interlude
だからそれは、そいつが自分のために思った事。他人のためではなく、自分のために欲した事。
そいつが、そいつ自身の望みを持つ事を、誰よりも望んだ者が。そいつにその思いを抱かせた。
それが許される事ではないとしても、その思いは確かにあった。
自らの人生に悔いはなく、誰にも理解されずとも、受け入れらることなくとも。
そいつは、自分の歩みを、誇れるものだと気づいた。
気づいたが故に、過ちに決別を。長い夢から覚める事を受け入れた。
それでも、残り僅かな時間を。別れのときまでの出会いを。誇ることが出来る。
それはそいつが、一度も振り返らずに進んだ末に、得る事ができた奇跡だったのだから。
だからこそ、それは似ている。
一度も振り返らなかった、そいつの歩みも。
誰にも理解されず、受け入れられることなくとも。
伸ばされた手は、一つつかむ度に、失うものは多く。何時しか、外側だけを硬く覆っていた。
それでも、そこに後悔はない。
その先に、ただ独り、たどりついた剣の丘で、力尽きた。
そいつに、そいつ自身のための望みを持つ事を。望んだものこそ、最後まで。
最後の最後になるまで、自分のための望みを持つ事がなかったのだから。
泡のようなものだ。壊れやすく、脆く、今にでも消えそうな。
それでも、それは―――
目を開けた。
深く吸い込んだ息を、ゆっくりと吐き出す。二月の、冷たい朝の空気は、ゆるやかに眠気と、他の何かを削り落とす。
ひどく、曖昧だった夢は、それだけで失われていった。
どうやら、体は思ったより睡眠を欲していたらしい。昨日の午後を、ほとんどそれに費やしたと言うのに、時刻はすでに七時を指そうかとしている。所謂、寝坊と言う奴だ。
短く息を吐き、布団を上げる。その際、僅かに左腕が違和感を告げた。
だが、それだけ。昨日、あれだけの怪我を負ったというのに、それはほとんど感じられない。骨も軋む事はなかった。昨夜に比べれば全快と言っても差し支えないほど。
柳洞寺のときも、今回も、誰かが治療したわけではなく、俺の体が勝手に治癒してしまったらしい。
遠坂は、回復だけなら超がつくほどの能力と言っていた。セイバーと契約したための恩恵ではないかとも。
それでも、さすがに昨日は、遠坂もセイバーも、俺を強引に休ませようとした。事実、昨夜の時点では、正直体の中身が悲鳴を上げていたのは確かだ。それでも昨日は、せめて経過だけでもと、二人に頼み込んだわけだが。
何故、アーチャーは俺を援護してくれたのだろうか。
――――まだ、寝ぼけてたのか。
そんなことより、やらなきゃいけないことがあると言うのに。何を調子に乗って。
両頬を叩き気合を入れて、部屋を出る。
空っぽのように何も考えないつもりで歩を進めるが、居間に近づくにつれて、ある事を考えてしまう。
寝坊してしまった以上、早く朝飯を作らなければ。遠坂は朝は普段取らないらしいし。悪いけどセイバーが料理できるとは思えない。食事がなければ二匹の―――
まさか、そろって朝食を食べていたとは思わず、意思に反して思考が止まる。居間の戸を開けた状態で。
それでも、俺が居間にやってきた事実は変わらないわけで。目の前の俺に背を向けて食事していた人物が振り返った。
「おはようございます、シロウ。どうやらだいぶ良くなったようですね」
つまり、食事中だというのにセイバーが声を掛けてきたわけだ。自分の食事を中断して。それに何故か、僅かな感動を覚える。
うん、随分ひどいこと考えてる気がするけど、絶対口にしないようにしよう。
「あ、おはよう衛宮君。先にいただいてるわよ、朝ごはん」
「うんうん。よかったよかった。元気そうじゃない、士郎。寝坊なんて珍しいから心配しちゃったよ」
続けて、遠坂、藤ねえの順で声を掛けてくる。思いがけない人物の存在。だが――。
セイバーに匹敵する速さで、食する藤ねえの元気さには安堵以上に、さすがは野生。と言う思いが浮かばずにはいられない。
しかし―――このメニューは……。
「何を呆けてるのか判らないでもないけど、とりあえず、座ったら? 朝ごはん、食べるんでしょう?」
案山子のように、その光景を見入っていた俺を、遠坂が苦笑しつつも、現実に引き戻す。
よく見れば、遠坂は一心不乱で食事する二人と違い、紅茶を飲んでいるだけだ。
「ああ」
とにかく、遠坂に頷いてふらふらと席に着く。
いつもと変わらぬ、それは少々語弊があるかもしれないがその姿に。
少しだけ張り詰めたものが緩み、柔らかな気持ちを覚えた。
「えっと、それで朝食はやっぱり」
自分の席に用意されていた、朝食を食べ終わって、片付けながら疑問を発する。
食べる前に訊かなかったのかは、訊くまでもないことだからだろうか。それでも、万が一ということもあるから、訊いたわけだけど。
「すでに、ご飯があるってホント天国みたいね〜。遠坂さんとアーチャーちゃんのおかげで、いろんな美味しい物が食べれるようになったし。でも、アーチャーちゃんって恥ずかしがり屋なのかなー」
とのこと。昨日の夕食にに続いてまた、アーチャーが作ってくれたと言う事か。
確かに、藤ねえの言うとおり、その作った本人の姿がないけれど。その事を遠坂に視線で問いかけたら、無言でプレッシャーを与えられた。それで、追求を諦めたのだが。セイバーには初めから援護は期待してなかったし。そのアーチャーを恥ずかしがり屋と称した虎は、正に殿様と化している。今にも余は満足じゃだとか言いそうだ。虎の殿様……。
まあ、これで桜ちゃんが〜なんて言ってるあたり、教師としての藤ねぇを感じさせるのだが。
どうにも、いまだに理解の範疇に存在していない。この虎は。
遠坂は無言で紅茶を、セイバーは日本茶を飲んでいる。
この朝食がどのように用意されたか実際には知らない俺が、それを片付けるのは道理なわけだが。
藤ねえはこのざまで、嫁の貰い手があるのだろうか……。
「うん。美味しいご飯も食べたし、士郎の元気な顔も見れたし。もうそろそろいかなくちゃ」
だれていた姿からは想像もできない機敏さで藤ねえが立ち上がる。
そして、見慣れぬ包みのようなものを荷物に入れると、あっという間に屋敷を出て行った。いつもからは考えられない早さだ。
おそらくは、昨日の事の後始末だろう。行く先は病院。
命に別状がないと言えど、結界の基点近くにいた生徒は、入院を余儀なくされている。
藤ねえは昨夜遅くまで病院を駆けずり回っていたらしいが。
さっきは藤ねえに対して、不謹慎な事を考えていたと、自分を戒める。
昨日ライダー、慎二の凶行を止められなかった以上、俺のやるべき事は一つ。
出来るだけ早く、慎二を見つけて令呪を捨てさせるか、ライダーを倒す。いや、出来るだけなどと悠長な事は言ってられない。
慎二の性格なら、俺が無防備な姿をさらせば、必ず何か仕掛けてくるはず。ならば
「やっぱり、行くつもりなのね」
溜め息を吐くように遠坂が声を発した。
藤ねえがいないから猫をかぶってはいないが。もうこの屋敷にいる間は、藤ねえの前でも、学校ほどかぶりものは厚くない気がする。うん、多分気のせいじゃないだろう。
「まあ、私は止めないけど。昨日言ったことは忘れてないわよね」
「ライダーは、宝具を使わせる前に倒す、か」
脳裏に浮かぶのは、無残に破壊された廊下。ランクで言うならば、あのバーサーカーですらダメージは免れない、らしい。
あれがセイバーに当たれば、セイバーの身は間違いなく消えてしまうだろう。そんなことはあってはならない……。
「そう、それが大前提。長引けば長引くほど不利になるから。慎二を捕まえるのが一番手っ取り早いだろうけど」
「ああ。それで、遠坂はどうする? 出来れば留守を頼みたいんだけど」
「そうね、いいわよ。こっちはこっちでやることもあるし。ただ夜は、悪いけど無理だわ」
遠坂は一瞬視線を上に向けると、そう答えた。
ライダーと慎二の事ばかり考えていたが。キャスターの事もある。確信はないけど遠坂のやる事っていうのはキャスター絡みなんじゃないだろうか。
「ああ。それでかまわない。元々、こっちの都合なわけだし。それじゃあ、行こうか、セイバー」
それまで黙っていたセイバーは頷くと、立ち上がった。
「それじゃあ、いい結果、期待してるから」
遠坂の言葉に頷くと、俺は居間を出ようとして、ふと思い出した。
「忘れてた、アーチャー。朝ごはんありがとう。うまかったよ」
居るかどうかも判らないアーチャーへと声をかける。聞いてないかもしれないけど、その時はその時だ。その場合は面と向かって礼をするだけなのだから。
遠坂が笑っている理由が、いまいち判らなかったが、もう言い残すことはないと俺は、セイバーと連れ立って居間を出ようとして。
「あ、待って衛宮君」
遠坂に呼び止められた。
「なんだよ、遠坂」
「いいから、忘れ物よ。持っていきなさい」
そう言って、何故かセイバーの方に包みを持たせる。セイバーはそれを訝しむことなく受け取る。それは藤ねえにも―――
遠坂の視線が、何も訊くなと語っている。それは、どこか愉しげに燃えた目だったが。
俺は言いかけた言葉を飲み込み、今度こそ居間を出た。
屋敷の前で、とりあえずの今日の行動方針を告げると、まずは慎二の家のほうへ向かった。
セイバーは霊体化せず、遠坂から貰ったいつもの服装だ。その手には遠坂に持たされた包みの姿がある。何かは訊かなくてもわかるが。それにしても、これも……。
そういえば、学校で俺が地面に激突するのを防いでくれた双剣。あれはアーチャーの物だったんだろうか? 前にも見たような……。
結局、昨日は訊ねるのを忘れてしまってたけど。また、忘れてたみたいだ。
「どうしました、シロウ? まだ、どこか具合が悪いのですか?」
考え込んでいた俺を、心配してくれたのだろう。セイバーの声がやや硬い物になっている。
「いや、大丈夫だから。ちょっと考え事を。昨日俺が地面に落ちるのを防いでくれた剣。あれは、アーチャーの物だったのかなって」
そう言って、あの双剣をジェスチャーで表わしてみる。
セイバーは俺の言葉だけで気付いたらしく、いまいち判りにくいジェスチャーをする俺を、どこか不憫そうな目で見た。
やっぱ、ジェスチャーじゃ無理か。
「ええ。あの双剣でしたら、アーチャーの物です。シロウは気絶していましたから、私が返しておきました。それが何か?」
「まだ、その事でアーチャーにお礼言ってなかったから」
俺の言葉で、セイバーは一瞬大きく目を開くと、すぐに悔しそうな顔をした。
「迂闊でした。シロウを助けてくれていたというのに、私もアーチャーに礼を言ってない」
「む、ならアーチャーには二人でお礼をするか」
「そうですね。なら、ライダー等にもたついているわけにはいきません」
どうにも、昨日ライダーの宝具の話をしてから、セイバーのやる気が高まっている気がする。もっとも、それは頼もしいとも言える訳で。
「ああ、その時は頼む、セイバー」
「はい」
そのときの、当然ですといった風に頷いたセイバーが、とても印象的だった。
interlude out
どうやら、行ったようだな。
セイバーの気配を感じ取れなくなる。
「これで良かったのかしら? アーチャー」
実体化した俺に、凛が愉しそうに声をかけてくる。凛の問いには、一つでは括れない響きがあったが、他のことは無視するしかあるまい。
肩を竦めたい所だが、それも我慢して答えた。
「ああ。ライダーもそのマスターも、日が出ているうちは仕掛けては来ないだろう。そういった意味では、昼間の衛宮士郎の行動は無意味に近いが」
凛は黙って次の言葉を促す。
「ライダーのマスター。あの類の人間は、やられたら何倍にもしてやり返すタイプだ。日暮れまで無防備な姿で歩き回れば、嫌でも襲ってくるだろう。さらに言えば、ライダーはともかく、そのマスターは宝具の威力に錯覚でも起こしているのではないかな。敗北という可能性さえ、考えてないかもしれない。付け入る隙などいくらでもあろう」
それほど、ライダーの宝具は強大だ。
それだけに、錯覚もしやすいわけだが。
「ふ〜ん。それでも、アーチャーは援護する気なんでしょう?」
言葉を発せずに、視線だけで何故、と問いかける。
「さあね。でも、私を置いて行く、なんて言わないわよね」
「―――そんなことを言うつもりはないが。初めからそのつもりだったのか?」
「ええ。衛宮君にも言ったじゃない。貴方のことだから、日暮れには事を起こすんでしょう?」
「まあ、その少し前、だがな。それまでは、放っておく」
賭けに近い部分もある。ライダーが人目を憚らず仕掛けてくる可能性もゼロではない。
だが、見たところ衛宮士郎は傷はともかく、疲労が抜けきっていない。本人は気付いてないようだが。あの公園に向えば―――
「そんなに心配なら、貴女も行く? アーチャー」
「馬鹿を言え、凛。君を一人にするわけにもいくまい」
馬鹿げた事を言うなと、眉を顰める。
俺が心配しているのは、余計な心配をしなければならなくなるセイバーのことだ。
「そうね、お弁当まで作ってたし。邪魔するわけにも行かないか。もちろん出場亀も」
「―――あれは、セイバーのために作った物だ。小僧は勘定に入っていない」
「いいんじゃない、それでも。結局二人で食べることになるんだし」
「―――判った。私の負けだ。これで勘弁してくれ」
俺は両手を上げて降参の意を表す。俺が弁当を作ったのは、前に俺が不甲斐ないせいで、昼食を食べさせられなかった事を覚えていたからだ。朝食を作ったのも、俺以外に作る人間がいなかったから。
どうやら、凛は俺をからかって満足したらしい。それは俺の希望的観測かもしれないが。
「じゃあ、敗者である貴女は、今日の昼食その他もろもろの雑事担当でいいわね」
凛は口を喜悦に歪めて通告した。
どうやら先の思いは正しかったらしい。そして、俺にそれを断る力もない。せいぜいこう口にするだけだ。思いの丈を。
「判った。だが、これだけは言わせて貰う。地獄に落ちろマスター」
断じて捨て台詞などではない。もちろん、負け犬の遠吠えでも……。
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