亡霊は亡霊らしく姿を霞として、たたずんでいた時のことだ。
この寺に客分として世話になっているマスターが、この時代の……着物姿で現れた。
爛々と不吉に輝く目と、下弦の月のように弧を描く唇が、否応なしにアサシンの精神を圧迫する。
「小次郎、命令です」
「さて、どのような無理難題を押し付ける気かな。キャスター」
アサシンは溜め息を吐きそうになるのをすんででこらえ、言葉に変えた。
放つ言葉の内容は威勢が良いとも取れるかもしれないが、その声の響きにキャスターに返した言葉ほどの覇気はない。力はない。
「もちろん。その野暮な服を脱いで、私が用意した服を着てもらうわ。何か言いたい事はありますか?」
「言ってもどうしようもないのだから、言わぬ方がマシということもある。つまり、黙って従うということだが――それでよかろう。キャスター」
げんなりとアサシンは言い放つ。不満は見ての通りだが、反抗する精も根も尽き果てていた。
「ええ、かまいませんとも。でも、不服と思っていることに間違いはないようね。つまり、私に敵愾心があるということ。覚悟しておきなさいな」
物騒なことを言い放つキャスターは、心底嬉しそうだ。
きっと、アサシンが何も言わなくても難癖をつけて体を玩ぶつもりなのだろう。
昨夜のことを思い出してアサシンは、いっそう力をなくした。
運が良いのか悪いのか。昨夜キャスターに体を弄られている間に、他のサーヴァントの襲撃はなかった。
いくら戦が本格的にはじまっていないとはいえ、戦いそのものがないわけではないだろう。
アサシンたる身には、他のサーヴァントを知覚する能力などあってないようなものではあるが、多分覗き見もされてはなかったはずだ。襲撃があれば、キャスターの行為も終わっただろうが、かといって自分の醜態を他の英雄とやらに見られるのはあまりに情けない。
「――そのような享楽に浸っている暇はあるのか?」
「もちろん。未だに駒は出揃っていないわ。もちろん本格的に始まる前の準備にも余念はない。それに、これは私の士気を上げることになるのですもの」
それは自分だけだろうとも思ったがアサシンは言葉にはしなかった。
ただ、僅かに口元を緩める。
「ふふ。貴女が男だったらその格好も様になったでしょうに」
魔女という言葉がこれほど相応しい顔もあるまい。弧を描いていた唇はいっそうつりあがり、耳がせわしなく動いている。
アサシンには、溜め息を吐くほかに、今の自分が出来ることはないように思えた。
拍手御礼SS 佐々木娘次郎がなんたら
円蔵山の中腹。長い階段により下界と繋がる柳洞寺。その境目とも言える山門に、常人には見えぬ、人ならざる者が立っていた。
長く黒い髪も艶やかな、美しいと形容してもなんのおかしくもない女性である。一見しただけでは、少女にも見えるが、若く見えるものの実際はもっと上である。
その細くしなやかな眉に力はなく、常ならば鋭き眼であろうそれも、今は力なく伏せられている。
つまり彼女、アサシンは憔悴していたのである。
それは、彼女の服装、今着ているそれと関係が深かった。
彼女が生きていた頃には、この地には存在していなかったような代物。
聖杯とやらから送られてくる知識のおかげで、まったく知らぬと言うことにならなかったのが、逆に衝撃を大きくした。
時には無知と言うものも必要と。
知らなければ、この格好に対して、今ほどの打撃を喰らっていたわけではない。
自身を飾り立てる、やけにひらひらとする着物を眺める。
だが、少なくとも召喚された当初にアサシンの着ていた服は、少々派手な感もあるとはいえおかしなものではなかった。
それを、何を間違ったか、自身のマスターとなった魔女はこのような服と取り替えてしまったのだ。
そして、おかしいと感じているのは、結局の所アサシン当人だけであって、傍目から格好だけを見ればおかしいというわけではなく、むしろ似合っているとさえ言えた。過激ではあったが。
もともと、男性でありながら長髪であったのも理由に数えられるだろう。
キャスターの選択は決して間違ってはおらず、誰もが賛辞を惜しまぬ姿であることも間違いなかったのである。
美しい女性を蝶よ花よと愛でることに関して、アサシンはなんの躊躇もない。
むしろ、好むところであり、得意かと訊かれれば肯定の意を示したろう。
たが、逆にその対象となってしまったことに、自身が持っていたであろう余裕も、どこかへと崩れてしまったのである。
「どうも、いかんな」
アサシンは座ろうとして、自身の背負っている刀が邪魔なことに気がついた。
僅かに顔を顰めつつも、背負っている刀を鞘ごと下ろそうとして、夜の風を、キャスター以外の人外が、近づいてきているのに気がついた。
それは、獣の如き目をした、背の高い男だった。
「あ〜、その格好には突っ込んだ方が良いのか? え〜と……」
「アサシンのサーヴァント。佐々木小次郎と申す」
「へぇ、アサシンね。しかし、小次郎ってのは男の名前じゃなかったか?」
「……………」
「第一アサシンでその格好はありなのかよ。なあ、聞いてるか?」
「もちろん、聞いてはおらぬよ。ランサーのサーヴァントよ。我々の間に言葉など必要か?」
「まぁ、普通ならそうなんだけどよ。なんっつうか、やりづれえわ。それ」
赤い魔槍を肩に担いだランサーが気まずそうにアサシンの服を指差す。
「頼むから、これには――触れるな」
長い沈黙が両者に流れる。ランサーは、アサシンが言葉少ない理由を悟り、視線を益々宙へと漂わせ、一言。
「お前も、苦労してんだなぁ」
柳洞寺の門を前にして、なんとも場違いな……全身タイツと豪華絢爛なドレスはどちらともなく溜め息を吐いた。
もっとも、アサシンにしてみればランサーの苦悩などわかるはずもないし、ランサーの言葉も所詮は他人事である。
ランサーにしてみれば、アサシンの見た目それだけであれば、先のような言葉はなかっただろう。
ただ、なんとなしにアサシンの、その苦労を察したのである。
言うなれば、あの衣装は、自分が忌々しい男に強いられている状況と、変わらぬものであると。
ともあれ、ともあれ、今は戦いの場だ。
お互い不本意な状況を強いられているとはいえ、獲物を持ったからには、やることは変わらない。
ランサーの口は獰猛な笑みを、アサシンは凄絶な笑みを浮かべる。
ランサーは中空から自慢の槍を手に携え、アサシンは背を折ってなんとも起用に長刀を鞘から抜いた。
間合いが遠い。
階段と言う地形で、アサシンの刀よりさらに長大な身を持つ槍は、些か勝手が違うだろうか。
そんなことを一瞬考えて、すぐさまアサシンはその考えを捨てた。
相手はランサーのサーヴァント。自身亡霊でしかないしがない剣士に対し、相手はれっきとした英霊である。
無駄な、心配は無用と言うもの。
音を置き去りにして突き出された槍に、アサシンは無言で目を細めた。
真紅の槍が、その数を増やしたように間断なくアサシンを穿たんと突き出される。
段差など関係ないと、槍を繰り出す足運びに、突き出す腕に躊躇はない。
音の震えを置き去りにする槍は、その刃を躱しても、それを巻き込む空気を容赦なくアサシンに叩きつけた。
故に、アサシンの姿は、剣と槍とを交差する前とは、ずいぶんと違う。
現界時に着ていた羽織ならいざ知らず、キャスターの手によるものとて、現代の物に過ぎないただの服では、風が織り成す刃には耐えられなかった。
幾重と階段を穿ったそれと同じように、アサシンの服はところどころが破れ、また、失われている。
そのくせ、その下の白い肌にはまったく傷一つないのだから。
ランサーとて眉のひとつも顰めようと言うもの。確かに、それ以上の剣の冴えに戦慄さえ覚えてもいたが。
奔る槍を、閃光の如く引き戻す。それを追い抜くように弧を描いた刃を逸らして、ランサーはアサシンから距離をとり。
「やりづれえ、な」
戦いを惜しむように、その槍の切っ先をアサシンから外した。
「もしや、とは思ったが、斥候の類であったか」
「ご名答。残念だが今日はここまで、というわけだ。まさかアサシンが、正面から戦うとは思ってなかったが。悪いな、今日の俺じゃ、ちと面白みがねえ。本来なら」
ランサーの言葉に一瞬悔しげなものが混じるのを、アサシンが止める。
「ふむ。それは言わぬが花だ。お主とて、本来の力量も出せぬほど今の主に縛られていると見える。私とて、今が全力というわけではない。何、夜は長い。また、機会が来ることもあるだろう。それより」
「ん? なんだ」
「はやく去ることだ。女狐の癇癪を受ける趣味があるなら別だがな」
戦闘によって、破壊された階段を見ながらアサシンが忠告する。
「ああ、それは前にも味わったよ。ここに来るのは二度目、なんでな。それよりも、お前が気をつけな」
ランサーは何の惜しげもなく背を向けると、僅かに笑いをかみ殺しながら、その身を闇に投じた。
「む、ランサーめ。何を気をつけろと」
「ア〜サ〜シ〜ン」
「む」
背後から聞こえた声に、慌てて振り向く。
魔術によるものか、気配をまったく感じられなかったことに、冷や汗が流れた。
「その格好は、どういうことかしら?」
怒っている響き、ではない。
では、何がキャスターを興奮させているのか。それが心底わからず、アサシンはただ、事実を言葉にする。
「忘れたか。これは、私のマスターが着せたものだが」
「もちろん、覚えています。私が言っているのは、今のその格好のことよ。私が、それを着せたのかしら?」
「む、何を、と」
改めて自分の格好を見て、アサシンは声を上げそうになるのをこらえた。
元々、露出が少ない服ではなかったが、少なくとも両肩は隠れていたし、まして太腿が見えていたわけではない。
だが、今のそれは左の肩を夜に晒し、右の胸元を月に照らされ、左の太腿を刃に写している。
他にもところどころ、自身の白い肌を見せてしまっているのだから。
「ま、さか」
昨夜の嫌な思い出が頭を過ぎる。
光の弱い暗がり。何かわけの判らぬ、様々なもの。
いたるところを這う魔女の指先。衣擦れの音。
「もちろん、そのまさかよ。貴女、私が選んだ服を、そんなにしてしまったのだから。それがどういうことかわかるでしょう」
知らぬ、と口を開こうとして、それが敵わないことを知った。
ただ、首を振るのみ。
「その顔、いいわね、アサシン。今日は、昨日以上に、たくさん試してあげるから、楽しみにしなさいね」
意味のわからぬ言葉で、階段を瞬時に修復するキャスターの唇を見ながら、やはりアサシンは首を振るしか出来なかった。
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