二月五日
屋根から下りる。隣にいたセイバーもそれに続いてきた。
日中は見張りは必要ないと思っている。基本的に日が昇っているうちは、参加者は行動を起こさない。
何よりイリヤスフィールが行動するのは夜のみのはずだ。あくまでサーヴァントと行動するのは、だが。
俺は拉致されてしまったから、状況によっては注意が必要だろう。
“あの時”よりも俺もセイバーも戦う条件は悪くないはずだ。
セイバーには、多少とはいえ魔力の供給。そして何より俺は、あいつのような負傷はしていない。
いや、負傷はしたが、すでに万全といって差し支えない状態だ。
戦力としては、十分だと思う。それにセイバーがエクスカリバーを一度開放したとしても、現界が危うくなるようなことにはなるまい。
ならば、積極的に攻め込んでも良いはずだ。
今夜、キャスターと、アサシンを倒す。
あの山がサーヴァントにとって鬼門だとしても、この身は弓兵。必要であれば、奇襲も可能だろう。
最悪、キャスターを倒しきれずとも、アサシンは倒せるはずだ。
なら何故、拭いきれないのだろう・・・・・・この粘つくような不安を。
む。気がつくと俺とセイバーの位置が変わっている。俺が先を歩いていたはずが、いつのまにかセイバーについていく形になっていた。セイバーも俺も、無言で歩いている。
さっきまで感じていた不安を無理やり、しまいこむ。この体になって、勘に助けられたことが多いが、それでも理由とするには薄い。襲撃を渋る理由にはならない。
ん、向かう先は――――道場か。そういえば、アルトリアもよく道場で正座して瞑想をしていた。
それに聖杯戦争の間、よく稽古をつけてもらったものだ。
遠いけど、消えることのない大切な記憶。輝かしい時間。しかしそれと同時に。
目の前のセイバーが、彼女とは、同じだけど違う。そのことを思い知らされる。
セイバーは、“彼女”と同じように、まだ間違った望みを抱いているのだろうか。
俺は道場の入り口で止まり、セイバーは、道場に正座して目を閉じる。
綺麗だと思った。彼女は、“彼女”とは違うけれど、それでも綺麗なことには変わりない。
できるならば、彼女にも答えを見つけてもらいたい。
それは俺の役目ではないかもしれないが・・・・・・。
ふと竹刀が視界に移った。
ふむ。
「セイバー、少しいいか?」
「なんですか?」
目を開けたセイバーが、視線をこちらに向け、訊き帰す。
俺はそれにすぐには答えず、まっすぐ竹刀のある方向へ歩く。そしてそれを二本手に取り、
「手合わせ、してもらえないだろうか」
先ほど思いついたことを口にした。
セイバーは少し驚いたようだが、その口に微かな笑みが浮かぶ。
どうやら、了承してくれるようだ。
「いいでしょう。喜んでその申し出、受けさせてもらいます」
立ち上がったセイバーは道場の中心へと歩いていく。
俺も、竹刀を二本手に持って歩き、セイバーに竹刀を手渡した。
「先日も思いましたが、この模擬刀はよくできていますね」
セイバーは手にした竹刀を軽く振ったりしながら、感想を言う。
セイバーからしてみれば、確かに新鮮かもしれない。セイバーの時代、訓練などはどのような剣を使ったのだろうか。
やはり、刃を削って丸くなった剣でも使うのだろうか。それでも、鉄製の剣では、命を落とすことも、少なくはあるまい。
その点竹刀は、遥かに安全だろう。それでも人死にがないとは言い切れないが。
「では、始めるとしようか」
俺は静かに、竹刀を構える。それを見たセイバーもまた構えた。
俺もセイバーも構えてから、まったく動かなかった。
隙がない。目の前のセイバーには真実隙がない。
あのころに比べれば、自分の技量は遥かに上がっているはずだが。さすがはセイバーというところか。
だが、今はどうでもいいことだ。
セイバーから打ち込んでこない以上自分から動くしかあるまい。
何よりこちらの方が格下なのだから。
「ふっ――――」
道場を破壊するわけにもいかないから、強く踏み込むことは出来ない。
それでも俺は、なだらかに間合いを詰め、竹刀を上段から振り下ろす。
セイバーは難なくそれをかわした。そしてそのままなぎ払おうとした竹刀は、俺が半回転しながら右手で放った斬撃を受け止める。
いや、受け止めたのではない、巧く流された! セイバーは体勢が僅かに崩れた俺めがけて、斬り込む。
俺は回転している体を無理やり止めて、すくい上げるようにしてセイバーの竹刀を止める。
それから俺は防戦一方になった。セイバーの竹刀を何とか避け、あるいは受け止める。
竹刀は俺たちが打ち合うことに耐えられるような丈夫なものではない。
俺達は手を抜いて戦っていることになるが、条件は同じ。
俺は敏捷さで、セイバーに劣る。斬撃の速さも向こうが上だろう。
この体になった俺が彼女に勝っているのは、筋力と、魔力だろうか。魔力などは自分でも恐ろしいほどに保有していると思う。
これなら相当な無理にも耐えられるはずだが、今は役に立たない!
最早俺とセイバーの竹刀は、普通の人間には視認するにも難しいだろう。
袈裟懸けに竹刀が振り下ろされてくる。
エラー
ランサーのときと同じ、戦闘するために分割した思考が、否を示す。
自分の戦闘経験と、この体のズレ。だが、
(――――!)
思考とは裏腹に、体がなんとか竹刀を受け止める。思考が行動を決定する前に、体が自然に動いている!
受け止められたセイバーの竹刀が下からすくい上げるように迫る。
エラー
本来なら、ここで終わり。俺には止めることは出来ない。
(っ――――!)
だが、体は動く。俺の理想の剣技とは違う。この体でしかできない、無理やりな動き。
竹刀が止めるが、僅かに後退する。
そこを逃さず、セイバーの突きが放たれる。
エラー
思考は警告を鳴らす。だが、その警告は前ほど強くない。
他の思考が、この直感を、経験に組み込み始める!
(――――――!)
セイバーの打ち込み!
エラー
(――――――――!)
だが、俺は先よりも、幾分容易に、それを受け止める。
セイバーの巻き込むような払い!
エ
(――――――――――!)
警告、ノイズが消える……? 戦闘論理がこの体に、適応し始めたのか。
追い詰められていた俺は、攻勢に転じることは出来ずとも、ほぼ完璧にセイバーの竹刀を、受け流し、あるいは止める。
いまだ、僅かな違和感はあるが、戦闘の要因に、直感が加わる。
戦闘の組み立てを、合理的な思考をベースに。だが、それに直感の比重が大きくなるだけのこと。
最早これは俺の戦い方ではない。この体の戦い方。
それからどれくらい時間がたったのだろうか。
幾ら力を抜いていると入ってもそれはサーヴァント。竹刀が限界に近づいていた。
そして俺はこの打ち合いの中で、幾度となく分けた思考の中でトレースしていた、反撃を実行に移す。
結果――――――――俺の竹刀は、突きの形で、セイバーののど元に、セイバーの竹刀は俺の頭の上で止まっていた。
俺達は竹刀を収め、互いに向き合う。竹刀はもうぼろぼろだ。
「さすがはセイバー、というところか。勝てなかったな」
「ありがとうございます。ですが、貴女の腕も相当なものでした。貴女の守りはなかなか崩せそうにありません」
「謙遜を。私は耐えるだけで精一杯だったというのに」
俺たちは互いに、微笑を浮かべる。
「えーっと、どういうことだ? 俺には相打ちで終わったように見えたんだけど。互角じゃないのか?」
剣を合わせているときに来たのだろう。衛宮士郎が疑問をぶつけてきた。
よほど集中していたのか、俺はこいつが道場に来たことに気がついていなかった。気がついたのは、竹刀を納めた後だ。
「見たままだ。私がセイバーに勝てなかった。そして互角ではなかった。ただそれだけなのだが」
負けもしなかったがな。ふむ、どう言えばいいのだろうな。
「シロウには難しいかもしれませんね」
セイバーも少し思案顔になったが、衛宮士郎に話し始める。
「シロウには相打ちに見えたと言いましたし、確かに先ほどの手合わせは相打ちで終わりました。ですが、互角ではないのです。私とアーチャーとの間には、明確な差があった。それは私とアーチャー、二人にしかわからないかもしれませんが。それがある以上アーチャーは私には勝てないでしょう」
言いたいことがあるのに言葉が見つからないということだろうか。セイバーは実に困った顔で考えを述べる。
「あー、つまりセイバーとアーチャーの間には、俺にはわからないレベルで実力に差があるから、セイバーのほうが強いって事か?」
衛宮士郎が頬を掻きながら答える。
「少し違います。私の方が、アーチャーより強いのではありません。ただ、私がアーチャーに剣技で勝っているということなのですが」
俺とセイバーでは考えに多少相違があるようだな。
「えーっと、どういうこと?」
俺はセイバーが何か言う前に自分の考えを述べる。どうも俺を買いかぶりすぎているような気がするからな。
衛宮士郎の問いは無視させてもらおう。
「ふむ。具体的に言えば、たとえ百回私がセイバーと先ほどのように打ち合ったとしても、一度も勝つことは出来ないということだ。彼女はそう思っていないのかもしれないが、真実私よりセイバーのほうが強い。それは確かだ。では、何故互角じゃないのに相打ちに出来たかというと」
俺は衛宮士郎に向けて微笑する。
「イカサマしたからだ」
「イカサマ――――!」
衛宮士郎の口があんぐりと開く。
セイバーは俺の方を見て何か言いたいことがあるようだったが、何も言わなかった。
俺の考えを汲んでくれたようだ。
「そう、イカサマだ。さっきのはイカサマで、何とか相打ちにもっていったんだ。だから私の方が実力は下。もうこの話は良いだろう? あまり手の内を話したくはないんだ。それよりも、何か用があって来たのではないのか?」
その言葉で衛宮士郎は何か思い出したようで、
「そうだった、朝ごはんが出来たから二人を呼びに来たんだった。用意できてるから、二人も居間に来てくれ」
「分かりました、シロウ」
「分かった、少し遅れるぞ」
どうやら食事と聞いてセイバーは喜びを隠せないようだな。
「ああ、だけど出来るだけ早く来てくれると嬉しい。じゃあ先に行ってるから」
そう言って、衛宮士郎は道場から出て行った。
そのとたんセイバーの顔が真剣なものに変わる。
「アーチャー、何故本当のことを言わなかったのですか?」
「なんのことだ?」
とりあえず、とぼけてみせるがそんなものは通用しないことは分かっている。
しかし、食事でごまかせたかと安心していたのだが、甘かったようだ。
「ごまかさないでください。先ほどのことです。どうしてイカサマなどと、虚言を吐くのですか」
ふむ、実は相当怒っているのだろうか、セイバーは。俺が黙っているとそのままの勢いで、続けてくる。
「確かに貴女は、私には勝てないでしょう。ですが、私が貴女に勝つことも相当に難しいはずだ。確かに互角ではない。ですが、結果として、相打ちになる以上、私が貴女より強いというわけにはいかないはずだ。相打ちに出来るのは、貴女の実力でしょう。それをイカサマなどと、自分を貶めるような」
「それは違うぞ、セイバー。私は嘘など吐いていない。さっきのあれは真実イカサマのようなものだ。私は君に技量で劣る。実力で負けている私が、相打ちに持っていけるのはイカサマ以外ないだろう?」
セイバーは不満のようだが、俺はむしろ、満足していた。ランサー戦で感じた体の不具合。まだ完全とはいえないが、やっと体になじんできたということか。
セイバーと手合わせすることで、少しは解消しないかともくろんでいたが、予想以上に改善された。
そうでなければ、相打ちにすら出来なかっただろう。
「いえ、貴女の強さです。それだけは譲れません。第一私がイカサマだと思っていないのだから良いのです」
少し頬を膨らませながら、拗ねたように言うセイバーは吹き出しそうなる。
つまり、たとえ技量や、身体能力で相手より勝っていたとしても、結果が相打ちならば、両者の強さは同等、といいたいのだろうか。互角ではないが、強さは等価だと。
「イカサマは、相手にそれと気づかれなければ、イカサマではない、か。君は私が、イカサマをしたと断言したにもかかわらずそれを否定するというのか」
「そうです。貴女は私にイカサマと言っていますが、それはイカサマなどではないのです。ええそうですとも。私にわからないイカサマなど、それと認めるわけにはいかない。私がそれに気がついたとき初めて貴女は、イカサマに成功するのです――――大体私が気がつかないなんて」
むう、もうわけがわからんぞ。セイバーさんなんか言ってること変わってませんか?
ここは……ごまかすか。
「それよりもそろそろ居間に行こうセイバー、待たせておくのも悪いからな」
「む、そうですね、ですがこの話は後日、じっくりとしますから」
セイバーはそう宣言して、道場を出る。もちろん俺もそれに続く。
できれば朝食で、このことを忘れてくれるといいのだが。
衛宮士郎よ、朝食、期待しているからな。
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