気を失って脱力している衛宮士郎を抱え、一足飛びにその場から離れる。
生きている。これが重要だと思った。死んでしまってはどうにもならない。
常人では、致命傷と言っても過言ない衛宮士郎の背中の傷は、緩やかに、だが確実に修復されていく。
「っ―――あっ―――」
再び戻った夜の静寂に苦悶の声が響く。
それはキャスターの声だった。その姿はぼろぼろで、ローブは見るも無残に引き裂かれている。
座り込んだ地面は、彼女のものだろう血液で濡れていた。
先の攻撃は無駄ではなかったらしい。
それでも、これほどの傷を負った上で、あの魔術をかけたキャスターの技量、そして精神力には感服するが。
破損した身体の修復に魔力を全て回している様だ。
あいつ―――アーチャーを睨むその目には、痛みと激情が見える。
そう、あいつには俺を戦闘不能にすることができたはずだ。
だが、結果として、俺は倒れてはいない。
あいつは黒と白の双剣を握ったまま、立ち尽くしている。
ただ、呆然と、気を失った衛宮士郎を眺めている。
「アーチャー、 一体何を考えているのですか」
キャスターの掠れた様な声が静寂を破る。あの傷に耐えて俺の隙を作ったのだ。
必勝の機会を得ながらもそれを逃したあいつに、怒りを覚えるのも頷ける。
だがあいつは反応すらしない。茫洋とした沈黙がただ、不気味に続く。
それに耐え切れなかったのか、キャスターはもう一度先程よりは幾分はっきりした声を上げた。
「アーチャー、その態度は―――」
「―――――――は、はは、はははははは!」
だが、突如あいつがあげた狂ったような笑い声がそれをかき消す。
その瞳には光が戻り、心底可笑しいとでもいうかのように笑い続ける。
「な、何が可笑しいのですか、アーチャー!」
それを驚くほどの声量で以ってキャスターが破った。
見ればキャスターの傷は外見だけは修復されている。だが、その中身は重症のまま。
これ以上の戦闘は無理だろう。それでも大声を上げることくらいはできる様になったらしい。
女の激情とは御しがたいものだが・・・・・・キャスターでなくても、あいつの奇行には声を荒げたくもなろう。
あいつは狂ったような笑いを止め、いつもの皮肉気な笑みを浮かべる。
先程まで瞳に浮かんでいた暗い輝きは消え去り、鉄のような鷹の瞳に戻っていた。
「これが可笑しくないはずないだろう?」
そう言って俺に視線を移す。気配でキャスターが戸惑うのが感じられた。
当然だ。何故笑うのか。何が可笑しいのか、まるで見当がつかないのだから。
「お前なら解るのではないか?」
俺なら解る?
俺の戸惑う気配があいつにも伝わったのか、その目が鋭くなる。
「どんな経緯を経たのかは知らんが、お前はエミヤだろう?」
気づいているとは思っていたが、口にされると衝撃もだいぶ違う。
それでも表面上は冷静を保ったが、どうやら無駄らしい。あの目はすでに確信している。
だが、エミヤなら解るとはいったい―――
「む、勘違いか。かなり変質してしまったようだが、中身はほとんど変わらんと思ったのだが」
「それとも、お前は―――――――」
「まだ、見ていないのか?」
それはなにか重要な響きを持って放たれたような気がした。
理由もわからず、大地に膝をつきそうになる。
そう、姿なんかに関係なく俺とあいつの決定的な違い。
「どうやら、間違いないようだな」
そして、再び視線を衛宮士郎に移す。
明確な殺意が、俺ではなく衛宮士郎へ向けられる。
「お前は、俺よりもそいつ寄りの様だが」
それでも抑えていたのだろう、それは益々大きくなり。
「お前も先を知れば、俺と同じ選択をする」
あいつの双剣を握る手に力がこめられる。
「もっとも、それは不可能かもしれないがな」
あいつは突風と化した。
それと同時に俺もあいつから逃げるように離れる。
自分殺し。英霊となったエミヤによる過去の自分の殺害。
たしかに、衛宮士郎を見ていると、不快な気持ちを抱くこともなくはないが、殺意を抱くほどではない。
何があいつを変えてしまったのか。
「考え事とは余裕だな」
目の前を黒い切っ先が掠める。
元々速度が違う。予想より早く追いつかれた焦りを隠して、続けて放たれた刃をしゃがんでかわす。
「む?」
あいつが驚いたのは俺がしゃがむ前に衛宮士郎を上に放り投げたため。
俺と衛宮士郎、どちらを狙うべきかと一瞬迷ったのが隙を生む。
その一瞬の隙に投影した長剣を力任せに下から切り上げた。
「ぬ、ぐっ」
あいつはそれを余裕をもって双剣で受けたが、その威力までは想像できなかったのだろう。
その長躯は僅かに地から離れる。そこに間髪いれず横薙ぎに剣を叩きつけた。
激突する二つの剣戟。だが、僅かに宙に浮いた上体では剣の重さに耐えられない。
大きく弾き飛ばされた、あいつの長躯が大きく弧を描いて落ちていく。
さすがに背中から落ちるようなへまはせず、身を翻して着地する。
その間に落下してきた衛宮士郎を掴み、そのまま駆け出す。
「驚いたな。まさかこれほどの馬鹿力だったとは。あの大英雄に匹敵しよう」
だが、俺には速度がない。奴もサーヴァントの中で速いというほどではないが、それでも俺に数段勝る。
あいつにもそれは解っているはずだ。
すでに二度ほど衛宮士郎に一撃を加えてみたが、まったく目を覚ます様子がない。
だからといって、衛宮士郎を放っておくわけにはいかない。
あいつは俺よりも、衛宮士郎を殺すことを優先させるだろう。
傷ついているとはいえキャスターも油断できない。今はただ、静観している様ではあるが。
俺が消えるのも遠慮したいが、セイバーを奪われるのも我慢ならない。
「ぬっ?」
風を切る声が聴こえる。これはまさか―――
いつの間に投擲していたのか、陰陽の双剣が、左右から襲い来る。
急制動をかけた体の前を双剣が横切る。
「ちぃっ」
足元に衛宮士郎を落とし、身体の向きを変え、
それを受け止めるあいつの双剣。身体を泳がせるあいつにかまわず
「づっ」
背後から飛翔した莫耶に浅く腕を切り裂かれる。
その隙に敵は干将を叩きつけ―――
「―――っはぁ」
それを渾身の力で弾き飛ばす。
だが、さらに背後から迫り来る干将。避けきれず、刃が頬を裂く。
そして、俺の無防備な胸元に敵の残った莫耶が叩きつけられ―――
俺はそれを打ち砕いた。
一秒に満たない攻防。
時間が凍る。
双方共に限界。
俺は完全に体勢を崩し、敵の手に刃はない。
だが、双方共にその先を知っている―――!
動きの取れない俺と、得物のない敵。
敵の手にはそれが用意され、カラの両手に双剣が現れる。
左右から繰り出される双剣。それを視っていながら避けることはできなかった。
肉体が思考についていかない。いや、そんなことは言い訳に過ぎない。
避ける事はできない。初めからそんなことは判っていた。何故なら足を止めてしまったときにもう終わっていたから。
エミヤという存在の必殺、干将莫耶の真意。
即ち
鶴翼欠落不
心技泰山至
心技黄河渡
唯名別天納
両雄共名別
セイバーなら全て防ぐことも出来たかもしれない。
だが、俺に捌けたのは四手まで――――――。
「――――――あ」
意図せず声が漏れる。もっとも音にはならず、それはただ息を吐いただけかもしれない。
許されたのが、ただそれだけのものだっただけ。
背中から倒れこむ。もっとも、ちょうど頭の部分に衛宮士郎の体があり、クッションになったが。
人の身では間違いなく致命傷。衛宮士郎に大量の血液が流れ落ちる。
鎧を貫通し、干将と莫耶は容赦なく内臓をばら撒いた。その一撃は背骨にさえ達している。
「ぐっ―――は、ぁ」
激痛に初めて声らしきものが漏れる。
通常なら即死しているはずの傷でも、この身体は死にはしない。
何故ならサーヴァントであり、彼女に酷似したこの身体には自然治癒力が備わっている。
強力な再生能力と、それを補うかのように有り余る魔力。
このままの状態ならば、十分と言わずに回復するだろう。
何せ、手加減されたのだから。鶴翼三連。干将莫耶は通常のまま。
だが、動けるわけではない。今の無防備な心臓を突く事などたやすいだろう。
ましてや気絶している衛宮士郎を殺すことは赤子の手をひねるより簡単だ。
動ければ。
視線の先に、うつぶせに倒れたあいつが見える。
その距離は数十センチと離れてはいない。
双剣が俺を切り裂いた瞬間、俺は手にある長剣を捨て、両の手に干将莫耶を投影したのだ。
未熟とはいえこの身は弓の英霊。俺を背後から襲った双剣は、再び戦場に戻り、爆撃めいた一撃を放ったあいつを、刹那と間を置かず背後から切り裂いた。
柳洞寺の裏側。月は等しく皆を照らし、池の水面にその偽りの姿を映す。
この場に立つものは皆無。サーヴァントが三体も揃っていながら、夜の静寂を破ることはなかった。
そして動く者も皆無。ただ、ゆっくりと時間が流れる。
「ぬ―――む―――」
初めに動き始めたのは赤い騎士だった。
呼吸は乱れ、地に着いた両腕は情けなく震えている。
額には汗が流れ、その顔にも苦悶が浮かぶ。
それに対抗する様に俺も左手を強く握り締めた。
それでも立ち上がったのは、あいつが先だった。
その身を自らの血で益々赤く染め、辛うじて立っている。
対して、我が身は立ち上がること叶わず、ただ、凝視するのみ。
歩いて数歩の距離。それだけ進むだけであいつは衛宮士郎を殺すことができる。
その瞳は真っ直ぐ衛宮士郎を見つめ。
「な―――ぜ、いつ、を―――殺」
喉の奥から血液が溢れ、満足に声が出ない。
答えが返ってくるとは思えなかったが、それでも問わずにいられなかった。
ゆっくりとあいつの瞼が閉じる。
「私怨―――――――ただの八つ当たりだ」
吐き出されるようにして、答えが返ってきた。
そして一歩踏み出す。瞳には鉄の意志。
「お前が何故彼女の姿をしているのか。理由は知らんが衛宮士郎には消えてもらう」
さらに一歩。
「私だけでなくお前も消えるかもしれんが、キャスターには諦めてもらおう」
右手に干将が握られ。振り下ろされる直前―――
「アーチャー!」
如何なる奇跡か、絶望にも等しいこの状態を救ったのは、思いもよらぬ人物だった。
声と共に強大な魔力がこの身に叩きつけられる。
それはほとんどが俺の身体と、それに重なるように倒れている衛宮士郎に触れる前に霧散した。
だが、広範囲に放たれたそれは、全ては消えず赤い騎士を吹き飛ばす。
駆けてきた凛は俺と衛宮士郎を見て
「衛宮君、は生きてるみたいね」
ほうと息を吐いた。
「アーチャー、立てる?」
「ああ、なんとか」
言葉通りに立ち上がる。それでも、自力では立てないから、長剣を支えにしながらではあるが。
林の中を突っ切ってきたのだろう。凛の身体にところどころ枝が絡まっている。無茶もいいところだとは思ったが、その無茶に助けられたのだから、何も言えない。
「で、あいつが、あんたの言うもう一体のアーチャーってわけ?」
元々あいつは対魔力が高い方ではない。
先の一撃は致命傷とまではいかないもののかなりの傷を与えていた。
とくに左腕の傷がひどく、辛うじてつながっているだけに見える。
凛とあいつの視線が交わる。
その瞬間あいつはこちらに聞こえない声で、呟いた。
「凛」と。
いまだ戦況は劣勢。傷ついているとはいえ奴はまだ健在。キャスターも立ち上がっている。
大してこちらは、ポンコツが一人とたわけな似非眠り姫。
凛は無傷とはいえ、魔術師ではサーヴァントには勝てないことは彼女は十分に解っている。
凛のサポートを考慮に入れても勝算は低い。
それでも、戦うならば、勝たなければならない。
だが、覚悟を決めた直後に、予想外の言葉が紡がれた。
「痛みわけという事で手を打たないか」
「貴方、何を」
「見逃すと言っているのだ、キャスター」
何か言いかけたキャスターを、あいつの声が封じる。
「このまま続けても、手には入らんぞ。それは君の望むところではあるまい」
「―――分かりました。好きにするといいでしょう」
そう言ってキャスターの姿が消える。おそらくは空間転移か。
存外あっさりと引き下がったが、それだけ傷が深かったのだろう。
「それでどうかな、アーチャーのマスターよ」
「いいわ――――行きましょう、アーチャー。見逃してくれるそうだから」
「そうか。それは有難い。私としてもその方が助かる」
凛の瞳と、あいつの灰色の瞳が交錯する。
「どういうことよ」
「ふむ、少々焦りすぎていた、ということにでもしておいてくれ」
凛は意味が分からず、今にも怒鳴りそうだ。
それが可笑しかったのか、笑みを浮かべ、あいつは飛び去った。
「なんだっていうのよ、まったく。なんかわけわかんない奴だったけど。アーチャー、あいつのいってた事の意味、解る?」
「いや、解らん。大方君が可笑しかったからからかったか何かじゃないのかね?」
「へっ?」
「気づいてないのか?」
そう言ってただ、凛を見つめる。ふむ、そうだな。
「それよりも先ほどは助かった。君の助けがなければ、危ないところだった。本当に感謝している」
まっすぐに。できるだけ真摯な表情を作り、礼を言う。
「な、何よ、改まっちゃって。私はアーチャーのパートナーなんだから当然のことでしょ」
「そうか、それは良かった。どうやら、相当急いで来てくれた様だからな、感謝しないわけにはいくまい」
考えないようにしてはいたが、中々に今の凛はひどい格好をしている。
適当な表現で表せば、寝起きのときの姿をもっとひどくすれば―――
「―――あっ」
気がついたのだろう、顔が一瞬で真っ赤に染まった。
「これで、目つきもアレなら完璧だったのだが」
「なんか言った? アーチャー」
「なに、怖いもの見たさというやつだな」
「ぐっ」
「まあ、そこの唐変木に見られなくて良かったと思うがな」
「うっ」
まったく、敵地にいるというのにこの緊張感のなさは、どうしようもないな。俺も凛も。
「それより、さっさとセイバーと合流しよう。セイバーが負けるとは思わんが、こいつの傷も浅くはない」
そう言って、衛宮士郎を抱え上げる。
「そうね、こんなところに長居は無用だわ」
境内へと走り出す。体は、凛をからかっている間に、走れるくらいには回復していた。
「音がない?」
そう呟きながら、境内にたどり着いた俺たちは山門を抜けた。
「アーチャー……、シロウ!?」
抱えられた衛宮士郎に気がついたのだろう。声に切迫した響きが感じられた。
「今宵はここまでだな、セイバー」
そう言って侍は刀を下げた。
「――――――?」
セイバーが僅かに首をかしげる。
「そのような、表情をされては、斬ることはできん」
セイバーに背を向け石段を登り始める。
「見逃すというのか」
「そうだ、今のお前では満足に戦えまい」
振り向きもせず、アサシンはセイバーに答える。
その言葉が、偽りではないと判断したのだろう。凛は石段を降り始め、俺もその隣に並ぶ。
「それに、傷ついた鷹を狩るなどしては、いささか趣に欠ける」
俺の状態に気がついたのか。凛が隣で息を呑む。
「ふん、後悔しても知らないわよ」
「それこそ望むところ。お前たちとまた果たしあえるならばな」
そう言い残し、アサシンの姿は消えた。
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