閉じられた土蔵と言う世界の中に、凛の言葉が響き渡る。
その言葉は夜気を切り裂き、私の元へと届く。
「――――汝が剣に預けよう」
ゆっくりと、それでいて優雅に手が伸ばされた。凛の手は薄暗い土蔵の中でも白く際立っている。
その手に私は、重ねるように手を伸ばす。かつてと違い、凛に負けぬほどの白い手を。
ゆっくりと音にならぬほど小さく息を吸う。
「誓おう。再び君の剣となることを、凛」
そして、契約の言葉を紡いだ。ゆっくりと、一つ一つの言葉をはっきりと紡いだ。
失われてしまっていたものが、再び甦る感覚を覚える。契約によりつながれた線は、かつてと同じようにはっきりと存在していた。
枯渇していたものが充足していく気分をかみ締めながら、契約の言葉を反芻する。
これは、失敗に終わった最初の召喚では成されなかった言葉だ。
知っていたのは言葉のみ。それは紛れもなく、目の前の少女と同じ人から聞いたものだった。
何しろ聖杯戦争を二度も経験しておきながら、正式な召喚には終ぞ出会うことはなかったのだから。
セイバーの場合は、召喚とはとても呼べない代物であり、そもそも、当時の私はそんな言葉を知っているはずもなかった。
どのようなきっかけ、経緯で召喚の文言を知ることとなったのか思い出せなかったが。これは私にとって随分と感慨深い代物だったらしい。
充足していくと同時に、魔力などでは説明できない熱いものが胸にこみあげてくる感じがした。
結局、彼女がまとう雰囲気や髪形などの変化はあった。それこそ、信じられぬ態度を取ったこともある。それは言葉では表せぬような驚きではあったが、肝心の部分は成長しなかったせいか、ルヴィアに対して随分と歯噛みしていた光景も印象に残っている。敗北を認めまいと、それ以外の部分をことさら強調していた気もするが、それこそ気にしているのだと勝手に思っていたこともある。そうだ、一つ思い出せば、それに続くように懐かしき、置き去りにしてしまった様々なものが――
「はっ――!?」
目の前の凛が微笑み、言葉を発する。その笑みに、過去から現在へと引き戻された。
いや、正確には現在を侵食しようをしていた過去、とでもいうのだろうか。
「こんどこそ、お帰りなさい」
契約を行いながらも、違う人間のことを一瞬でも考えてしまった自分の愚考に呆れながらも、真剣な顔を作る。
自分の不実に凛が気づいてないことを願いながらも、心から思うことを声に乗せた。
「ああ、世話をかけた。これでまた、君と夜を翔けることができる」
「ほんとよ。まあ、契約も成功したみたいだし。当分は大丈夫みたいね」
儚げな笑顔であったそれは、まるで夢だったと言わんばかりに、自信に満ちた笑みを凛は浮かべる。まあ、それでも、珍しいものを見たことには変わりなかったが。
先ほどの凛の笑顔により生じた感慨を隠すように、胸の高さまで掲げた右手を握り締め、感触を確かめる。指の端まで十分な力が満ちていた。
「ふむ、君ほどの魔術師がマスターなのだ。心配などしてないよ」
「そうなんだけど。戻らなかったのね。それ」
凛が言いたいことを瞬時に理解し、自分の格好を見渡す。
そこには、かつてのセイバーのそれとは違う、だが幾分見慣れてしまった、黒いドレスがあった。夜よりいっそう深い黒が、私の身体を纏っている。
「そのようだな。てっきり、契約に関係したものかとも思ったが」
セイバーのそれと近しくなってしまった自分の髪を摘みながら呟く。
この姿に変化したのは、少なくともギルガメッシュから逃走し、意識を失った後のことだ。
目が覚めたときには、凛との契約が切れ、この姿になっていたことから、てっきり契約が原因だと思っていたのだが。
「違った、わけね」
その言葉に頷く代わりに腕を組んだ。かつてとは違う感触が気にならないといえば嘘だが、かといって組むことを躊躇するのも今更なような気がする。
「まあ、簡単に決めてしまうには難しいものがある。直接的な原因ではなくとも、それが引き金になった可能性もあるわけだが」
普段の私のように、ふむ、と頷いた凛は口を開く。
「それで、その姿になって、何か変わったことはあるの?」
凛の現実主義的な言葉に内心苦笑しながらも、その言葉の妥当さに舌を巻く。
記憶も戻った今こそ、はっきりと自分の違いを認識するに相応しいのだろう。
「ふむ」
微かに頷き、内界を走査する。正直の所、身体に関する認識においては、今は無視していいだろう。故に必要なのは外側ではなく内側のことである。そして、そうだと平行して試してみるが、やはりと言うか無理だった。
「基本的な能力は変わってはないようだが、霊体化ができなくなっている。少なくとも、自分の意志では無理だ」
「それは、私が魔力の供給をカットしても同じなのかしら」
「おそらくは。そもそも、それなら君との契約が切れていた際に霊体化できないのはおかしい」
「なるほど。私が居ないときに一度試していたわけね。ふ〜ん。まあ、霊体化においては仕方ないと諦めるしかないわね。ところで」
若干、いや、随分と目を細めて凛が睨みつけてくる。
その視線の鋭さに何を言ってくるのかと心の中で身構えた。
「あの宝具のことは言ってくれないのかしら?」
「――エクスカリバーのことか」
「そう、その聖剣。まあ、黙ってても貴女の宝具覧には載ってるからいいけれど」
詳細として、どこまでが記されているのか興味がないといえば嘘になるが、それよりも重要なことはある。それは――
「つまり、その聖剣は私のもの、ということなのか」
「そうそう、その通り。だから、貴女の真名は――って、もしかして貴女!?」
嘆息するように言葉にした私の態度にか、それとも言葉自体にか。こちらに身を乗り出した凛の視線は鋭い。
「おそらくは君が考えている通りだろう。私自身、自分が聖剣を、エクスカリバーなどを持っているとは知らなかったからな」
そう言葉にしながら、聖剣を手に表す。
記憶がなかったときの行為も、まったく問題なく記憶にある。
意識せず表していた聖剣を、今も尚同じように取り出すことができた。その原理は理解できなかったが。
黒い聖剣。
セイバーのような不可視の結界を纏っているわけでなく。そして、その姿そのものも変容している、が。
「紛れもなく、この剣はエクスカリバー、らしいな」
絶句したまま私を見ていた凛に苦笑いを浮かべつつ、言葉を続ける。未だに自分自身でも信じられないのだ。この手に贋作ならぬエクスカリバーが存在することに。
「色が、というか姿が変わってしまっているのは、この剣が聖剣でありながらも二面性を持つものだからだろう。とはいえ、ここまで変わってしまっても聖剣として成り立っているとは、恐ろしいものだな」
この剣は聖剣だ。決して魔剣などではない。ここまでセイバーの持つものと対と成るものになったというのに、聖剣としての格を失ってはいない。しかし、聖剣でありながら放つそれは黒き極光。悪の聖剣である。何と矛盾した存在か。
「まあ、その剣が聖剣であるかないかはともかくとして、貴女、それちゃんと使えるの?」
「一度見ていて、それを訊くのか、凛。些か愚問ではないかね」
しかし、凛の疑問も最もな言葉ではある。何しろ、たった一日の間とはいえ私自身は記憶を失っていたのだから。
しかも私自身の口から、アーサー王ではないと告げられたのだから。
「心配するな。使用に問題はない。どうやら、間違いなくこの剣は私の宝具らしい」
「その言い草じゃ、本当にそんな宝具を持ってるなんて知らなかったみたいね。まったく、いくつもってるのよ、貴女」
「強いて言えば、これのみだろうな。後の私の武装は宝具とは些か異なる」
本当ではないが嘘でもない言葉で濁す。
そして、聖剣を握っていないほうの手を、開き閉じする。
聖剣の使用に問題はまったくない。そして私の記憶がなかったときに使っていた剣技は、まぎれもなく私のものではない。
しかし今なら、それが自身のものと代わらぬ確信があった。
この体は、呼吸と同様の容易さで、セイバーの剣を操り、力を振るうことが可能なのだろう。
しかし、その代わりに自分自身が培ってきた戦闘技術。それを扱えるのか自信がない。
そして、魔術も。現在も圧倒的な力でこの身体を満たそうと働いている回路は、慣れ親しんだそれとは違う。
もし、この回路がセイバーのそれだとするならばはたして、私は投影を使えるのか。
凛の前で度々使用してきたそれだが、その正体までは明かしていない。
考えたくはないが、それがまったく使えないということになれば……。
私は凛に対して自身の戦力を偽っていることになる。
「それにしても、あれだけの大威力。燃費の悪さはどうかとして、破壊力なら圧倒的じゃないかしら。よく壊れなかったわね。柳洞寺」
エクスカリバーを主要兵装とした場合、霊体化できないことはそれなりに問題ではある。問題ではあるのだが、何を間違っているのかこの身体はセイバーの写し身だと考えても破格過ぎるほどの魔力を備えている。この身体に満ちる魔力のみで連続使用することすら可能だろう。とはいえ、最大出力については変わりない。
「まったく同一の宝具が正面からぶつかったのだ。結果、凛が見た通りほとんどが相殺されたわけだが。余波だけであの有様だ。運が良かっただけだろう」
二つの聖剣が完全に拮抗していたからだ。少しでも均衡が破れていたらどうなっていたかわからない。
まあ、想像することはできるが。一面の更地になってしまった光景が好ましいはずない。
柳洞寺跡、などという場所になっても困るのだ。
そんなことを考えると、背中を冷たい汗が流れる。
かつて、奴との戦いで木々を多数薙ぎ倒した際にも凛の苦言を受けたのだ。
あの程度なら、処理もそう難しいものではないかもしれないが、寺が丸々吹っ飛んだなんてことになっては、処理の仕様あるまい。学校の集団昏睡事件とも桁が違う。直下型の地震が起こったとでも……。
「凛。柳洞寺の処理はどうするのだ? 監督役の行方がわからぬ以上は君がどうにかするしかないのではないか?」
「そうなるわね。この土地の管理者が私である以上責任は取らなければならないわ」
それは、あの戦いの処理を凛ができなかったということ。責任とは、凛の属する魔術協会から何らかのペナルティを課せられるのか。いや、それが協会だけとは限らない。教会からも――
「しかも綺礼の奴、自分以外のスタッフを用意してなかったみたいなのよ。いや、違うか。いくらあいつが気に食わない奴で優秀だとしても、一人で管理するはずがない。前回の惨事から考えれば尚更だし、居ないんじゃなくて、連絡がつかないと考えるべきか。とすると、やっぱりあの程度の報道で済んだのは……」
私の思考を他所に、凛の言葉は続く。しかし、私の感情を表情から読み取ったのだろう。凛は手をパタパタと振ると明かる気な声を上げた。
「怒ってないわよ。あの時はセイバーも操られていたんだし。あれを防ぐなんて、同じものをぶつける以外には無理でしょう。第一、そこまでひどいことにはなってないわ」
凛の言葉が真実であるかは別として、信じることにする。今、必要なことは聖杯戦争を勝つことだ。
「しかし、私もセイバーも切り札を見せてしまったことに変わりない」
私の言葉の不穏さにか、凛の表情が僅かに硬くなる。
「でも、あの大威力を正面から打ち破るのはちょっと無理じゃないかしら。バーサーカーだって倒れたんでしょ。なら――」
「確かにバーサーカーはいない。だが、そのバーサーカーを殺したものが残っている」
「英雄王ギルガメッシュ……」
すでにその存在どころか正体を知っているということは、イリヤ、もしくはセイバーから説明を受けたのだろうか。確かに、イリヤがバーサーカーも連れずにいれば不審に思うだろうし、その理由を訊くくらいなら、凛であればするだろう。そして、あの柳洞寺の惨事と、キャスターの陣営の疲弊。あれは、私より先に到着していた凛達の仕業ではあるまい。ランサーと強力を結んだとしても圧倒的に戦力に差がある。あれほどまでにキャスターを疲弊させることは不可能だったに違いない。
少なくともその名を知っていることと、数多の宝具を持っていることは凛の知るところとなっている。そう考えてよいだろう。そして、奴の愛剣を知っていて直、そう思うことに抵抗ない言葉を発する。
「奴が聖剣を抑え込む宝具を持っていたとしても、私は驚かん」
「いくらあいつ数え切れない宝具を持っているからって、その剣を完全に防ぐ代物を持ってるとは思えないわ」
「ふむ。確かに悲観的な考えなのかもしれない。だがな、凛」
そこで一度言葉を止める。これは前回の知識。今回の聖杯戦争で、英雄王がそれを使ったのかは知らない。
理性を失って尚強力なサーヴァントであるバーサーカー相手に使用したかも知れぬ。
だが、少なくとも私自身はそれの使用を今回は見ていない。そして、凛も見ていないのだろう。
だが、先の私の想像とは違い、英雄王が確実に所持している代物だ。
「これに勝る代物を、私は一つ知っている。できれば、それ以外持っていないことを願うがな」
そうであって欲しいと願う。かつてあの剣と相対したセイバーは、無残に敗れ去った。単純な出力を比較した場合、この手にある聖剣に勝ち目はない。
「つまり、あいつはでたらめな数の宝具を持った上に、あんたの剣に勝る代物まで持ってるって言うの」
「その通り。この聖剣は対城宝具だが、さらにその上。奴の愛剣は対界宝具などという出鱈目なカテゴリーに属するものだからな」
これ以上険しい表情はないといった凛は、手を顔にあてがうと、呻くように言葉を吐く。
「最悪ね。セイバーが英雄の王なんて大それた呼び方をするのがわかった気がするわ。ただでさえ馬鹿みたいな数の宝具を持ってるのに、その上最強の代物まで持ってるってわけ?」
宝具というものの全てを識っているわけではない以上、最強の宝具とやらがどんなものなのか判断することは出来ないが。それでも、私が知っている限りで言えば最大最強の破壊力を有していることには変わりない。
「となると、やっぱり使わせないことが大前提なんでしょうね……」
腕を組んで考え込む凛に同意の頷きを返す。火力勝負に持ち込まれた場合勝ち目は薄い。単身では無理だろう。
「まあ、この辺りは私たちだけで考えても仕方ないことだわ。今は置いておきましょう。それより、もっと訊きたいことがあるのよ。貴女に」
「――なんだ?」
「貴女。本当は結局何のサーヴァントだったの?」
いつか問われるだろうと覚悟していた言葉、いや、それに近い言葉が、凛の口から発せられた。それも、とりわけ軽い口調により。
覚悟していたとはいえ、衝撃がないわけではない。私は口を開こうとして、それが失敗していることに気がついた。
そのことになんとか苦笑いを浮かべると、肩の力を落とすように抜いて、息を吐く。
「君は、その言葉を確信しているのか」
「ええ、貴女は確かに私に対してアーチャーと名乗った。だから私もそうだと思ったわ。事実、最初はそう登録されていたもの」
マスターが有するサーヴァントの能力を知る力だろう。
どのような形で認識しているのかはわからないが、かつての私と大して違いがあるわけではないはずだ。
「つまり、私のクラスは弓兵ではない、と」
凛は頷く。その所作に躊躇は微塵も含まれていなかった。
私はもう一度、凛には聞こえないように深く細く息を吐く。
「いつから、そう思ったのだ」
「思ったってのとは少し違うかしら。もう一人の、キャスター側についているアーチャーを見てからね。本来ならばクラスの重複はありえないし、そもそもサーヴァントが七騎より多いはずがない。そして、あのアーチャーを見てから、貴女のクラスはわからなくなった。見えなくなったのよ」
それは――それまでは、確かに私をアーチャーとして認識、もしくは登録していたということか。
アーチャーと一戦交えたのは柳洞寺のことだ。聖杯戦争の中で限って言えば、随分と前ということになろうか。
凛はあの時から、私がアーチャーではないと認識していながら、アーチャーと呼んでくれていたということになる。アーチャーという呼称に対して、たいした思い入れがあるわけではない、が。それでも、私が名乗ったそれを変わらず呼んでくれた事には少なからずありがたいと感じる。
「信じてもらえないかもしれないが、私は本当にアーチャーだと思ったのだ。事実、今でも私自身がアーチャーであることを疑っていない」
かつて、凛のサーヴァントが、本来ならば私ではない可能性があったことを告げた。それは、アーチャーとして呼ばれた者が私だけであったなら考えなかった事柄だろう。だが、私の予想に反して、もうひとりのアーチャーという存在が現れてしまった。私と同じ――衛宮士郎を起源とするアーチャーが。
もし、私がイレギュラーだとしても、それは仕方がないとは思っている。凛もそれを思ったが故に私に訊いたのだろうし、私もそう考えて頷いたのだ。何しろ、奴の姿はともかくとして、この姿の私はエミヤシロウから逸脱しすぎているのだから。
しかし自身のクラスがアーチャーではない、その可能性は考えなかった。浮かび上がってすら来なかったのだから。だが、もし、私がアーチャーではないのであれば、何らかの情報が聖杯から送られてきてもいいはずだ。
何しろ、聖杯がサーヴァントを呼ぶのだから。しかし、私は変わらず自分がアーチャーだと認識している。姿が変わった今も。自身のクラスを認識した理由が、自分の認識外の存在、つまり聖杯によるものだとすれば、それを疑うことは自分がサーヴァントであることを疑うに等しいのではないだろうか。
考え込む私を前にして、凛は組んでいた腕を片方立て、指を一つ立てる。
「疑問がもう一つ。セイバーは貴女と同じように英雄王の愛剣を知っていたわ。今回の戦いでそれが使われたことがなかったにも関らず」
「――知っていたのか。ということは、先ほどの反応は驚いたふりだった、というわけか」
微かに息を呑んだ私は、溜め息を吐くように言葉を吐き出した。
「いいえ。心底驚いたわよ。いくらセイバーの言葉だからって、まさかエクスカリバーを凌駕するとまでは考えてなかったもの。せいぜい拮抗できる。その程度だと思っていたの。だけど、アーチャー。貴女までセイバーと同じことを告げた」
「先に防ぐなどという言葉を使ったのはそういうわけか……」
私の口から吐き出された言葉は、ようやくと言った感じだ。力はない。
「確かに、英雄王なんて称される奴なんだから、英霊である貴女達がその宝具まで知っていてもおかしくはないわ。事実、知られないために真名を隠すなんてセオリーがこの聖杯戦争にはあるんだし。でも、それを考えても貴女、いえ、貴女達の言葉は少し不可解だわ。あまりに断定的過ぎる。まるで、一度戦ったことがあるかのように。ギルガメッシュとアーサー王じゃ、あまりに時代がかけ離れていると言うのに」
そこで言葉を止めた凛は、私の瞳から何かを読み取ろうとでもするかのように、私の顔を覗きこむ。
私は凛の瞳から視線を逸らさず、また凛も私の視線から逸らしはしない。
「貴女達は――あいつと一度戦ったことがある」
そうして、凛はゆっくりと、その言葉を紡いだ。
言葉にした途端、私から視線を外し、背を向ける。まるで黒板に板書をするために生徒に背を向ける教師のような風情である。だが、ここには黒板はないし、私は椅子に座っているわけではない。
「聖杯戦争なら、時代が違う英雄が出会うことも可能だし、必然的に戦闘も発生する。確かに聖杯戦争に何度も参加するなんて、最初はあるはずないなんて思ったけど。でも、その可能性は決してゼロじゃない。だって、いくらその可能性が低くたって起こりうることには変わりないもの」
そこで言い終えたのか、凛は振り向き、私の言葉を待つ。月明かりのみが光源たるこの土蔵の中で僅かに覗く無表情めいたその顔からは、真剣さだけが、読み取ることができた。
そうして、私は現界から何度目かもわからぬ溜め息を吐く。
私の心は、言葉に出来ない、これまで感じたことがないような。そんな混沌な状態に置かれていた。
話すつもりになったのは、その心と。そして、長い時間ではなかったが、目の前の少女が、師と呼んだ者と起源を同じくする人物だったからなのかもしれない。
「真名を話さなかった理由、それが一つある」
何故、ここで真名の話をするのか腑に落ちなかったのか、凛の表情が怪訝なものに変わる。
「それは、私自身が、自分という存在に確証を持てなかったからだ」
これは、常に考えまいとしていたこと。召喚された時。アーチャーが現れたとき。こうして、記憶を取り戻したとき。常に、脳裏から離れなかった不安。
「それは――どういう意味なのかしら?」
「今、凛の前に立っている私の姿が、本来のものでないことは話したとおりだ。だが、姿は変わってしまいこそすれ、己は確かなものだと、そう信じていた」
そこで言葉を止め、視線を凛から外す。土蔵を見渡し、天を仰いで、再び凛へと視線を戻す。
「だが、さすがに記憶をなくすようなことが起こってしまうと、信じていたものも信じられなくなる。自分がサーヴァントなどという不確かなものであれば尚更だ」
本当は考えても詮無いことなのかもしれない。少なくとも、思い悩んだとしても解決はしないのかもしれない。
だが、考えまいとしても、ふとしたことで浮上するものがある。
「はたして――ここに立っている私は、本当に私なのだろうか」
衛宮士郎は、かつて全てを失っている。それは家族であり自身の記憶でもある。
その点で考えるならば、契約を失って私に起こった記憶の喪失とは、初めてのことではない。
では、何故、あれほどに私は取り乱したのか。それは、記憶を失ったからなのか?
「私が信じている自分の記憶は、本当は偽者で、聖杯が作り出したただの仮初のものではないのか」
否――。記憶を失ったことそれ自体に恐慌を感じたのであれば、冬の城で感じていただろう。
では、何にそれを感じたのか。
それは自身を確固として持っていなかったことにである。
「無論、君を主とする私の誓いに曇りはない。しかしな、凛。私は私自身を信用できないのだよ」
この身体は、決して私のものではない。だが、私の記憶は確かに衛宮士郎のものである。
だが、自身が衛宮士郎であると認識できなった時、私という存在は一体何なのだろうか。
「私はこんな聖剣を持っていた記憶はない。持っているはずがないのだ。アーサー王ではないのだからな」
脳裏に浮かぶこの体の剣技は、決して衛宮士郎のものではない。かつて愚直に修練を重ね、戦場で鍛え上げたそれとは違う。
記憶を失っていた間、私が使っていた剣は、紛れもなくセイバーの業だ。そして、今もその業をこの身体は放つだろう。
何しろ、つい先ほど確信したのだから。
「ここに立つ私は、本来は別の人間で、今自身の記憶と信じているものが聖杯によって植えつけられたものだと、そう考えてしまう自分がいるのだ」
私は、結局の所、英霊というものの存在を理解してはいない。私は自身がどういった存在であるのか、英霊であるのかわからない。
私がこの聖杯戦争に召喚される前の記憶は、力尽き倒れたそれに他ならない。そして、それは人間の記憶である。
アルトリアに会いたいという私の願い。それを報酬として私を英霊とするのであれば、一応の形で願いは叶えられてしまっている。
私自身が英霊となるのは、実際はこの聖杯戦争の終結後になるのだろうか。
つまり、私自身は、まだ英霊になっていないのだろうか。
もし、そうであるのならば、かつてのアルトリアのように、不完全であれば霊体化ができない等というイレギュラーがあったはずだが、私は、今は出来ずとも、確かに霊体化出来たのだ。
何故、霊体化できなくなったのだ。
そもそも、ギルガメッシュに致命傷を負わされたはずの私が何故、現界しているのか。
ここにいる私と、最初に凛に召喚された私は、同じ存在なのか。
「私は、今、自分の正体を信じられぬからこそ、その名を口にしたくはないのだ」
自身が衛宮士郎であることを話さなかった理由は何時しか、こちらの比重が大きくなってしまったのだ。
最初はたいしたことなかった不安も、徐々に膨らみ、積み上げられていけば大きくなる。
「つまり……貴女はギルガメッシュとの戦いを、聖杯戦争に参加したことがあることを否定はしないけど、あくまで真名は告げない。そして、信じられないからこそ、その過去をあまり話したくない。そう言いたい訳ね」
「そんなところだ。そして君の問いに答えるつもりはある。と言ってもこれはすでに認めたか。まあ、とにかく私はギルガメッシュと戦ったことがある。それも、君が言う様にアルトリアと共闘してな」
「アルトリア……。なるほど、それがセイバーの真名。アーサー王の本来の名前ってことね。といっても必ずアルトリアってわけでもないのかしら……」
彼女の名前を口にするときに生じる、この感情が嘘だとは思いたくない。
「本来ならギルガメッシュとアーサー王が同じ時代に存在することはありえない。それゆえに、その戦いは君が想像したように、聖杯戦争においてのことだ」
それはかつてアルトリアと同じように、此度に召喚されたセイバーが経験したであろう第四回とは違う。
時間軸の違いではない、別の聖杯戦争。それは、奴が生きているときに経験したものと似ているのかもしれない。
そして、私と奴もまた、別の存在であるように。
「しかし、私が知っているセイバーと、ここにいるセイバーが同じ存在なのかはわからない。違うかもしれないし、同じかもしれない。ただ、わかっていることは、彼女がここにいる理由がない、ということだ」
「まあ、私たちに伝わっている通り、男のアーサー王でも問題ないわけだし。貴女の知っている姿と同じでも、同一人物である保証はないってわけね。そもそも、サーヴァントである以上結局は複製に過ぎない」
思いがけぬ凛の言葉に私は内心で驚きを表す。まったく考えていなかった事実に気づかされたからだ。
だが、凛は私の動揺に気付かず言葉を続ける。
「そのはずなのに、貴女は自身とはかけ離れた姿で召喚されてしまった。あれは、やっぱり素で驚いていたわけね」
「――そうだな。だからこそ、召喚された時に君に告げた言葉は本心からのものだった。何しろ、記憶の中にあるセイバーの姿と細部は異なりこそすれそっくりだったのだからな。元の自分とは違う姿になってしまうなど、私には不可能なことだ」
そう、それこそ聖杯――この冬木のもののようなものではなく、正しく稼動する聖杯でもないと無理ではないのか。
「貴女がアーサー王じゃないってことは知っていたわ。いや、今日確信した、と言うべきかしらね。もっとも、アーサー王だと疑ったのも今日だからあんまり関係なかったかもしれないけど。正解は、私が最初に睨んだものだった。決定的に間違っていた部分はあったけれど、多分、私は貴女が誰なのか、検討がついている」
「そうかも、しれないな」
少なくとも、私自身をアーサー王だと思ってなかったことは、ギルガメッシュに関しての問いで理解できた。聖剣での件で見せた驚きがフェイクだったのかと思うと、凛に対しての認識を再確認させてくれる。
自身の正体が、つまり自分がエミヤシロウだと知られてしまっていることは、さすがに衝撃ではあるが。
「貴女は自分を信じられないと言った。そうね、確かにサーヴァントは生前の人間性を取り戻す。だけど、それが全てメリットになるわけじゃない。貴女は、自分が信じられなくなってしまった貴女は、きっと弱い」
凛の言葉を否定できず、そして目を逸らすこともできずに立つ私に、凛ははっきりとその意思を言葉にした。
「だから言うわ。わかっていると自惚れてしまった以上、何を信じるのか、一つだけ言うことができる」
「随分と、簡単に言うな」
呟いた声は、本当に小さい。
だが、凛は耳聡く聞き取ったらしく、表情を笑みに変えた。
「そう、そんなの簡単よ。あなたの信じる世界を。貴女が言う様に、自分が別人であるなら、その世界が存在することは不可能でしょうね。でも、貴女が貴女であるなら。貴女の世界は、決してあなたを裏切らない。そうね、貴女とセイバーのこと、今は訊かないわ」
それでおしまいとでも言う様に、凛は私に背を向け土蔵から出て行く。
そのまま庭の土を踏み、玄関を通って室内に上がる。
人間を遥かに凌駕する私の耳は、土蔵から離れていく凛の僅かな足音を確かに捉えていた。
そして、居間に入ったのを確認した所で、凛の足音を追うのをやめた。
凛が何を話すのか、聞きたくなかったからだ。
代わりに、土蔵の隙間から見える空を見上げる。お世辞にも、美しい空とは言い難い。
そのままで、どれだけの時が経っただろうか。
「私には、今、それを試す勇気すらないのだよ」
これは、一度経験したことだ。一度私は空っぽになり、そこにあるものが収まった。
収まったものが正しいかなどは関係ない。ただ、そこには確かなものがあった。
だが、それすらもただの幻想に過ぎないのだとすれば。
身体は剣でできている。
だが、その言葉すら忘れていた私は、自分がかつてそう信じた剣であることを、同じように信じることができない。
自分以外誰も居なくなった土蔵で呟いた言葉は、ひどく擦れてしまっていた。
かつて、ここで幾度となく繰り返した行為を、試す勇気はなかった。
interlude
今にも眠る寸前、といった様子だったイリヤスフィールがあてがわれた部屋に引っ込むと、居間には私とシロウの二人だけになった。
アーチャーの帰還が食事中のことであったため、食卓の上に並んでいた夕食の残りは随分と冷えてしまっている。いくら五分の猶予があったとはいえ、それだけの時間で食事を終わらすことには至らなかった。何しろ私に関らず、食卓を囲んでいた皆は食事を中断していたのだから。
夕食を用意したのが凛ということもあって、献立は彼女の得意な中華であった。いったい何時の言葉だったかは定かではなかったが、彼女の言葉は正しいと思っている。それでも、生きた時代に食したものに比べれば十分ではあった。冷めてしまったとはいえ、それだけで「まずい」と言ってしまうのは、実際私の悪夢の如き食生活をなめていると思う。
確かに……「美味しいもの」を知ってしまった私にとって、残念ではあったけれど。
その感情が、表情に出てしまったのだろうか。シロウが若干苦笑しながら、私の対面に座った。
「セイバー? 食べるのがきついなら、俺が何とかするけど?」
つい先ほどまで台所にいたためか、少しだけ食卓の上の料理とは違う匂いがシロウからした。
帰ってきたアーチャーのために下拵えだけでもと台所に立ったのだ。
本来、霊体であるサーヴァントに食事は必要ない。それでも、私達――私とアーチャーは殆ど欠かさず食事をした。それは私の主たるシロウの意向でもあったし、それにかこつけた私の希望でもあった。
口では不平を言いつつも、食事の際は私に匹敵する意思を見せていたアーチャーに、夕食がない等と言いたくなかったのか。シロウはイリヤスフィールが部屋に戻るなり、すぐに台所に立ったのである。
下拵えだけなのは、土蔵に残る二人が、何時戻ってくるかわからないからだろう。
契約自体はたいした時間を要さないとはいえ、二人がすぐに戻ってくるとは考えにくい。主従二人だけでしたい話、というものがあるはずだ。おそらく、居間に戻ってきてからでも間に合うようなものを準備しているに違いない。
「セイバー? 俺の話、聞いてるか?」
いつの間にか手を止めて考え込んでしまったのだろう、シロウの声に気がつくと、目の前には中空で留まっている私の箸があった。
それをゆっくりと私の口へと運ぶ。確かに覚めてしまってはいるが、この料理に込められた技巧は失われていない。
「ええ、もちろんです。シロウの手を煩わせる必要はない。冷めてしまったとはいえ、凛の料理には十分に満足していますから」
「そうか、それならいいけど」
そう言ったシロウは、自分の分の食事に箸をつける。
それからは、二人の食事の音だけが食事を支配することになる。
だが、それも有限のことである。テーブルの上の食事は無限ではないのだから。
「アーチャーには悪いけど、一人で我慢してもらうしかないな」
二人分の片づけを終え、お茶を淹れるシロウの声には、ここでも苦笑が混ざっている。
その笑みの対象がいったい誰なのかはわからないが、負の感情は感じなかった。
「とりあえず、アーチャーが食べる間は皆ここにいる、というのはどうでしょう」
シロウから湯飲みを受け取り、両手を暖めるように持つ。
「俺はそれでもいいけど、アーチャーはどうかな。落ち着かないような気もするけど」
夕食を私たちに見守られながら食べるアーチャーを思い浮かべる。
随分と熱心に食べるときもあれば、淡白なときもあった。前者ならば、おそらく気にならないだろう。だが、後者であれば、シロウの言葉通り落ち着かなく思うかもしれない。
結局、彼女がどちらの反応をとるのかはわからないが、どちらかと言えば後者の感じを覚えたのは、やはり今朝の逃亡の印象が強いからだろうか。
「それは、確かにそうかもしれませんが」
「まあ、今日はともかくとしても。明日からはちゃんと一緒に食事できるから、そのセイバー?」
「? なんでしょうか」
「機嫌、直してくれないか?」
シロウの言葉に眉を寄せる。意味がわからない。私が機嫌悪く見えるのでしょうか。
「シロウ。言っている意味がよくわからない。シロウは私の機嫌が悪いように見えるのですか?」
「いや、いつも通りに見えるけど、なんていうのかな。なんとなく、悪いのか、なぁって」
私は湯飲みを置き、若干大げさに息を吐く。
「シロウ。それは貴方の思い過ごしだ。私は特に機嫌が悪いわけではありません」
少し言葉を強調しすぎたのか、シロウはばつの悪そうな顔をした。
「ああ、いや、悪い。なんか、俺の気のせいみたいだ」
「気のせい、ですか?」
「ああ。なんというか、何故だろう。理由は判らないけど、食事に関してはセイバーを怒らせてはいけないような気がしたんだ。こう、痛い目に合うような」
両手で竹刀を振る動作をシロウがする。それは、鍛錬の際に、私がシロウをひどい目に合わせる、という意味だろう。
アーチャーに演じた失態はともかく、シロウに対してそのような面を見せたことは、今回はなかったはずだが……。
「私は、シロウに対して理不尽な怒りを向けたことはあったでしょうか」
「いや、そんなことはなかったと思うけど」
「つまり、さっきのはあくまで想像のことだと」
「ん? そういうことに、なるかな。鍛錬で何度もすっころがされる、様な気がしてさ」
シロウにしては随分と珍しく、笑い方が大きい。想像して笑っているにしては随分と大げさだ。
まるで、何か遠いことを思い出しているかのように。
何となくシロウに覚えた違和感を口に出そうとして、シロウの言葉に先を越された。
「そういえば、セイバー。俺が最初に投影した剣ってなんだったけ?」
「は? 確か、シロウが最初に投影したのはアーチャーの剣だったと記憶していますが。私は居なかったわけですから、最初に見たのは私に突き刺したキャスターの短剣になりますが」
前回と混ざらないよう注意して言葉にする。
シロウが投影したのは決して選定の剣ではないのだから。
「だよな。俺が最初に投影した剣は干将莫耶だった。今だって土蔵にそれが残ってる。だけど……」
そこで言葉を止め、頭をかいたシロウは、少し困ったような笑みを浮かべて続きを口にした。
「何故かな。俺が最初に投影したのは、なんというかセイバーの剣だったような気がするんだけど」
「それは――私のエクスカリバーを、ということですか?」
微かな衝撃を受けた私は、できるだけ慎重な言葉を選んでシロウに返した。
確かに、私の知るシロウが、聖杯戦争の中で最初に投影したのは私の剣だった。
エクスカリバーではない。それは選定の剣。永遠に失われてしまった私の剣。
「いや、あれとは少し違ったと思うんだけど……」
その言葉に、心臓が胸を突き破りそうになったけれども、冷静さを装い、慎重に言葉を選ぶ。
「アーチャーが私と似ているから間違っている、ということではないのでしょう? 昼間にシロウが話してくれた時はアーチャーの双剣だと確かに聞きましたし。私が知っているのはキャスターの短剣のみです。シロウが直刃の剣を投影したとは、聞いていません」
「あれ……そうか。そうだよな。よく考えればセイバーみたいな西洋剣は投影して、ないよな」
「長い間シロウから離れてしまった以上、私も把握はしていませんが……」
「じゃあ、何時、俺はこんなことを思ったんだろうか」
可能性としてなら、一つ、考えられることがある。
私は、今回の聖杯戦争では、睡眠を必要とはしていない。それ故に、私が、夢を見ることはないのだが。
シロウの方は、私が眠ろうが眠らまいが、関係がない。シロウが夢を見る頻度まではわからないが、私とラインで繋がっている以上、私に関しての夢を見る可能性は十分に高い。
その、私の夢を見たときに、かつての聖杯戦争でのシロウの姿が映る、ましてや、失われた剣を投影したシロウの姿が映る可能性はあまりに低いはずだが、零ではない。
そして、かつてのことを、誰かに話す勇気は、私にはない。
だからだろうか、私が次に発した言葉は、結局は逃避に違いないものだった。
「ところで、シロウ。先程アーチャーに噛まれた際、どうして止めたのですか?」
土蔵を出てから、一度も話題にしなかった、アーチャーの行動について私は言葉にした。
「どうして、って。なんとなく、かな」
「なんとなく、ですか。噛み破られていながら?」
「まあ、結果的にアーチャーは元に戻った――外見は変わんなかったけど、戻ったんだし、いいんじゃないかな」
「しかしですね、シロウ。一応私たちはサーヴァント、魂食いであって、あのような方法は私もした事はありませんが、もしかしたらあなたは――」
「なんだ、セイバー。おまえ、アーチャーがそんなことする奴だと思ってるのか!?」
「あ――、いえ。そんなことは、決して。ただ、私はシロウが――その」
「ご、ごめん。セイバー。つい、大声出しちまった。ちょっと、セイバーがアーチャーを悪く言ったような気がして。すまん」
「いえ、私の方こそ……。軽率でした。」
頭を下げながら、私は、内心の動揺を抑えるのに必死だった。
私は今、何を羨ましいと思ったのだろう? アーチャーを? いや、それともシロウを?
頭に浮かんだ二人が抱き合うような姿を、必死で消し去ろうとする。そこに――
「どうしたの? 大声なんか出しちゃって衛宮くん。随分遠くまで届いたみたいだけど?」
私たちの奇妙な空気を吹き飛ばすような軽さと言えばよいのだろうか。実際はただ、障子を開けただけなのだが私にはそう感じてしまった。とにかく、凛が居間に戻ってきたことで、部屋に満ちかけていた暗い雰囲気が霧散した。
予想していたよりも随分と早い。
「凛? アーチャーは一緒ではないのですか? 彼女の分の食事も……」
「もしかして、いつもみたいに見張りに立っちゃったのか?」
「え? いや、たぶん、まだ土蔵にいると思うけど」
何時になく歯切れの悪い凛にわたしとシロウは顔を見合わせる。
「何か……あったのですか?」
私の発した声には過分に深刻さが混じってしまったのだろう。慌てたように顔の前で手を振る凛の姿は、たいしたことはない、と、どうにかして取り繕っているようにも見えた。
「ねえ、衛宮くん。もし、私が貴女の代わりにこの家で育っていたら、どうなってたかしら」
「俺の代わりって、切嗣の養子ってことか?」
「別にそうじゃなくてもいいわ。単純に藤村先生の立場を私にしてみても……ってそれじゃだめね。衛宮君の言う通りでいいわ」
考えてみれば妙な質問ではある。だが、シロウは本当に真剣に答えるつもりなのだろう。考え込む姿からは、私と鍛錬するときのそれと変わらぬ気持ちを感じ取れた。
時間にしておよそ一分といった所だろうか。シロウがどんな想像をしたのかはわからない。
「たぶん、今と変わらないんじゃないか」
まっすぐと凛を見つめて言葉にするシロウの瞳は力強い。
「遠坂は遠坂だろ。今とそれほど変わらないと思うけどな」
自分が褒められたとわかったのか、微かに凛の頬が染まっているが、シロウは気づいていない。
照れたのかはわからないが、凛はシロウからそっぽを向くように視線を逸らした。
「まあ、確かにそうかもしれないけど。全く変わらない、なんてことはないでしょうね。んー。質問が不味かったか。じゃあ、質問変えるから、答えてね、衛宮くん」
「お、おう。とりあえず、答えられるものならな」
「大丈夫よ。衛宮くんならできるわ」
「そ、そうか」
「じゃ、言うわよ。もし、貴女が女の子だったら、どんな娘に育ってたと思う?」
「はっ?」
シロウの言葉も尤もだ。何しろ傍で聞いていた私でさえ、ぽかんと口を開いてしまったのだから。そんな質問は私がもし男だったらなんてものと変わらない。
汗を一筋流しながら答えるシロウの腰が、若干引けていた。
「ま、まあ。想像するしかないけど。多分、俺も今と変わんないんじゃないかな。あくまで想像だけど」
「ふむ。まったく性格は変わらない。意地っ張りなのも変わらない」
「む。俺ってそんなに意地っ張りか?」
「そうね、自覚した方がいいわよ。で、多分、女の子だと、今より身長は低い、と。それで、歳をもう少し――」
身長の件で、若干シロウの肩が落ちたような気がしたが、気にしないことにする。
それより、凛の言葉の方が気になっていた。
「それで、凛。何故そのような質問を……」
「あ、ああ、ごめん。たいした意味はないから。セイバーはどっちかっていうと違うし、衛宮くんがそれっぽいかなぁって、思ったのよ」
「それっぽい? それは、シロウが誰かに似ている、ということですか」
「ま、そういうことにしておきましょう。そうね、似てる、というより、同じ。いや、開始の時点でまったく違うわけだし、やっぱり、別? でも私が男だったらなんて、やっぱりわかんないし……」
途中から顔を俯かせ、凛は何かを呟き始める。
注意して捉えていなかったためか、私に聞こえたのは「似てる」までだった。
人間外の私でさえ捉えられぬ。それくらい、凛の呟きは言葉にならぬほど小さかった。
凛はぶつぶつと呟き続けながら、居間から出て行く。それを溜め息つきながら見送ったシロウは、無言で凛の食事を片付け始めた。
「シロウ、アーチャーの食事お願いできますか? 私が持って行きますから」
「あ、ああ。わかった」
私の言葉に頷いたシロウは再びエプロンをつけて台所へと向かう。
それは、凛が似ているといった対象をアーチャーだと思ってしまったせいだろうか。シロウの背を見ていた私はいつしか、その背にアーチャーのそれを重ねていた。
「っつ――!?」
それは、一瞬のことで、その背はすぐにシロウのものに戻っていた。
interlude out
|
|
|