってしまい、自分でもすっとんきょうだと思う声を上げてしまった。
「マ、マスターって、僕のことか?」
「ふむ、その通り。君のことを指している」
 はたして、悠二の動揺など気にも留めてないのか、突然の大声に驚く風もなく、至極真面目に少女は答える。
「ま、マスターって一体。僕はそんなものになった覚えは……」
 目の前の少女は、表情もどこか固く、とっつきにくそうな印象を受けるが、それ以上に、求めれば説明してくれる。そんな気安さを感じさせる部分があった。悠二には目の前の少女がお人よしに見えたのである。
「むう。君が私のマスターであることは、感じられるラインや令呪からも明確なのだが。むう……」
 その可憐と形容してもなんら問題ない姿ながら、男っぽいというには少し行き過ぎた話し方は悠二を益々混乱させる。目の前に考え込むような仕草をする少女を見つめながら、悠二は何とか自分を落ち着かせようと、頭を回転させた。
(突然光ったかと思ったら、鎧姿の少女がいて。心配した母さんが上がって来たときにはもういなかった。そして、母さんが部屋から出て行ったらいつの間にか、鎧姿じゃなくなってドレスになった少女がいて――)
 益々わからない。現実から乖離したかのように、わけの判らぬことだと再確認しただけだ。
(だけど、マスターってことは多分、主人、主っていうような意味だよな)
 それでも、今までの言葉から何かを得ようとする。それを助けるかのように少女が口を開いた。
「ふむ。どうやら察するに、君は魔術師とは関係ないのだな」
「魔術、師……」
 またも現実では聞きなれぬ言葉に耳を疑う。人並みにゲームを嗜む悠二にしても、面と向かって魔術師かどうかなどと訊かれるのは初めてのことである。目の前の少女は、今の言葉を失言と思ったのか、しまったという表情を顔に張り付かせている。
(変な質問をしたって、自分でも思っているのかな。でも、確かに、現実離れした話だけど、本当にゲームみたいなことだとしたら)  ドレスも鎧も、魔法の世界に当てはめるというなら、確かに合ってはいる。
 それでも、突拍子ないことに変わりはなく、悠二は僅かに表情を曇らせた。
「私の召喚はイレギュラーだったというわけか」
 その口調が、(初めて会って間がなく、交わした言葉も僅かではあったが)あまりにも普通だったため(そして、つい顔を曇らせてしまった罪悪感もあり)
「ご、ごめん」
「む、何を謝る必要がある」
「だって、僕はたぶん、君が言うような魔術師じゃないから」
 そう。それが間違いようのない事実である。
(僕は、何もわかっていない。何故、こんなことが起こったのかも)
「僕にはわからないことばかりだ。できれば、その、いろいろと教えてくれると助かる」
「そうだな。君にはまだ、踏み入れるか踏みとどまるか、自分で決める権利がある」
 少女の双眸は僅かに細くなり、悠二の答えを待つ。
「僕に、教えてくれるのか?」
「君に覚悟があるのなら」
 それで、気持ちは決まった。
「君は自分の意思でここに来たわけじゃない?」
「その通り。ここは、聖杯とはまったく関係ないところのようだからな。私との接点がまるでない」
(やっぱり、彼女にも予想外のことだった、ということか)
 訊きたいことは、まだたくさんある。
「この痣は一体」
 手に焼きついたように出来た、妙な痣を見せる。
「それこそが、我らサーヴァントを律する三つの命令権。令呪と言うものだ」
(サーヴァント……奴隷、か? 命令できる。だから、マスター、なのか?)
「僕は、その、マスターってのをやめることは出来るのか?」
「――可能だ」
「どう、やって?」
「君のもつ令呪で命じればよい。自害せよ、と。そうすれば、私は消える」
「待って、何で僕がそんな命令を!」
「令呪と言うのは、そのような命令でも強制力を生む、というだけだ」
 少女の口調は軽かったが、目は少しも笑っていなかった。
 迂闊なことを訊いてしまったことに、鼓動が早くなる。
(だけど、僕のことを魔術師かどうか、それを気にしているようだった。もし、マスターとやらになるのに、魔術師ということが絶対の条件だとしたら……彼女は、消える?)
「僕が、魔術師になれば、君を殺さなくてもすむのか?」
「っ――魔術師などにならぬほうが良い。あれは常に血を纏う者だ」
「だったら!」
「案ずるな。戦闘ともなれば消耗も激しく、末に消滅も考えうるだろう。だが」
 戦闘という言葉が持つ物騒な意味を考えないで答えを待つ。
「だが?」
「戦う理由がないのなら、まったく問題ない。それに私のような事例がなかったわけではない。すでに確固としてここに存在している以上、戦闘さえしなければ維持することは難しくないだろう」
「君は、消えたいのか?」
 恐る恐る訊ねる。だけど、少女はそんな考え馬鹿げていると、口の端をゆがめた。
「ふむ。さすがに自分から死にたいと思ったことはないような気がするな。出来れば遠慮したい」
 その言葉に安堵する。殺せ、なんて命令はまっぴらだったし、ただ、少女が消えてしまうのを黙って見てる必要もないらしい。
「そう、か」
 覚悟があるのかと訊かれれば、やはり否だと言ってしまうだろう。
 少女もそれは理解しているのか、本当に足を踏み入れさせるつもりはないのか、いろいろとはぐらかされたような気も悠二はしていた。
(そりゃあ、おかしなことだらけだよ。だけど、僕は)
「確かに、僕は魔術師なんかじゃないけど。君を殺せなんて命令は出来ない」
 大きく息を吸い込む。すでに、気持ちは決まっていた。
 そう、今分かっていることは、目の前の少女に消えてほしくないということだけ。
「僕は坂井悠二。僕は君のマスターになろう」
 その言葉に、少女は一瞬瞳を丸くすると、肩を竦めた。まるで、やれやれとでも言うように。
 だけど、その唇はどこか嬉しそうに笑っている気がして。
「ならば、坂井悠二よ。君を我が主と認めよう。私はサーヴァントアーチャー。ちと、見えんかもしれないが、れっきとした弓兵だ」

 その時初めて、少女は自身の名を告げたのだった。それが、本当の名なのかは知らない。
 それでも、それがはじまりだったことは間違いない。
 だけどそれは、まだ外れてはいない……。

 
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