36



 二つのモノがある。
 もともとそれらが二つとも揃っていたわけではない。
 ただ、結果として同じ場所に在るに過ぎない。
 初めはここには二つともなかったし。
 その後もずっと一つだった。ある時までは。
 ただ、僅かな間、その一つがこの場所を離れていた間に、もう一つがここにきてしまっただけのこと。
 本来なら相容れるものかどうかあやしい二つは、事実としてここにある。
 予想以上にここが、頑丈だったのだろう。
 ともあれ本来その二つはモノだ。それ故、何かを考えるということができるわけでもない。
 理由はそれぞれに違ったが……。

 さとて、便宜上“彼ら”と呼ぶが、少々不都合なことが起こった。
 と、いうのも彼らが存在する場所そのものが危機に瀕していたのである。
 場所がたとえ、消え去ったとしても“彼ら”が危機に陥るわけではないのだが。あまり歓迎できる状況ではなかったのである。
 もっとも、不都合なのは一方の方に限ってだが。
 もう一方にとっては、所詮この場所は仮初の場所。住処と定めた場所が近ければ、初めて動く程度の無精モノなのである。
 ただ、もう一方にとって見れば、本当に由々しき事態だったのだ。
 それこそ、もう一方―――彼の存在理由を揺るがすようなものである。
 意志がないとは言ったが、そこはそれ、なんとも似合わないことをしてしまったために起きたものである。

 それは、ある約束だった。
 それを果たす前に、この場所を失う―――少し違った。
 この場所そのものは本来の場所ではなく、“彼ら”片割れが作り上げた贋作である。
 とにかく、それを失うわけにはいかなかったのだ。

 何故なら、彼のした約束は簡単なものではなく、どちらかというと、むしろ不可能の部類に入るもので。
 約束を交わした相手も、叶うとは露とも思ってなかっただろう。
 そも、約束を交わしたかどうか、理解しているかも怪しい。
 ただ、その意志などないはずの彼が、予想外に約束など交わしてしまった。
 そんなものは無理だと切り捨てればよいものを、何を思ったか叶えようと、ありもしないやる気を出してしまったのである。
 それが、その場所の恩恵というものなのかは、はっきりとは判らない。
 本来のそれからは程遠いが、彼は結構力を持っているのである。交わした約束は、その彼の力をもってしても、長い時間が必要となった。
 しかし、一度そう決めたのなら、中々に彼はしぶとかったのだ。
 そして、彼は自分が思うよりも数段、お節介だった。
 約束は厄介であったが、実際にはこの時にはもう叶っているはずだったのだから。
 だが、彼は直前になって、考えを改め、さらに長い時間をかけることにした。

 結果が今の状況である。
 このままでは、今までの苦労がパーだ。
 しかし、いくら彼に力があろうとも、それはこの状況を打開するものではない。
 それができるのは、同じ場所に存在する、もう一つの方だけだった。
 だが―――、今度は彼女にする。は少々というかかなりの頑固者で、それをしてくれそうにない。
 他のものは、それこそ簡単に従ってくれていたから、高をくくっていたが。
 やはり、それは真なるもモノと、その影のためなのか。
 ここが、仮初とはいえ、それなりに長い時間過ごした場所なら、彼女も重い腰を上げたかもしれない。
 だが、ここはその仮初のものの、さらにそれの仮宿。
 といっても、相当に上等なそれは、かなりの恩恵を与えていたのだが。
 それが、仇となったらしい。

 外装があまりに完璧だから、油断も入っていたのだろうか。
 少なくとも、彼女ではない彼女は、しっかりと動いてくれていたのだから。
 だが、あくまで彼女ではない……。意味が無い。

 彼だけでは、この状況を打破できない。彼女の協力が不可欠なのだ。
 だが、彼女がそれを為すとは思えない。
 結果、彼はあまり使いたくなかった手段だが、ある方法を取ることを決定した。
 それをすれば、彼女の重い腰が上がることも間違いない。
 そりゃもう、その件に関してはあっというまに解決する、所謂秘策みたいなもんである。
 それは、実の所、ある意味約束の一部を違えることになるのだが……。
 彼は悩むということに関しては得意ではなく、むしろそんなことしない。だから、彼はまあいっかと、それを容易く切り捨てた。

 彼らに意志があるわけではない。
 ただ、そうなっていく、というだけのこと……。


 interlude


 森をひた走る。木々が乱立し、足場が不確かなこの森で、遠坂を背負って走るのは、あまりうまくなかった。
 走らずに歩くだけならば、たいして問題があるわけではないだろう。だが、そのようなわけにもいかず。
 結果、こうして抱きかかえて、走っているわけだが。
 そうするには、まあいろいろと葛藤があったわけで。
 正直、前を向いてないと、どうにかなりそうだ。
 もう、どれだけ走ったのだろうか。正確な時間はわからないが、少なくとも一時間はたったのだろう。
 鼓動は早鐘を打ち、吐く息は白いというのに、流れる汗は少なくない。
 もっとも、遠坂を抱えたままといった状況だが、まだこの程度で弱音を吐くような鍛え方はしていない。
 体重が予想よりも軽かった、ということも、関係あるかもしれないが。
 遠坂の前で言ったら―――余計なことは言わないでおこう。自ら酷い目にあいたい奴なんか、普通じゃない。まして、相手は遠坂だ。
 サーヴァントとは違った意味でヤバイ。
 とにかく、走り続けるだけなら、さほど問題はなかった。

 アーチャーは結局、まだ追いついてきていない。
 考えまいとしても、どうしてそれが出来るだろうか。

 あの城で、俺は完全に場違いだった。バーサーカーの一撃。それの、ただの余波だけで吹き飛ばされる体たらく。
 何とか意識を保ったものの、本当に何もできることがない。
 初めてバーサーカーと遭遇した夜を、軽々と越える一撃。
 ―――もし、何かの間違いで俺が、誰かの盾になったとしても。俺ごと両断される……。そんな一撃だった。
 少し、油断もあったのかもしれない。あの少女が、話を判ってくれる。そんな風に思っていた。
 そんなこと、もしセイバーがいたならそれこそ、俺の甘さを修練という場で叩きなおしたかもしれない。
 もちろん、そんな甘い考えを持っていたのは、きっと俺だけで、遠坂もアーチャーも油断なんてなかったはずだ。
 ただ、バーサーカーがそれを上回っていただけ。

 ―――甘かった。
 それは、アーチャーがいたからかもしれない。
 バーサーカーは強い。アレは本当に規格外だ。バーサーカーの恩恵を受ける前とて、すでにサーヴァントとして一級品。
 力を十全に発揮できぬセイバーを、容易く凌駕している。
 だが、アーチャーは違う。俺とは比べ物にならない遠坂が、魔術師として、喚んだもの。
 サーヴァントとしての“力”ではバーサーカーにすら引けをとっていなかった。
 そう、少なくとも、あの城に行くまでは、そう思っていた。
 アーチャーがセイバーと似ているだけに、自分の不甲斐なさがセイバーに申し訳なかったが。
 そんなことを言うとセイバーは怒るだろう。
 なんでも、魔力と耐久力では、自分が完全に顕現していても、アーチャーには敵わないとのこと。
 それくらい、アーチャーのことを話すセイバーは誇らしげだったのだから。

 だが、そのクラススキル、強化の恩恵を使うバーサーカーはそれ以上だった。
 圧倒的な暴力。全てを破壊するような暴風めいた圧搾機のごとき剣撃。
 聞いたバーサーカーの宝具を考えれば、逃走するだけでも一苦労のはずだ。
 特に、アーチャーは、サーヴァントとして足は遅い部類のようだから。逃げるにしても、一度バーサーカーの足を挫く必要があるだろう。
 アーチャーは俺―――、人間と比べれば、十分に速いのだが、本人は結構気に病んでいる様子だった。

 アーチャーが負けるとは思いたくなかったけど。
 本当にあの時、あの場所で、俺ができることはない。アーチャーの声がなければ、何も出来ずに瓦礫と運命を共にしていたかもしれない。
 俺にできることは、遠坂の身体を、戦場から抱え、アーチャーの言葉を信じることだけだった。

 遠坂の意識はまだ戻らない。
 アインツベルンの城でも、幾度か呼んでみたが、反応はなかった。
 そもそも、あれほどの剣戟の最中、目を覚まさぬのだからよほど深く意識は埋没していたのだろう。
 森を駆ける今とて、寝ていられるような状態は決してない。
 もし、頭を打っているのなら―――

 悪い方へと走り始める思考を押し留める。
 遠坂は、必ず目を覚ますし、アーチャーもきっと追いついてくる。

「っつ―――!?」

 その瞬間、頭に鋭利な刃物が突きつけられた。そんな痛みを覚えた。
 それは、たいした痛みではない。瞬間的な例を言うならば、指の腹に針を一ミリほど刺すくらいだろうか。
 ただ、違うのはそれが、瞬間的なものではないということ。

(なんだ?)

 声に出さず、自問する。
 たいしたことがなかったはずの痛みが、増してきているような気がして、唇を噛んだ。

(気のせいじゃ、ない―――!?)

 僅かだった痛みが、一歩進むだけで加速度的に増していくような。
 たいしたことないと思ったことこそが、間違いとでも言うように……。

「ぐっ―――」

 耐え切れず、足を止めた。
 何故だかわからないが、この状態はよくない。
 何かの魔術ではないことがかろうじてわかったが。
 視界が真っ赤に染まり、吐き気は際限なく、喉元まであと僅か。  何が出てくるかはともかく、耐えなければならない。
 頭痛は益々酷くなっていく。立っていられそうにない。
 そう、弱音を感じる度に、崩れ落ちそうになる身体に喝を入れる。

 あまりに赤すぎて、目が、前が見えない。
 すでに、走ることはおろか、歩いてさえいなかったが。
 あまりに所在無い身体は、どうなっているのか判らない。かろうじて、腕に遠坂の重みがあるだけだった。
 必死で食いしばる。今まで幾度となく繰り返した魔術の鍛錬を現在と重ねる。ただ、それはあの地獄の中、手に水筒があるくらいの無力で。
 瞬間的な痛みであるならば、まだ耐えられる。
 だが、それが永遠に続くのであれば―――

「―――くん!」

(今、何か聞こえたような―――)

 痛みでぐちゃぐちゃとなっていく思考に、僅かな隙間が開く。
 僅かに見えたのは、予想外のもの。
 隙間なく敷き詰められたようなそれは、確かに剣で、確かその場所は手があったはず……。
 だが、それはただの一瞬で、赤い視界はもう、視界ではなく、ただ真っ赤な絵の具で塗りつぶされて。
 痛みは終着駅がない列車の如く、アクセルは前回でブレーキは初めからナイ。
 心は砂の中に、飛び散るそれはもう見つからないほど空へそらへソラヘ空へト―――

「―――!?」

 その瞬間、頬に衝撃が走った。
 それは、原因不明の痛みを消して、俺を現実へと引き戻す。
 あれほど、頭を苛んでいた痛みは、どこにも残っていなかった。
 ただ、その跡を、唇から流す血と―――

「やっと反応した。って―――、その、そんな顔されても、どうしようもないじゃない」

 と、俺に抱かれたままの遠坂が、そっぽを向く。
 烈火のごとき気勢かと思えば、たちまち鎮火してしまった遠坂を不思議に思いながらも見つめる。
 あらぬ方向を向きながらも、視線はまだ俺の顔を―――

「っつ」

 その寸前まで遠坂が見ていたものに気付いて、俺は左手で自分の頬をなぞった。

「きゃあ!?」

 片手を離したせいで、支えきれなくなった遠坂が落ちそうになる。
 その悲鳴とは裏腹に、危なげなく遠坂は大地に立った。
 俺の腕から離れ、瞬時に離れる。
 予想に反して、何も怒ってないようだ。それどころか、どこか覇気がない。

「―――涙?」

「そう、あんた。泣いてたのよ。判らないけど、いや、ごめん。―――とにかく、怒れないじゃない。とにかく、唇から血は流れてるし、目は焦点が合ってないわ涙流してるし」

 それで、平手打ちか。多分これじゃあ、痕になってるかもしれない。
 ただ、あれから俺を引き戻してくれただけでも、ありがたい。あの痛みに比べれば、頬の痛みなんて、なんでもない。

「ありがとう。遠坂、助かったよ」

「そう、ね」

 そう言った、遠坂の声は、やはり覇気がない。
 それが何故か、訊こうとして俺は、遠坂が手の甲を押さえていることに気がついた。

―――あれは、遠坂の令呪があった―――

 俺の視線に気がついたのか、遠坂が僅かに微笑んだ。
 だけど、それもすぐに崩れて、遠坂はそっぽを向く。
 その顔はいつものように見えて、だけど、右手は白くなるほど強く握られている。
 それが、怒りなのか、悔しさなのか、それとも後悔なのか。どんな気持ちかはわからない。だけど――――
 それは、あまりに痛々しい姿で、不覚にも俺は初めて、彼女も年相応の女の子なんだと気がついた。

「はは、やっぱり気がついた? 大丈夫、言わなくてもわかってるから」

 それで、アーチャーがどうなってしまったのか理解してしまった。
 遠坂の令呪は右手にある。もし、セイバーがキャスターに奪われた時と同様に、サーヴァントが主の下から離れた時。―――消えた時も同様のことが起こるならば。

 俺も、遠坂も言葉を紡がない。
 アーチャーの消滅を悼んでいいのは遠坂だけだし、俺にはそれをする権利はない。
 だが、もしそうだとしたら……。

「それじゃあ、バーサーカーは」

「―――さあ。私は結局何も出来なかったから。判断できない」

 放つ言葉にもどこか力がない。

「それなら、急いでここから離れないと」

 イリヤスフィールは誰も逃がさないと、あの時宣言した。
 バーサーカーの速さは折り紙つきだ。
 こんな所でグズグズして、バーサーカーに追いつかれたら、アーチャーが逃がしてくれたことに―――

「ううん。その必要はないわ」

 と、遠坂の言葉は俺にとっては予想外のものだった。
 ただただ、平坦に告げられた言葉は、決してなげやりなものではなかったけど、どこか不安を感じずにはいられない。
 もっともその時、俺は結構間抜けな顔をしていたんだと思う。それは、遠坂の僅かに緩んだ表情からも明らかだったが、それよりも。

「―――なんでさ?」

 とりあえず、落ち着いて遠坂の話を聞くことにした。他にもいろいろな感情はあったが、遠坂を差し置いて、俺がそれを面に出す権利なんてないはずだから。そして、どれだけ、俺の姿が滑稽であったとしても、それを笑う遠坂の表情が作り物のように見えてしまったから。

「何故かは知らないけれど、目が覚めてから、イリヤスフィールを感じないもの」

「それってどういうことなんだ?」

 聞き返した俺は、森の出口の方へ緩やかに歩き出した遠坂を追う。

「衛宮くんも解ってると思うけど、ここはアインツベルンの森よ。いうなれば、この森全てがあの娘の森なの。今は関係ないけど、あの娘なら衛宮くんみたいなへっぽこ魔術士の意識くらい、そこらへんの木なんかに転移できるんじゃないかしら」

 うん、まあ、ここでへっぽこ言う必要はないと思う。
 遠坂が言いたいのは、ここがイリヤスフィールという少女にとって庭みたいなもの、と言いたいのだろう。もっと自由に出来るレベルでだけど。

「だけど、それを感じない。来る時は、ずっと見られてる感じだったのに。今は、まるで、この森にはいないような……」

 見られてるって、俺は全然気がつかなかったけど。

「いないって言うのは、俺たちを見つけられないで、森を出ちゃったってことか?」

「衛宮くん。それ本気で言ってる?」

「いや、まあ、ないと思うけど」

 慌てて否定する。割かし本気だったなんて言ったらどうなることか。
 確かに、バーサーカーの存在感を考えれば、ちょっと近づかれただけで解る、と思う。
 ただ、不用意な一言も、遠坂の力になるのならたいした問題ではないかもしれない。
 遠坂の顔は、少しだけ、いつものそれに戻ったような気がしたから。

「安心したわ。もし衛宮くんが本気で言ってたなら、そうね。どうしたかしら、私?」

 笑ってるけど目が笑ってない。それに、疑問系はやめて欲しい。
 やはり、自分が標的になるのはつらい。
 その俺の動揺した様を見ていた遠坂は、軽く息を吐くと今までで一番、泣きそうな顔で笑った。

「気を使わせちゃったみたいね。衛宮くんにまでわかるくらい下がっちゃってるなんて、ちょっとショックかもしれない」

「だけど、遠坂は―――」

 間違ってない。アーチャーを失ったのは遠坂のせいじゃない。そう言おうとして、遠坂に止められた。

「解ってる。解ってるから最後まで言わないで。だけど」

 それでも私は後悔してる。そう、遠坂は続けようとしたのだろうか。
 だけどそれは適わず、紡がれたのはどこか間の抜けた声で。

「えっ?」

 と、その瞬間、目の前を通過していった物体に、遮られる形となった。
 恐ろしい速さで、しかも回転しながら飛んでいったそれは、そのまま近くにあった太い木に突き刺さる。

「「――――」」

 二人して沈黙する。
 突然、自分達の鼻先を、何か得体の知れないものが通過していったら、そりゃあ黙るだろう。
 あと少しで掠るところだったし。思わず鼻先に手をやる。どうやら、怪我はないようだが。
 ぎこちなく、二人してそのブツへと目をやった。不自然な動きは、どこからか音が聞こえてきそうだ。ブリキのような。
 木に半ばまで突き刺さっているのは、中華風の短剣で、それは以前どこかで……。

「まさか……」

 そうして、その短剣に手を伸ばそうとした瞬間。

「ひっ」

 横手から白い塊が、同じ木に突き立った。
 せめて、音が聞こえれば、もう少し対処のしようがあるのだが。思わず上げてしまった情けない悲鳴は、どうやら口の中だけだったらしい。横目で見た遠坂は、俺の悲鳴には何のリアクションもしていない。もっとも、またの飛来物には驚いているようだが。
 それよりも――――

「やっぱり」

 それは、アーチャーの双剣だった。
 陽剣干将、陰剣莫耶。古の刀匠が鍛え上げた対の双剣。
 それを初めて目にしたのは、夜の柳洞寺。血に濡れた視界の端で、赤い騎士が持っていたそれは、不思議と目に焼きついていた。
 それは、俺自身の血で濡れていたというのに。
 その朱ですら、黒と白の短剣を侵すことはできず、俺はあの剣に見惚れたんだ。
 そう、あんな赤い騎士じゃなくて、アーチャーが持っていたら、なんて場違いにも思ったのだ。

 そんな想いはすぐにかなった。
 そして、次に見たのは、あの赤い世界で。
 またも、瀕死だった俺はアーチャーが投擲したこの双剣のおかげで、墜落死を免れることが出来た。
 そう、あの時―――俺はこの双剣を手にしたんだ。

 宝具は優れた武器であるなら、それが美しいことに間違いはない。
 セイバーが持つ見えない剣も、その姿を顕せばさぞかし豪奢であろう。
 だけど、この剣はそういったものとは違う。
 これは、願いや幻想で編まれた物とは違う。
 莫耶は干将のために命を賭し、干将は悲しみの中二振りの剣、彼ら二人の名を刻む夫婦剣を体現した。
 そこには、戦意も、我欲も、競争心も、信仰すらない。魔剣、名剣に必要な創造理念が存在しない。
 ただ、自身の鍛冶師としての、意義を問うかのような対の剣。
 彼の心を映した鏡。白と黒、陰と陽を夫婦に表す鍛冶師の剣。

 ―――それが、美しいと感じたんだ。

 左手で莫耶の、右手で干将の柄をつかみ、突き刺さった木から引き抜く。
 その瞬間、先に感じた痛みと同質のものが、頭蓋を走る。
 それでも、思い返すのは最後に別れた城での言葉。

「必ずって――こんな……」
「その剣は、アーチャーの……」

 それを、隣にいた遠坂が呆然と呟いた。痛みはたったそれだけ。二度目の原因不明の頭痛は、ただの気のせいだというように。
 回復した視界で、双剣を見つめる。
 それと同時に、遠坂は剣から目を逸らし、アインツベルンの城がある方向を、睨むようにその目を細める。
 何故、まだ形を保っていられるのか……。それくらい、その双剣は剣としては、傷付きすぎている。
 彼女が言う通り、もうアーチャーが消えてしまったのなら、この剣は何時放たれたのだろう?
 俺はアインツベルンの城からここまで、逃げてきた。それがどのような速度であれ、相当な距離であることは確かだ。
 だが、この双剣は今、この手にある。
 それは、持ち主たる少女、アーチャーの名を冠する彼女の力ゆえなのか。

「遠坂……」

 互いにサーヴァントを失い、相手取る力はあまりに強力だ。
 柄に握る手に力を込めて。
 だけど、間違ったなんて思ってない。ただ、うまくなかっただけだ。
 古の鍛冶師を、そしてアーチャーを目の裏に。

「――――何?」

「このまま、終わるつもりなんて、ないんだろ?」

 そう、力を込めて言葉を放つ。
 遠坂の顔を見ずに、互いに背を向けて。

「ええ。もちろんよ。私はまだ、負けだなんて思ってないんだから」

 僅かな沈黙の後、遠坂の声はいつものように、力を持って。羨ましくなるくらいの輝きを持って放たれる。
 その言葉に、俺は笑う。両手の剣も同じように歓喜したのか、役目を終えたとでもいうように、その姿を無へと戻した。


 interlude out







 interlude B


 そうして、両者の戦いは終わった。
 狂戦士の消滅により、鳴り止まぬとも思えた戦いの戯曲は、終焉となったのだ。
 それが、どのようなものであれ、互いに相手を打ち砕かんとした結果がそれだ。
 広間は千千に罅割れている。もはや、かつての絢爛さなどどこにも残ってはいない。
 もはや、廃墟といっても過言ではなくなってしまった広間の中央に、英雄王は立っていた。

 その身体は、バーサーカーと対面した時から変わらず、傷一つない。
 能面の如く表情のない顔は、何を考えているのか窺い知れない。ただ、その赤い瞳だけが、微かに、苛立ちと、他の何かを宿していた。

「な、何してんだよ、ギルガメッシュ。人形に、逃げられちゃったじゃないか!」

 無言で佇むギルガメッシュに声をかけたのは間桐慎二だった。
 その声には、怯えと、安堵が含まれている。
 それは、先ほどまで続いていた戦いの苛烈さと、その恐怖によるものだった。

 アーチャーがイリヤスフィールを連れてこの城から離脱した後、この城はそれまでの戦いが、ただの遊戯であったかのように一変した。
 イリヤという守るべき存在がいた戦いで、バーサーカーには湯水の如く放たれる宝具を、ただ真正面から打ち破るしか方法がなかった。
 少しでも逃してしまっては、一つ一つが岩盤を容易く打ち抜く宝具の矢だ。イリヤスフィールは無事ではすまない。
 故に、ただただ、絶望的な前進を、ギルガメッシュに対して敢行するしかなかったのだ。

 だが、アーチャーにより戦場からイリヤスフィールが離脱したとあれば話は違う。

 本来敵であるはずの、何より殺し合いをしていたアーチャーが自分の守るべき主を連れ出したのだ。
 常なら、対峙するギルガメッシュすら歯牙にかけず、それを追うはずだろう。
 少なくとも、アーチャーがこの城から脱出した時、間桐慎二はそう思った。
 ギルガメッシュは、ライダーとは比べ物にならないほど強い。
 確かに、何を考えているのか得体の知れないところがあるが、それはそれ。
 相手は結局サーヴァントだということで、自身の優位は絶対であると、感じていた不安には蓋をしていた。
 ギルガメッシュの力なら、相手が狂戦士と化した相手でも、負けるはずがない。
 しかし、無駄な戦いは慎二とて望む所ではない。勝手に潰しあってくれるのなら、それに越したことはなかったのだ。
 アーチャーとバーサーカーの戦いに割って入ったことも、慎二にとっては不本意なことだったのだから。

 だが、実際は思惑とは異なり、バーサーカーは変わらずギルガメッシュを、その岩塊で撃ち砕かんと咆哮した。
 それは、もし観客がいたのであれば、まさに最高位の英雄同士の戦いに相応しいものと賛辞したことだっただろう。
 結果として、ギルガメッシュの勝利となったが、それが決して圧勝などと片付けられるものではなかったことは、何より英雄王自身が理解していたのである。
 バーサーカーに残っていた命は唯一つ。12の試練の加護を使い果たし、残るは本来の命のみで、バーサーカーは、それ以前の戦いを越える時を、戦い続けたのである。
 今まで、受けるか弾くだけだった巨躯は、その重さを感じさせぬ動きで縦横無尽に動き回り、あらゆる方向からギルガメッシュの身体を砕かんと、斧剣を振るってきた。
 その瀑布のごとき剣を防ぎ、なおかつ殺そうとするのだ。いくら、この広間が広大であろうと、回りが無事ですむはずもない。
 ギルガメッシュは自身を守ると同時に、慎二というこの場においてはなんの術も持たぬ、無力な存在を守る羽目となった。
 それは、奇しくも先の戦いの逆転。守る理由が如何に違おうとも、厄介なことに変わりはない。
 そんなこと、露ほどもバーサーカーは思っていなかっただろうが。

 たとえ、バーサーカーに戦いの幅が増えたとしても、勝者は揺るがない。
 何より、それまでに蘇生という宝具を失っていたバーサーカーには勝機は笑えるくらいに薄かった。
 そのありえないことを覆すのが英雄であろうとも、戦う相手も紛れもなく英雄。それは容易ではなく、結果、バーサーカーは敗北した。

 戦っている最中は、恐怖のあまり腰を抜かし、震えることしか出来なかった慎二も今は違う。
 自分の言葉に何も答えず、ただ黙すばかりのギルガメッシュに、平静を欠いていた感情は、簡単に針を振り切った。

「おい! 聞いてるのかよ、ギルガメッシュ! 」

 そう叫び、広間の端からギルガメッシュのところへ足早に近づき、その肩に手を置いた。
 その激昂した頭では気がつかない。ギルガメッシュが自分の肩に手を置いた慎二を、虫でも見るかのような目で見たことに。

「こんな所でグズグズしてないで、あの人形を追いかけろよ。聖杯に必要なんだろ!」

 そう言った所で、初めて慎二は、自分のしたことに僅かな疑いを持った。
 その瞬間、慌てて肩から手を離す。
 その、出所の知れぬ不安は、間桐の屋敷で、間桐の修練場で感じたものと同じ気配だ。
 不快な虫共、そしてその醜悪な主を滅ぼし、役立たずの妹に対して、理解不能の行動を起こした。
 あの時と同質の、どこか底知れぬ得体の知れぬ感情。
 本来存在せぬはずの、九人目のサーヴァント。前回から残り続けているという英雄王。
 自身のサーヴァントとなってからも、常に感じていた不安が鎌首を持ち上げる。それをいつものように蓋をして平静を取り繕うと。
 間桐慎二は、少々歪に、唇の端を吊り上げた。
 それを無言で見届けた後、ギルガメッシュは城の出口を胡乱げに眺め、何かを考えるように目を閉じ、僅かに笑みを溢した。

「無駄だ、シンジ。追ってもどうしようもない。今は諦めろ」

「なんでだよ。お前なら何も問題ないだろ! 必要だって言ったのはお前じゃないか」

 手に入れるはずだったものが、手に入らないと聞いて黙っていられるはずもない。
 何より、わざわざこんな辺鄙所まで来たというのに、みすみす見逃すなど、間桐慎二には理解できなかった。
 その苛立ちを隠そうともしない姿を見下ろしながら、ギルガメッシュは嘲弄する。
 もっとも、間桐慎二はその侮蔑の視線に気がつきもしなかったが。

「残念だが。我にも出来ぬことがある。なればこそ、聖杯を我のものと定めるわけだが……」

 それは嘘ではない。事実、英雄王とて覆せぬものは確かに存在する。
 もっとも、必要としているのは願いを叶える万能の釜としてではなく、目的を自身の代わりに果たすモノとしてだが。

「まさか、偽者にも真作があろうとは。それもとびきりのものか。他人の真似事ばかりと思っていたが、なるほど、騎士王も存外我と似たところがあるらしい。行くぞシンジ。機会はいくらでもある。この程度のことで激昂していては器がしれるぞ?」

 もう一度、ある方向を眺める。あれは、たとえ愛剣をもってしても、覆すことは不可能だろう。
 手段がないわけではないが、それはあまりに面倒だ。

「は、はは、僕が、そんなことあるはずないじゃないか。わかったよ。お前に任せる」

 そう引き攣りながらも笑みを浮かべる間桐慎二を一瞥して、ギルガメッシュは城を後にした。


 interlude out


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