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interlude


「はぁっ!」

 裂帛の気合を込めて踏み込む。だが、それは声だけだった……。

 いつものようにシロウへと打ち込んだつもりの私の竹刀は、結局つもりでしかなく。お世辞にも鋭いものとは言えない代物となってしまっていた。
 いつもより、若干緩やかにシロウが後退する。吹き飛ばす、そのつもりで打ち込んだにもかかわらず、彼は微かに後退しただけだったのだ。
 それは、いくらシロウが私の良く知る彼よりも数段高い技量を持っているという事実。そのことを考慮しても、その結果はあまりに似すぎていた。
 ――かつての私に。

 だからこそ。私は我慢することが出来ず。シロウから逃げるようにして買い物に行くことを頼んだのだ。
 片手に買い物袋を提げたまま、私は聖杯戦争の最中にあるこの街を歩く。
 この時間の上では十年前、切嗣のサーヴァントとして戦った聖杯戦争に比べれば、遥かに今回のそれは穏やかだ。それは、どちらのシロウに関わらずとも変わりはない。
 確かに不穏な空気が漂っていることは認めよう。だが、こうして気を落ち着けることが可能であるくらいには確かに穏やかなのだ。仮初に過ぎないとはいえ、平穏は残っている。
 だが、その仮初の穏やかさに頼らなければならないほど、私の心は乱されてしまっている。
 それは昨夜の出来事から、確信に変わっていた。
 正しく、言葉に出来ぬ感情に、私の心は振り回されてしまっているのだ。表面的な平静すら保てぬほどに。
 ただ過ごすだけであるなら隠すことも出来ただろう。だが、剣は騙せなかった。
 先の私の剣の鈍さは、はっきりと私の心の乱れを現していたのだ。

「――はぁ」

 溜息を吐く。人の姿は見えないとはいえ、恥ずべき行動だとは思う。だが、耐え切れなかったのだ。
 すでに、目的に据え置いた買い物は終わってしまった。
 溢れんばかりに詰め込まれた食材は、枯渇しかけていたという備蓄を満たすに十分足るものであろう。
 シロウも凛も、そしてアーチャーも。十分すぎるほどの技量を持っている。これだけあれば、と――どうにか気持ちをよい方向へと持っていこうとするものの、それはもう一つの現実の方に容易く押しつぶされていった。
 買い物が終わった。それは、もう屋敷に戻らねばならないことを示しているのだ。
 そう、本来なら。用が終わったなら即座に私の足は屋敷へと向いていなければならない。
 そもそも、サーヴァントがマスターを置いて買い物に行くと言うことそのものが軽挙なのだ。
 それを自覚しているのであれば、早々に戻るのが正しい選択のはずである。
 しかし。それが分かっていても、私の足は屋敷とは若干違った方向へと向けられていた。
 私の心を支配するのは、サーヴァントとしてのあり方ではなく、まったく別のこと。

 たった、半日だ。
 たった半日で。私は。
 頭に浮かぶのは、言葉に出来ぬ感情ばかりだ。自分が抱く感情でありながら、それを制御することはできない。
 そして、制御できぬ感情が最後に行き着くのは唯一つ。そもそも――何故自分がここに居るのだ、ということ。
 それは――あの別れを選んだ私の、私たちの選択を裏切っているのではないのか。
 
 自分が聖杯を求めているわけではない。それだけははっきりと言えた。それだけは、あの別れを裏切ってはいない。
 だが、本当に自分は求めてなどいなかったのだろうか?
 朧げながらも、浮かぶのは最後の言葉。
 確か――私は。『違う夢ではなく、目を瞑れば、また同じものが現れると……?』そう言ったのだ。
 そこに、シロウとの再開を願う気持ちが一片たりともなかったと言えるのだろうか?
 自惚れではなく、シロウも……その、私を。愛していたと思う。
 そして、それでも。あの選択をしてくれたのだ。それをここに立つ私は裏切っているのではないのか。
 夢であるとしても、これは……。
 浮かべかけた言葉を慌てて消し去る。それは思ってはいけないことだ。考えてはいけないことだ。
 ベディヴィエールの言葉を謀りと誹るつもりはない。あの時の彼にはそうせざるを得ない状況だったのだ。
 それでも尚、恨み言の一つも言いたくなってしまうのは、私が弱っているということなのだろうか。
 何しろ――こんな夢でさえ、嘘とわかっていてさえ。縋りつきたくなっていることは事実なのだから。

 ――そうだ。

 裏切りであると自覚しながらそれでも。別人であると分かっていても。私はシロウにシロウを重ねずにはいられない。
 違うと断じてしまうにはあまりに二人は似すぎている。当然だ。どちらもシロウなのだから。
 愛しているかいないか。愛されているのかいないのか。
 そんな風に考えることはあまりに苦痛だった。
 ――聖杯戦争に英雄が望むものは、何も聖杯ばかりではない、のだと思う。
 かつての自分。死す前に時を止めた私は、確かに求めていた。だが、他の英霊が本当に聖杯を望んでいたのか。
 無論、私のように求めていた者もいる筈だ。だが、そうでない者も居たのではないか。
 例えば、そう。ランサーのように。
 彼が聖杯を求めているとはとても思えない。彼の望みはそれとは別にあるように思える。それはランサーだけに限らず。
 そもそも……あの時の戦いで聖杯を求めていた英霊は私以外に居たのだろうか?
 自分の意志で皆、聖杯戦争に参加したのだろうか。
 少なくとも、今回の私は。そうではない。
 それ故か。記憶を一部失っていた頃は、ほんの少し。戦う意志が弱かったのかもしれない。
 それが、キャスターに遅れをとる一端を担ったのではないか。そう思うことすら、今の私にはある。
 言い訳に過ぎないことは分かっている。自身の未熟を他に求めていることも。 
 
 それでも、考えずには居られないのだ。聖杯戦争という場所は、聖杯なくしても、英霊たちの願いを適えてしまう代物なのではないか。
 それこそ、私がもう一度と、願ってしまったように。
 ――やめよう。私は、結局のところ逃げ場を探しているだけに過ぎない。
 自分がここに居る理由を、自分の意思とは別のところにあると。そう思いたいだけなのだ。
 今度こそ、と、自分の弱さを振り切るように私は頭を振り、頭を上げた。

 気がつくと、私は公園と呼ばれる場所に立っていた。一人出来たことがあっただろうか。そもそも、一度でもここに来たことがあっただろうか。そんなことを考えながら、私は公園の中へと足を進めていった。
 大して広い場所ではないと言うのに、ここはほかの場所以上に聖杯戦争を感じさせない。そんな気持ちを抱かせる。
 だからこそ、次の瞬間かけられた言葉に、私は完全に不意を打たれたのだ。

「なんだ。随分と浮かない顔をしているが。まあよい。そのような貴様を愛でるのも一興というものだ」

 その声が私の耳に届いた瞬間、私は無様と形容されてもおかしくない驚きを浮かべたまま、背後へと振り返った。
 安穏とした空間を塗り替えるが如く、あまりに異質なモノに何故気がつかなかったのか。
 公園の入り口に立って、品定めをするように私を見つめる男は、つい先日、意思のなき私が矛を交えた英雄だった。
 傲慢さが服を着たような存在であるが、それが許されるだけの器を男が持っていることは認めざるを得ない。そんな男だ。
 その視線は、私をただのモノとしか見ていないかのような。そう思わせる底知れない冷徹さを秘めている。

「ふん、驚いてはいないようだな。まあ、すでに一度会ってはいるか」

 その言葉は、驚きを隠せぬ私を嘲笑うためのものか。それとも、ギルガメッシュの存在そのものには驚いていない私への言葉なのか。私には判断できなかった。
 あの時と変わらぬ姿。現世の衣を纏った英雄王が、薄く笑みを浮かべながら近づいてくる。
 違うのは一度目と二度目が同じ人物であっても、目の前の彼が、彼らと同じかどうかはわからないということだ。
 緊張しながらも、妙なことを考えていると頭の片隅で誰かが言ったような気がしたが、そんな余裕はたった一歩で霧散する。
 英雄王が歩を進める。その距離が近づくに比例して、私の緊張も高まっていった。

「そう構えるな。今、貴様に用があるわけではない」

「前のように戯言は吐かないのですか」

 必死に出した声は、ひどく硬く、また常より少し小さかった。
 それを気づかれまいと、さらに必死になって私は視線に力を込めた。目の前の男を視線だけで殺すと言わんばかりに。
 その視線をギルガメッシュは事も無げに受け止め、さらに口の端を歪めてみせる。
 私との距離はすでに十歩もない。

「そんなに我のものになりたいのか? そうであれば容赦はしないが。ふん。今は俺にも目的がある」
 
 用がないとは事実なのだろう。以前のような不快な執着はギルガメッシュからは感じられない。その理由は一体何なのか。

「目的?」

 思わず口を出た疑問であったが、ギルガメッシュの耳には届かなかったのか。おそらく、答える必要などないと、常の傲慢さを発揮したのだろう。執着こそ感じはしなかったが、モノを見るような視線は変わっていない。
 だが、何時の間にか歪んでいた唇は真一文字に閉じていた。
 その首が私以外の場所へと向けられ、唇が小さく開く。

「今の状況は中々に都合がよい。その時が来るまで一時の猶予を与えてやる。せいぜいままごとの日常を楽しむがよい」
 
 侮蔑にも似た視線を、私ではないどこかへと向け、再び口を歪めた。
 私より高い位置にある瞳を何時の間にか見ていた私の、不意を撃つかのようにギルガメッシュの瞳が私に向けられた。  
 そして、何も言わずあっさりと私に背を向けた。

 その紅き瞳に映る嘲弄を隠そうともせず、ギルガメッシュは公園から立ち去る。
 あまりにもあっさりしすぎる行動に、私は不振を感じざるを得ない。だが……
 その気配が消えるまで、最後まで。私は戦意を抱くことが出来なかった。

「――これは重症ですね」

 今度こそ誰もいなくなった公園で力なく呟く。
 確かに、単体で挑むにはあまりに強大な相手だ。かつて何とか勝利を拾ったとはいえ、それはあくまで紙一重のものだった。認めたくはないが十戦すれば確実に半分以上落とすだろう。それに……今の自分の精神状態を考えればかつてのそれよりさらに低くなる。
 そもそも、こんな浮ついた状態で勝てるような安い相手であれば、英雄などと呼ばれはしない。
 ギルガメッシュでなくとも、今の私が勝てるようなサーヴァントなど存在しないだろう。
 敵を前にしながら、武装をするということさえ行わなかったのだから。
 そんな体たらくで、シロウを守ることなど出来るはずがないのだ。
 出来るはずないが。そんなあまりに後ろむきな考えが少し、癇に障った。
 自分の主が誰であろうと。理由もわからずまた、聖杯戦争に呼ばれようと。あの別れは――あの誓いは、あの決意は。
 瞳を閉じれば、まるでつい一瞬前に起こったように思える反面、まるで遠い過去のようにも思える。夢。
 矛盾しながらも、胸にあるものはまったく色褪せることなく残っている。
 だが、瞳を開けばそこにあるのは広がる青空だ。あの朝焼けとは姿を異にする。それは、夢。
 夢だ。そして、夢ならば覚めねばならない。それがどんなに自分にとって安らかなものであっても。望ましいものでもあっても。
 今、ここに立っている自分が、現実なのだから。
 
 空元気でも、私は自分自身に気合を入れると、少し大股に公園を後にした。
 だというのに。
 だというのに。帰りついた先。道場では……。




 interlude out




 道場の入り口に立つセイバーはどこか表情が優れない。切羽詰ったような声と同じくして表情も険しかった。
 そんなに私がこの格好でいるのが嫌なのかと、微かに私は表情を曇らせてしまったが、セイバーの意志はそれを遥かに凌駕するものだった。私の表情が曇天ならば、セイバーのそれは雷が無数の柱となるような、そんな空だろうか。

「駄目です。アーチャー。そのような顔をしても、私は決して認めませんから」

 そう宣言するセイバーは、普段の彼女からは想像できぬほど肩に力が入っていた。心なしか声も震えているような気もする。頬が上気している理由が怒りではなかったら、逆に私も気恥ずかしくなったかもしれないが。そんな余裕があるはずもない。セイバーの言葉に対する不満は、顔に出てしまっていたようだが。それは私の意志ではないので余裕とはまったく関係がない。
 ただただ、セイバーの一挙手一投足を見守るばかりである。それは私に限ったことではなく、この道場に居るものたち全てがそうであった。
 
「―――っく」

 思わず喉を鳴らす。
肩を怒らせながらこちらへと近づいてくる姿は、怪獣……いや、竜の行進のように見えた。靴下は音を消していたが、まるでデフォルメされた足音が効果音のように鳴っているような気さえした。
 残念なことにセイバーの格好は赤くはないが、その、表情は紅い。
 距離が縮まった私とセイバーの視線がまったく同じ位置で交差する。
 だが、その瞳の強さは比べるべくもないだろう。
 私の瞳は、セイバーと違って力ない。完全に圧倒されていたのだ。敗北していたと言ってよい。烈火の如き気勢に、私の心はただただ翻弄されるばかりであった。
 そんな私の弱気をセイバーは畳み掛ける。

「いいですね、アーチャー」

「あ、ああ」

 それに私は頷く他ない。それしかできない。

「それでは行きましょう。ええ。今すぐにでも」

 そのセイバーのあまりの強引さに私は、口を開くことさえ許されず。道場から退場することとなってしまった。
 セイバーに手をつかまれた私は、体と足がずれたまま引っ張られる。先行する体に慌てて足を合わせようとした私の目に、一瞬だけ凛が映った。
 初めての凛への援護だ。勝ち誇っているかに思えた凛は、予想外にも複雑な表情をしていた。
 

 私の背中を押して(実際には私を引っ張ってだが)道場から退場させた張本人であるセイバーは、その手首に買い物袋を提げたままである。
 セイバーの手から何とか逃れようとした私の目に最初に映ったのは、まずそれだったのだ。
 冷蔵庫の中を埋め尽くすに十分な量のそれは、もしかするとセイバー本人の筋力だけでは持って帰るに不可能な重さだったかもしれない。それほどの量だった。
 いくら衛宮士郎とパスが繋がっていると言っても、決して燃費が良いとはいえないセイバーだ。魔力の無駄遣いは警告せねばならぬことのように思えるが、食事は彼女のモチベーションを高めるのに買っている。つまり、安易に怒ることは憚れるわけで。
 ――そもそも、今の私はセイバーに苦言を言えるほどに余裕があるわけではなかった。
 セイバーの剣幕に押されっぱなしだったのだから。
 剣幕、といってもセイバーが言葉を口にしているわけではない。ただ、無言で見つめているだけである。
 しかし、怒っているのはその瞳から、きつく結ばれた唇から簡単に察することが出来た。

「着替えてください。アーチャー。それはもう、風の如く」

 ややもしてセイバーから放たれた言葉に、私は一も二もなく頷くばかりであった。
 私に宛がわれている部屋へと一直線に向かったセイバーは、私が何を言う暇もなく器用にドアを開けて私を入れた、引っ張り入れたのだ。
 よく考えれば手首に買い物袋を提げたまま私の手を引っ張ることも器用といえば器用だろう。結局一度も私にそれは触れなかったのだから。
 セイバーの背、というよりもその手に提げる買い物袋に視線を合わせていたためにそんな考えが浮かんだのだろう。
 余裕がないと言っている割には、多少危機感がないのかもしれない。それとも、セイバーの怒りに対して楽観があるのだろうか。
 とにかく、まだ。私はセイバーの言葉をよく理解してはいなかった。いや、理解はしていなかったというより、まだ状況を把握してはいなかったのだ。
 着替える。それの意味はわかる。セイバーが何を持って、私の格好を不服としているのかはわからない。
 もしかすると、ほとんど差異がない私の姿に何か嫌な記憶でも呼び覚まされたのかもしれない。
 何しろ、彼女は王として――生きてきたのだ。ドレスは……どうなのだろう。
 想像することしか出来ず、真実は見えてこない。それもそうだ。今の私は、セイバーの歩みを夢で見ることもないし、そもそも夢を見ない。眠らないのだから。
 ……いや、眠ったとしても私は夢を見ることはない。いつかのセイバーの言葉が正しいのであれば、サーヴァントは夢を見ないはずだ。

「アーチャー? 何をぼんやりとしているのですか。私の話を聞いていますか?」

 言葉だけは丁寧に。だが、口調は激しさをもってセイバーが私に詰め寄る。だが、それでもまだ、私は単純にセイバーの言葉を実行しようとしただけだった。
 すなわち、ドレスを、片方の肩を外気に晒したところで。
 やっと、自分がしていることと……その状況に気がついたのだ。

「ななな、セイバー?」

 私の口から出た言葉はあまりにお粗末なものだった。
 こんな意味のない言葉では、セイバーには何も伝わるはずもない。
 案の定、セイバーは眉を僅かに顰めて、瞳に困惑を浮かべるばかりである。その困惑の色も、それ以外の強固な意志に比べると本当に僅かなものであった。それこそ、具体的な言葉を口にすることを躊躇させられるくらいには。

 だが、だからといってすぐに着替えることが出来るはずもない。

「セイバー。さすがこの状況ではその、なんだ……」

 目が覚めた今でも、セイバーに押されっぱなしの私であったが、さすがにこれは言わねばならなかった。まさかセイバーの前で着替えをするわけにもいかない。もっとも、着いてきたのではなく、私を連れてきたわけであるから、私の言葉は間違いではある。
 やはり、動揺は隠せない。だが、それでも譲れないことでもあったわけだが。
 セイバーの方も断固として譲るつもりがないのか、無言のまま重圧をかけてくる。
 女同士だから、良い。そう考えてでもいるのだろうか。しかし私は……。
 前の自分なら、と一瞬考えもしたが。それでもできるのはせいぜい上半身だけだ。といっても、かつて私はあの廃墟とここで……。
 そこまで考えて慌てて顔をセイバーから背けた。赤面してしまったからである。
 だが、その反応は思いもよらぬ効果を生んだらしく。

「わ、わかりました。アーチャー。部屋から出て行きますから」

 何故か、不沈の戦艦にも思えたセイバーを揺るがすことに成功してしまっていたらしい。
 どこか慌てたように出口へと向かったセイバーだったが、さすがは、と言うべきか。
 再び強張った表情を見せると一言。
 
「ですが、きちんと着替えてもらわねば困ります。十分後には戸を開きますからね」

 私の着替えに制限時間を付けたのであった。
 それに僅か私が絶句している間に、戸がゆっくりと閉められる。それでも閉まるときには微かな音がした。
 それで、私は微か開いていた口を閉じる。セイバーが宣言したからにはきっちり十分後には目の前の戸は開かれるだろう。
 現に彼女は部屋の前から動いていない。
 それは決して逃げられないことを示しているわけで。

「―――――はぁ」

 さすがに耐え切れず、私はセイバーに聞こえない程度の声量で溜息をついた。
 そんな風に溜息を吐く位だから、私とセイバーの力関係は知れている。私のほうが圧倒的に弱者だ。

「―――――はぁ」

 もう一度溜息が漏れる。
 今ならわかる。自分が何故着替えたくなかったのか。
 
 それは。今更ながら私が、自分の体を見ることに恥ずかしさを覚えているからだ。
 
「―――――くっ」

 その自分の考えに思わず苦笑が漏れる。随分と乾いたそれだが、今は相応しいのだろう。
 何が自分の体だろうか。これは決して自分の体などではないはずだ。
 だが、現実は無情である。
 私が何を思おうと、この体が突然元の体に戻ったりはしないのだ。
 今は、セイバーの偽者であるかのような、この体でしか。
 ……着替えよう。


 すべてを脱いだ私に次に降りかかった難題は、それを付けるか否か、と言うことであった。
 ここに来てから、凛に用意された(借り物では決してない。借り物であったら私は悶死してしまうかもしれない。すでに死人であることは別にして)服を着ていたのは間違いない。そして、それは同時にある物も付けていたことになる。
 何故、それを付けることに自分がたいした抵抗を持っていなかったのか。今の私には、つい最近の自分のことであるというのに理解できなかった。
 どうして、私は躊躇なく下着を、女物の下着を着けていたのだろうか。
 頭を抱えたくなる事実に、実際に頭を抱えた。
 無理だ。無理である。
 いくら現実的なことを考えれば付けるほうが好ましいとはいえ、元の私は男である。
 手の上にある物を横目でちらりと見る。どうしてか正面から見ることはできなかった。
 例えば、衛宮士郎がこれを付けている姿を。元の自分にもっと近いアーチャーが付けている姿を想像できるか。
 もちろん否である。それは、あまりに、つらい。
 それと同意なのである。自分がこのような姿になろうと。これを付けることは。
 下は男物で代用できるだろう。これからは間違いなく、それを穿く。だから、今まで履いていたことは封印すればすむ。忘れ去ればよいのだ。記憶から。
 消してしまえばよいのだ。この現実から。跡形もなく。証拠も何もかも全て……。

 しかし、上はどうするべきなのか。
 刹那にも満たぬうちに全てを終わらした私だったが、すぐさま問題は浮上してきた。
 何も付けない、というのも却下である。それは先ほど試して我慢が出来なかった。元より、その性に生まれたものなら気にならないのだろうか。等と益体もないことを考えはしたものの、私にはまったく関係がない。解決には繋がらないのだ。
 なら、どうすればよいのか。
 ――つまり、これよりは耐えられるものを付ければよい。
 それを思いついたのは、悩み始めてから随分と時間がたってからだった。

 だが、果たして可能だろうか。
 両目を閉じる。要は剣と、鎧と同じ要領のはずである。
 理論はわからない。だが、できると信じろ。そう心に念じながら、私は紅い色をイメージした。
 それと同時に、両の手の平に微かな重みを感じる。目を開けたそこには、思ったとおりのものが存在した。
 聖骸布である。紅く慣れ親しんだこの布が、まだ使えることに私は微かな喜びを感じた。
 投影と同じように。もう、この手には戻らないのではないかと不安に思っていたのだ。
 何しろ、召還されたときの姿と違い、今の私の体はこれを纏ってはいないのだから。自分の意思に関係なく、消えてしまっていたのだから。
 だが、これから行おうとしていることは間違いなく、聖骸布に相応しくないことだ。
 他のもので代用すれば良い。そう言われるかもしれない。いや、これの価値を知っているものなら間違いなくそう言うだろう。そのような軽挙はやめろと。冒涜だと。それとも、もしかして面白がるのだろうか。
 他愛もないことを脳裏に浮かべながら、私は両手で自分の胸に聖骸布をあてがった。
 つまり、私は――聖骸布をさらし代わりに使おうとしているわけだ。

「何時までかかっているのですか。アーチャー。開けますよ」

 そのセイバーのどこか焦れたような声に慌てて時計へと目を走らす。
 時間はセイバーが出て行ってからすでに十数分過ぎてしまっていた。
 その点で考えれば、私の予想は外れていたわけなのだが。問題は別にある。
 そう。時間切れだったのだ。
 宣言通り十分きっかりに入ってこなかったのはセイバーの優しさ上か、それとも単純に正確な時間がわからなかったためなのかはわからない。今問題なのはそれではなく、着替え終わっていないこの状況でセイバーが入ってきてしまうことにある。
 そして、それはあまりによろしくない姿をセイバーに晒してしまうことでもある。
 慌てて制止の声を上げようとした私だったが、それはかなわぬ事であった。
 勢い良く障子が開かれる。常なら壊さないかと冷や冷やするところだろうが、私には出来なかった。ただ。

「―――あ」

 と一言間抜けな声を漏らしただけである。

「アーチャー、それは何を穿いているのですか?」

「何をとは、セイバー、そのようなことを私に訊くのか?」

 恥ずかしさに表情が強張りそうになるのを必死で押さえ、渋面を作ることに専念する。

「ええ、これは大事なことですから」

 笑みを浮かべた顔は、どこまでも優しいが、それと同時にどこまでも恐ろしい。
 逃がすつもりは毛ほどもないようだ。

「答えられないようですね。では、どうして、などと言うことは聞かないでおきましょう。わからないでもありません。ですが、貴女が穿いているもの、私が理解していないとでも?」

 セイバーにも等しく聖杯からの知識は与えられている。なんとも無駄なそれだが、それが此処までの苦境をもたらすとは。

「それで、私は有罪なのか?」

 既に諦めきった口調で訊ねる。何しろ私では彼女には勝てない。無駄なことはしたくなかった。無駄に疲れることは。
 
「ええ、凛、少しアーチャーを借りて、いや、そうですね、凛もどうですか?」

 そこには、悲しいかな限りなく邪悪な笑みを浮かべた凛の姿もあった。




 結局、衛宮士郎も同行することになったのは、やはり安全を考えた上でのことだろう。
 それならばイリヤもつれてくるべきだったのかもしれないが、それはできなかった。
 何時の間にか衛宮低に来ていた二人のメイド。特に片方に許可がもらえなかったからである。
 もっとも、道場でなにかあったのか私が出かけることになったとき、イリヤはすでに眠っていたわけで。それを起こすのも忍びない。メイドが外出を反対するのも仕方ないことなのだろう。
 ……イリヤのマスターとしての適正はともかく、肉体に関して言えばあまりにもろいのだから。
 そして、それを一番よく知っているのが彼女たちなのだ。終ぞ、私は詳しいことを知ることはなかったのだから。
 それでも微かな不安は残る。
 ギルガメッシュと共にいた間桐慎二の言葉を思い出す。
 奴はイリヤの心臓が聖杯だと言った。
 それは、奴にとってイリヤの心臓だけが目的と言うことに他ならない。それはイリヤの命を必要としていない、ということになる。
 かつての戦いでイリヤは誰か――何故かこの人物だけは思い出せなかったが、なんとなく推察は出来る。だが、確証がない。その男に連れ去られた。即ち、その男がギルガメッシュの新のマスターであり、所詮間桐慎二は仮初の主に過ぎない、はずである。
 あの時は、イリヤの命はあった。だが、今回のように何らかの事が起こり、ギルガメッシュが枷から解き放たれたのだとしたら。
 事実として、ギルガメッシュのマスター。言峰綺礼がキャスターの襲撃により姿をくらましたのは確かだ。サーヴァントと相対した以上死したのかもしれないが、そうは思えなかった。
 いくらこの男に関する記憶がすっぽりと抜け落ちていたとしても、状況と、残りの記憶を整合させれば奴が誰の主なのかは判断できる。
 言峰綺礼ではなく、ギルガメッシュがイリヤを狙うのだとしたら。奴はイリヤの命を必要とするのだろうか。
 そもそも……言峰綺礼とギルガメッシュの目的は同じなのだろうか。

 結局凛に詳しく答えはしなかったが、確かに私はかつてセイバーと共にギルガメッシュと戦ったはずである。
 記憶が正しいか、それ自体は関係ない。
 重要なことは。自分自身の記憶の中で、奴と戦った時間はたいしたものではない、ということだ。
 私は確かにギルガメッシュと戦いはした。だが、所詮は力なき衛宮士郎であった私は、奴を倒してはいない。
 それを為したのはセイバーであり、倒した光景が私の中にないのだから、私自身はその場にすらいなかったはずである。
 そして、その間の時間が記憶にない、ということこそ、私が最後に戦った相手が言峰綺礼であることを示している。
 だが、今、奴の姿はない。奴が死ぬとは思えなかったが。だからといって奴が死んでいる可能性がゼロだとも思わない。

 
 その私の不安を一蹴したのがセイバーの言葉だ。
 彼女は、決してギルガメッシュが襲撃してくることはないと断言したのだ。少なくとも、日が高いうち、という限定条件付ではあったが。
 その主張は、何故か私の疑念を理由なく吹き散らした。
 その理由はわからなかったが、それを考えるのは今ではないのだろう。

 何故なら、それは……不幸と言うべきか。いや、間違いなくそうであろう。そうにちがいない。
 私は、このようにして悩むことは許されぬ立場にあるのだから。
 何しろ。私は完全な異界にいるのだから。
 この状況を考えると、私が着替えることを拒否してしまったことそのものが間違いだったのだと思い知らされる。
 セイバーのように直感がこの体には備わっているのではないか。かつて、そう考えたこともあったが、それは間違いだったらしい。
 もしくは――間違いではないが。それ以上の運の低さにより裏目になってしまった。そういうことなのかもしれない。
 とにかく、何を嘆こうと、この状況が好転することはないのだ。

「何してるのよ。早くこっちに来なさい」

 そう呼ぶのは凛である。この場所に行こうと提案したセイバー自身は、この場所に来たことで満足したのか。衛宮士郎と二人で、同じ建物内の別の場所に行ってしまった。
 頼りないとはいえ、衛宮士郎がいれば少しは違ったかもしれない。
 惨めであることに変わりはないが、それでもある種の救いになったかもしれないと言うのに。

 それは、きっと嘘だろう。
 いや、おそらくそれは。つまり、結局のところは嫉妬に過ぎないのだ。
 セイバーと衛宮士郎が二人でいることに対して。二人の間にある、空気に対しての。
 醜い、嫉妬なのだろう。
 気に入らないのだ。二人でいることが。私には。
 衛宮士郎が私であり、そして私ではないことが。

 自嘲すればするほど、頭を垂れてしまう。見えるのは地面と、自分の格好だ。
 もちろん、今の格好は鎧下のドレスなどではなく、拠点を移す際にセイバーと時を同じくして渡された服である。
 下に付けているものは自前の品である。それだけは断固として譲れなかった。

「ああ」

 私は力なく凛に答えると、先ほど店員に進められたブツを手に、試着室へと足を進めた。
 だが、進めようと、半ば諦めていた心がそう決めてしまっても。実際には私の足は動かなかった。

「アーチャー?」

 返事をしておきながら、立ち止まってしまった私に凛が訝しげな声をかける。
 だが、不可解なのは私も同じだった。
 私はすでに諦めてしまっている。もはや覚悟を決めて……決めてこれを付けるしかないと諦めているのだが。
 私の両足は断固としてここより先に進もうとはしなかったのだ。
 そう、心は折れても、体は決して屈してはいない。
 そのことに、遅まきながら気がついた私は、小さく深呼吸をすると凛に向かってはっきりと自分の意思を伝えるべく口を開いた。

「凛。これを買うことは百歩譲ったとして、認めることは出来る。もともと君が買おうとしているのだからそれを止めることは出来ない。だが」

 そこで一度口を閉ざす。
 拒否を告げる言葉を吐くことすら、赤面しそうになるのだ。
 だが、言わないわけにはいかない。

「私はこれを、付けるつもりはない」

 そして、私は自分の意志を言い切った。
 そして凛が告げるであろう沙汰を待つ。何を言われるにしても、覚悟はしておかねばならない。
 それはきっと時間にすればほんの数拍分でしかなかったのだろう。
 だが、私にとっては永劫に等しく感じるものだった。

「仕方ないわね。一応買うだけで許してあげるから。でも、言い訳はセイバーにしなさいよ。それに、無駄なものを買うわけにはいかないから……付けなくても、ね」

 凛の告げた言葉は、私を人の生きる世へとすくいあげたものの、すぐに地の底へと落とす非情なものであった。
 それからのことは、何も言えない。
 ただ、衛宮士郎がいなくて良かったと、私は先の考えを覆すことになったのは確かである。
 それはセイバーも同様であり、心の底から安堵したのだ。
 そんなことで安堵せねばならぬ状況が、信じられぬほど悲しいことであったが。

 そして、その安堵すら絶望の前触れに過ぎなかったということも。
 衛宮士郎が不用意な言葉でも吐いたのか。

 結局、私はそれを着けることはなかったものの、二人に遊ばれるような形になってしまったのだ。
 凛はともかくセイバーがそんなことをするということが、あまりに異常だということも気づかぬくらい。
 何もかも消してしまいたいと思うばかりの時間が私に、襲い掛かったのだ。
 
 
 いくつの溜息を吐けば、この気持ちを表せるのか。私にはわからない。


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