「さて、運よくこのような土地に陣地を築けたけれど、肝心の入口は無用心なまま」
闇の中。深い夜に包まれ、月の光も星の光も届かぬ世界。
その中で、ひどく艶めいた言葉が流れる。
「それこそ、門番。それも従順かつ、有能なものが必要よね」
誰にともなく呟くそれは、常人であればその魂まで鷲づかみされるような、貪欲さを持っていた。
そのことに気がついているのか、普段はこのあたりを住処とする動物達は息を潜め離れている。
「ふふ。私はキャスターのサーヴァント。つまり魔術師。何の問題もないわ」
笑いを含ませた言葉は、際限なく膨らみ、それに呼応するように大気が震え始める。
そして―――
「―――――」
現代の人間では理解することも敵わぬ、神代の言葉が紡がれた。
拍手御礼SS 佐々木娘次郎の召喚もとい受難。
円蔵時の中腹にある柳洞寺。その寺と下界を繋ぐ長い階段の境界線。山門の前で紫の装束をまとう女、人ならざるキャスターのサーヴァントは、いっそうその唇を弧に歪める。
目の前を激しく舞うエーテル。それがサーヴァントの召喚に成功したことを意味していたからだ。
自分自身の魔術に絶対的な自信があるとはいえ、サーヴァントの身でのサーヴァントの召喚。
心の隅に、懸念がなかったと言えば嘘になる。
だが、逸れも杞憂に終わった。目の前の現象は自分の試みが成功したことを意味している。
この激しくも音のない乱舞が終われば、目の前には自分が望む従者があるはずである。
聖杯戦争と言うルールの中では絶対的な弱者たる自分。だが、そのハンデを覆す一つの布石である。
横目でちらりと、寝静まった柳洞寺を見つめる。
魔術により隔離しているとはいえ、マスターはどこか得体の知れない部分がある。今、自分がしていることにも気がついているかもしれない。彼は魔術師ではないから、自分の不在には気がついても、その行為までは見抜けるとは思えないが。
もちろん、それを含めても彼を信頼していることに間違いはなかったが。
魔術師でなくても、彼は真実私の望むマスターなのだから。
思わず頬を緩めかけたのを堪える。
もうじき、目の前の光の乱舞が終わりを迎えることに気がついたからだ。
表情を能面のようにし、新たなサーヴァントの発現に備える。
いくら、自分自身が召喚者とはいえ、召喚したサーヴァントが従順であるとは思えなかった。
最初の対面でどちらが優位に立っているのか示さなければならない。
そのための細工には余念はなかったが。
音を絶った世界で、光が静かに消える。
そうして、その跡に立つ者をが何かを理解した瞬間、キャスターは深い溜め息を付いた。
目の前の人物が、サーヴァントとして脆弱なものだとわかったからだ。
「サーヴァントアサシン。召喚により参上した……。んん?」
そう、目の前の者は英霊と言うにはあまりに存在が脆弱。せいぜい亡霊と言うべき存在。
亡霊でアサシンでは門番など務まるはずもない。
セイバーを引き当てるほどの運が、自分にないことくらいわかってはいる。せめてアーチャーなら申し分なかったのだが。
「あら」
今まで、その存在の強度しか見えてなかったキャスターの目は初めて、目の前のサーヴァントをはっきりと捉えた。
そう、気がついてなかったが目の前のサーヴァントは女性であった。
それも見た目は女と言うよりは女の子、と言った様相。背丈はキャスターよりわずかばかり低い、といったところだろうか。
それからすると、すでに成人しているようにも見えるが、この国の人間は侮れない。
故郷と比べて、この国の人間は若く見える。目の前の女も童顔ではあるが年齢は下手すると自分より上かもしれないのだ。
「ああ、関係なかったわね」
と、益体もないことを考えていた自分を笑うかのようにキャスターは心なしか疲れた声を出した。それと同時に女から視線を外して空を仰ぐ。
いや、真実疲れていたのだ。
この地を陣地としてまだ日は浅い。いくらこの場所が街から魔力を集めるのに適しているとはいえ、まだまだ十全とはいえなかった。それに、禁忌たるそれに触れることに躊躇していたこともあるのだろう。
まだまだ、魔力は枯渇気味だったのだ。
その上でのサーヴァントの召喚。ただの魔術師であれば昏倒してもおかしくないほどのそれを行った上で、召喚されたのがアサシンでは……
「目も当てられないわね。――ん、貴女、アサシンと言ったかしら?」
再び、女に視線を戻してから気がついた。
目の前の女は自分をアサシンだと名乗った。だが、アサシンにしては格好がおかしすぎる。
自分の召喚者は凡庸ではあったが、無能というわけでもなかった。
少なくとも、足りない知識を与える程度のものはあったのだ。
サーヴァント、アサシン。本来ならば山の翁。ハサンと呼ばれる者が呼び出されるはず。
望んでアサシンを呼び出したわけではないが、アサシンと名乗るものが本来のそれと違うのでは少し事情が違う。
目の前の女は、少なくともハサンの活動圏内。中東のそれとはあまりにかけ離れすぎている。
そう、むしろその出で立ちはこの国のものに近いのではないだろうか。
羽織はともかくとして、その下に着ている袴からそう見当づける。
たしか、宗一郎に隠れて付いていった時に、似たような服を着た子女がいたはずだ。
そこで、はっと気がつく。女が自分の言葉に応えていないことに。
「貴女、私を無視しているのかしら?」
「ああ、すまぬ。いささか、思いもよらないことに直面したのでな」
「思いもよらない?」
「いや、たいしたことではない。それより」
「それより?」
「お前の問いに応えるのが先ではないか?」
「――そうね」
「いかにも、アサシンのサーヴァントだ。名を佐々木小次郎と言う。まあ、アサシンとはいうものの、己が剣士の端くれであるとは自認しているが」
「剣士……」
少女を見る。剣士と名乗るわりには線が細すぎる。
英霊であるならば細くとも信じられぬ力を発揮してもおかしくはないが、生憎女は亡霊に過ぎない。
事実、その筋力はサーヴァントとしては平凡というほかなかった。
(それでも、亡霊にしては十分かもしれないわね)
そして、亡霊だからこそ山の翁ではないのかもしれない。
「剣士、剣士ねえ。もしかして、その貴女に不釣合いなそれがその剣なのかしら?」
アサシンはその身長には些か不釣合いなものを背負っていたのだ。
それこそ、自分の身長に匹敵するだろうか。
「その通り。まあ、剣ではなく、刀、と言うものだがな」
そう言ったアサシンは背負っていた刀とやらを抜こうとする。抜こうとして――
「む」
失敗した。
刀と言う代物が本来どのようなものか、キャスターは知らない。
だが、目の前の代物から考えると、刀を抜きながら鞘も引かねば抜くことは敵わないだろう。
しかし、それはアサシンの身長があと十数センチ高ければの話だ。
鞘は僅か引いただけで地面に付き、それゆえに抜こうとする手を精一杯伸ばしても――
「むむむ」
抜けない。
抜けないので、アサシンは階段を背にすると、その段差を利用することによってようやくその刀とやらを抜くことに成功した。
「貴女、本当にそれを使えるのかしら?」
「ふむ。私がこれを自分と得物としていたのは間違いない」
つい先程までの醜態を(醜態と呼ぶには、少し可愛かったかもしれない)感じさせぬ声で自信満々に答える。
「まあいいわ。貴女にはここの門番を務めてもらうのだから。せいぜい侵入者が来る前に、さっきと同じようにそれを抜くのね。さすがに待ってくれるようなサーヴァントはいないでしょ」
言葉にしてみるが、英霊と呼ばれるくらいだ。それくらいはしてくれるかもしれない。何しろ英霊と言うやつは――
もっとも、私のような輩も呼び出されるのであればわからないが。
「それより、アサシン。貴女は本当に剣士なのかしら? それにしては貴女のその刀とやらを振る姿。少しぎこちない気がするのだけれど」
「む、疑い深いな。何、ちと慣らすのに時間がかかるだけだ。中心にあれがあるのとないのとでは、いささか、いやかなり勝手が違うのでな」
その言葉に間違いはないのか。アサシンが刀を振るたびに、その軌跡は鋭さを増していく。
空気を断つ音は段々と大きくなり、ついに。
刀は音を置き去りにした。
「まあ、こんなものだろう」
「それより、勝手が違うとはどういうことかしら? 中心にあるあれとは何かしら?」
「知りたいのか?」
「勿論。まだ言ってませんでしたが、私が貴女のマスターです。犬なら犬らしく私に従うのが理というもの。隠し事など許しません」
「会って早々犬とは、いかがなものかと思うが。どうやら我が命は握られているらしい。ここは従うのが利口、というものか」
アサシンは人をくったような笑みを浮かべる。
「あら、お利口じゃない。少しばかり気に触る話し方だけど、それを躾けるのも面白いかもしれないわね」
そう言ってアサシンに手を伸ばし、その頬に触れる。
それは予想以上に瑞々しく、柔らかな弾力を感じさせた。
それが、少し、ほんの少しだけ気に食わなくて、頬から首筋へ、そして背中へとなぞるように手を這わせる。
「ひあっ!?」
その行為は、思わぬ声を聞くことになった。
それが信じられなくて、もう一度指を這わせる。
「な、なんのつもりだ。マスター」
アサシンの抗議を無視して、指で背中をなぞる。
「っつ、くぅ――――」
今度は悲鳴を上げなかったが、アサシンの顔は上気し、何かを堪えるような表情をしていた。
それが、ひどく嗜虐心を駆られる。
もう一度先の悲鳴を聞きたくて、キャスターはいっそうアサシンの肢に指を這わせた。
「つぅ―――――!!!!!」
「ふふふ」
「こ、これは。体が動かぬ。まさか、呪い、ひぁっ!」
すでに、アサシンの自由は魔術で奪っていた。
敏捷は目を見張るものではあったが、アサシンの魔力などキャスターから見ればまるでないに等しい。
二度目に手を這わせた時に容易く動きを封じることが出来た。
「ふふ、いい声で鳴くじゃない」
実際は、きつく唇を閉じていて、僅かにしか声は漏れていなかったが、それだけでもキャスターにとっては甘美な囀りだった。
すでに、アサシンに対して発した先の問いのことなど忘れ、行為に没頭する。
そして、少々乱暴に動かした手は、アサシンの髪を括る紐を外してしまった。
「あら」
アサシンの黒く、艶やかな髪が広がる。
その光景に目を奪われたキャスターは、アサシンを弄る手を止めていた。
もっとも、既にアサシンは息も絶え絶えで陥落寸前と言った所で、もう少し続いていれば先以上の嬌声を上げていただろう。
そのことにほっとしながらも、自分を弄るマスターの顔を見つめる。
得体の知れない布を頭からすっぽり被っているため、顔はよく見えなかったが爛々と光る目は見える。
「あらあらあら。そうね。そうだわ。この娘なら似合うわ。私のものなのだから、まったく問題ないわね。ふふ、楽しみなこと。まあ、それは次に取っておいて」
「ひっ」
虚空を彷徨っていた瞳がまた自分に向けられてアサシンは、自分でも気づかぬまま小さく悲鳴を上げていた。
「今は楽しまないと。まだ、夜は永いのだもの」
キャスターは唇をまるで下弦の月の様に歪める。
アサシンは、まるで死刑を宣告されたように、絶望するしかなかった。
甘美な夜は続く。
「まさか、おなごの体とはかように敏感だとは、思いもしなかった」
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