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 それは、何気ない張り紙を目にしたときから始まった。
 それが本当にそうなのかは私の知るところではなかったが、とりあえずそうなのだ。


 きんぎん異伝 第四話


「なになに。至急求む。炊事選択掃除その他。経歴問わず。面接で判断短期も可。むう」

 意識して目を細めつつ、その貼り紙から顔を離す。目には自身はあるのだが、何となく近寄ってみてしまうのは仕方ない。
しかも、なんとなく興味を惹かれてしまったのは確かだが、つい声に出して読んでしまった。
 それも、全てではなく断片的に。
 これも表情と同じく、自分の姿形が変わってしまったことの副産物、なのかもしれないが。きっと普段の私ならばそうはならないことを願う。ぬ、この思考自体がまずいか。
 そして、言い訳をするように声に出してみる。

「いや、仕事は必要なのだ」

 本当に必要なのは、仕事ではないのだが。
 つまり懐が寒くなってきたということだ。
 初めから寒かったと言う意見もあるかもしれないが、それを指摘するものもいないのだから問題はない。ないったらない。
 今度は声に出さずに言い訳をしてから、周りをぐるりと見渡した。

「しかし、広告を張るにしては些か……」

 この場所は適していないのではないだろうか。
 人通りが多いかと訊かれれば十人中十人は否と応えるような場所。
 そんな閑散とした場所にぽつねんと張り紙が一枚貼ってある。他には何も貼ってはいない。落書きもなければ、異臭を放つようなものも落ちていない。
 強いて言うならば、ここはあまりに人の気配が希薄だった。
 人が居るか否かではなく、人が関ってさえいないのではないかと思えるくらい、人間の残り香のようなものがない。
 時折吹く風が、まるで全てを運び去ってしまって、ここには何も残さないかのように。 

「魔術的な痕跡はないようだが」

 貼り紙に手を添えて目を閉じる。
 私自身、魔術に関しては優秀とはお世辞にも言えない腕前。信憑性はあまりないのだが。
 師匠の顔と言葉を思い出しながら思案する。
 二種類の顔が浮かんでしまったのはご愛嬌。少なくとも二人の名は同じだ。
 年齢も、性格も違うが。前者は大きく、後者は口では言い表せぬほど。
 ――すこし、逸れたか。
 嘆息して、もう一度精神を集中させる。
 少なくとも異常は感じられない。貼り紙だけでなく、この場所一帯にも不明な点はなかった。
 いくら私自身が鈍いといっても、結界のような異常であれば、僅かでも何か感じるはずだが。
 やはり、不明な異常はない。
 人の気配が希薄という事実を、不明としなければだが。
 かまわんだろう。
 ならば、この仕事受けてみてもいいかもしれない。

 ひどく簡単に決めてしまう。
 できれば、魔術関係の仕事には関りたくなかった。
 しかし、現在の私は自らを社会的に証明するものが何もない。
 自分が本来属していた世界であれば、まだ手段はある。
 この世界では、真っ当な仕事に付くのはほとんど不可能であり、故に懐は寒々しいのだが。

 いや、それは少し違うか。
 真っ当な仕事は少ないながらも、ないことはない。
 ただ、自分の感情がそれを嫌がった、というだけで。
 元の体ならなかっただろうその忌避感はどうにも邪魔ではある。
 まあ、つまり。
 今の私は選べる身分ではないにもかかわらず、仕事を選んでいる、というだけだ。
 だから、今みたいな状態になっている。

 この体になって、食事を取らないということはあまりに危険すぎることだった。
 別に食事が足りなくても乱暴になったりはしない。
 ただ、つらいのだ。
 煙草の煙よりつらい。
 耐える事、については多少自信はあったのだが、何故かこればかりは我慢できなかった。
 それが表情に出てしまうのだろう。二日前など何度も声をかけられた。
 自分がどんな顔をしているのか、見たくなかったので確認してはいないが、よほど情けない顔をしていたのだろう。
 声をかけてきたのは老若男女関係なく、発する言葉もたいした違いはなかった。
 行為はありがたいことではあるのだが、苦痛でもあった。
 それで、昨日から人通りの少ない場所を選んで行動していたのだが。

 それでも、ここほど人間の匂いのない場所はなかった。
 先の貼り紙を脳裏に浮かべながら足を、そこに書かれていた住所の方向へと向ける。
 とりあえず、それは人の居るはずの方向だった。 
 街の構造を頭にぼんやりと浮かべながら、無駄な回り道をしないように歩く。
 少しずつ人とすれ違うたびに、まるで死地から帰ってきたような安堵に包まれていた。
 少々、おかしい気もするが、三食真っ当な食事を得ることができるかもしれぬ仕事を得ることに比べれば、正に些細なことだ。
 そして、大通り。それこそ、人で溢れかえる空間へと辿り着く。
 その時には、私の心は不可思議な充足を覚えていた。人がいる、ということがひどく。

 それがいけなかったのか。
 僅かに緩んだ意識の隙間を縫うように、それは私へと襲い掛かってきた。

「ぬっ!?」

 耳が風を切る音をとらえ、それを咄嗟に受け止める。
 もっていた鞄が地面に落ちるのと、自分が受け止めたものが何なのか理解したのはほとんど同時だった。

「む、くず、籠?」

 言葉と同時に中身が零れる。
 なんとも形容しがたい、というわけではなく心底嗅ぎたくない匂いがするのは私自身の運のなさを象徴しているのだろうか。
 慌てて、足元の鞄を蹴飛ばし、悪夢の如きそれから回避させる。
 思ったより、冷静さを欠いていたのか。加減がうまくいかずかなりの勢いですべり転がっていく。
 たまたま、止まった人々の間をすり抜けていったことに内心で安堵した。
 いつまでも、屑篭を抱えているわけにもいかない。かといって大勢の人間が見守る中、投げ捨てるわけにもいかず屑篭をその場に置いた。

  「これは、どこから……」

 自分と、屑篭を見つめる人たちの目。その多くは私ではなく屑篭に向けられているようだが、考えていることは皆同じようなことだろう。
 私に一直線に飛んできたこれは、どうやって人の壁を越えたのか。

「まあ、とにかく。これがどこにあったのか――」

 私は尋ねようとして、それを達成することが出来なかった。
 何故か前方から突っ込んできた自転車を慌てて避ける。
 たいした速度であったわけではないのだが、予想してなかっただけに反応が遅れた。
 一歩後ろに下がったそこは――

 衝撃は一瞬だったと思う。
 いくら、この体になってから魔力放出という、元の体からは考えられない力を使えるようになったとはいえ、使わなければ意味はないし、役に立たない。
 それとも、本当は無意識に働いていたのだろうか。そうでなければこんなことを考えていられるわけない。
 などと、どうでもいいことを脳裏に浮かべながら私は自分の体が空から大地に落ちたことを理解した。

 それと同時にそこかしこから悲鳴が起こる。
 叫び声と怒号。誰かが近寄ってくることを感じながら、私は両腕に力を込めた。

「誰か! 救急車を! 女の子がバスに轢かれた」

「お願い、誰か助けて!」

 どうやら、私はバスに轢かれたらしい。
 一体どれくらいの速度が出ていたのかは確かめようがないが、今の衝撃からすると速度違反は確実のようだ。
 体を走る痛みを無視して立ち上がる。
 地面に寝る趣味はないし、病院の世話になるつもりもなかった。
 そもそも、あの質量と速度で轢かれた場合、普通の人間では生きている方が難しい、と思う。
 視界の端に自分の鞄を捉えると、駆け寄ってくる人の間を縫って一息で辿り着く。
 そしてそのまま、全力で近くの建物を駆け上がった。

 最後に大きく息を吐く。
 全部で三つの呼吸。それも短い間でのこと。
 少々蹴った地面を砕いてしまったが、私の動きは普通の人間には見えなかったはずだ。
 眼下で騒ぐ人たちを見ながら、ビルの屋上で汚れを掃う。
 どうやら、自分自身には怪我はないようだが、着ていた服がところどころ汚れ、また破れてしまっていた。
 それに、怪我はないといっても、それは今はないだけで、轢かれた時になかったとは言い切れない。
 まあ、目に見える血痕は服にも残っていないから、大丈夫だとは思うが。

「まったく、なんという体たらくだ。まさか、轢かれるとは」

 自身の不甲斐なさをぼやく。
 それは、空腹などという、自分の我侭からなってしまった現状に対しての怒りでもあった。
 我慢できることは我慢する。
 だけど、だからといって自分の今の姿を享受するには時間が不足しすぎていた。

 頭上に何かの気配を感じ、隣のビルに飛び移る。
 一瞬後に、ひどく耳障りな音を立てて、先まで居たビルの屋上に何か巨大なものが落下した。
 それは、自分の後ろに設置されていた何かの企業の看板だった。

「ちぃ、今日は厄日のようだな」

 と、思わず口に出してから、屋上の床を蹴って近くの建物に飛び移ろう、として足元が崩れた。

「つっ!?」

 咄嗟に左手に持っていた鞄を引っ掛けて、落下を防ぐ。
 だが、先の看板の落下は下に居る人々にも聞こえていたのだろう。
 傍目には今にも落下しそうに見えるはずの私を見て、何か騒いでいた。
 それを無視して体のしなりだけで、そこから飛び上がる。
 さすがに、見られたかもしれないが、もうどうでもよかった。

 今日は厄日だ。そうに違いない。
 思わず煙草を取り出そうとして我慢する。今からの目的を考えれば、あまり良いことではない。
 口の中で悪態を呟き、今度は慎重に足場を蹴る。
 今度は崩れたりせず、確かな感触が足裏に伝わる。
 口はいつも以上にきつく閉じて、先程の貼り紙に書かれていた場所へと、自身に許される全力で走り始めた。

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