03

二月一日

「まあ、こんなものでいいだろう」

 サーヴァントがするべきものでは決してないとは思うが、家事は嫌いではない。そして、自分が英霊としては新参者であるという心理もあってか、たいした抵抗は感じなかった。
 それでか、居間が元通りになった後、ついつい台所の掃除や、他の事まで手をつけてしまった。
 しかし、遠坂はいつになったら起きてくるんだ? とっくに日は昇ってるのだが、というより学校も始まってしまった。
 時計を見ながら思う。遠坂よ、何故時計が一時間も早かったんだ?
 もちろん、全ての時計の針を戻しておいたが。星を見る術を持っていて僥倖だったといっていいだろう。
 そういえば遠坂は朝弱かったっけ。ものすごかったもんな。あれはまさしく怪獣だった。
 あれでは千年の恋ですらさめる。この聖杯戦争で俺は遠坂が猫かぶってたのを知ったのだったか。
 だが、姿見の鏡があって助かった。自分の姿を確認することが出来たからな。
 やはり背格好はアルトリアと同じくらいだろう。顔の造作も同じ。ついアルトリアと同じ目に見入ってしまった。
 だが、髪の色が違う。鋼のような銀髪。それに少し短いらしく、編み込むほどではなかった。
 そして、ドレスの色も違う。漆黒のドレス。どこか不安にさせる色だ。
 そして鎧とドレスの間に赤い聖骸布を重ねるように着ている。
 ん? どうやら目が覚めたようだな。

「うわ、すごい。ちょっと見直したかも」

 遠坂はすっかり元通になった居間を見て、幾分目を見開いている。
 体が重いのか、全体としての印象は、憂鬱そうだが。
 そして魔力が減っていることに気づいた。おそらくは、 俺を召喚したせいだろうか。
 まあ、ここまで元通りにしたのだからな。しかし遠坂、見直したって俺をどんな風に思ってたんだ?
 いや、ごめん。確かにサーヴァントらしからぬことはやった。

「もう日は昇っているぞ。君はずいぶんとだらしがないな」

 よし、もうあのことは忘れてしまおう。少なくとも、遠坂には認めてもらえるくらいにはせねば。せめて口調だけでも。

「おはよう、貴女はずいぶんリラックスしてるみたいだけど」

 自分を鏡で見ていただけなのではあるが。

「まあ、君は私の召喚で本調子ではないようだからな。紅茶でも淹れよう」

 遠坂に紅茶を淹れる。これでも生前執事の真似事をやったこともあるのだ。
 まあ、この姿で執事というわけにもいかんだろうが。
 む? 遠坂、何故俺を睨む?

「確かに疲れてるのは事実だし、飲むわ」

 そして差し出した紅茶を一口飲む。
 俺の淹れた紅茶は、遠坂の満足のいくものだったのか、幸福げな顔を見せてくれた。
 ああ、良かった。

 あれ? 遠坂がこっちを驚いたように見ている。何かしたっけ。
 遠坂は驚いた様子から、何故かにっこっり笑って紅茶を飲んでいる。なんなんだいったい。

「ありがとう、アーチャー。とてもおいしかったわ。だけど」

「だけどなんだ?」

「その姿で紅茶を淹れるのは、違和感がありすぎるわ。それに見てる間ポッドを壊しそうで怖かったわよ」

「ぐっ」

 むう。たしかにこの姿で紅茶を淹れるのはなかなか難しいと思ったが、そこまで危なっかしく見られていたとは。
 それは、指先が震えていたのは認めるが。だが決して鎧を解除するわけにはいかない。
 ドレス姿で紅茶なんて淹れたら、なんと言われるか考えるだけでも頭が痛くなる。
 それはにやにやと笑いを隠そうともしない彼女を見ていれば、否応に思い知らされることだ。
 そのうちぎゃふんといわせてやる――――いかんいかん思考がガキくさくなっていた。気をつけねば。

「ふふ、それじゃあアーチャー、出かけるから支度して。街を案内してあげるから」

 遠坂、今へんなこと言わなかったか?

「マスター、準備する必要などないぞ。すぐに出かけることが出来る」

「は?そんな格好で出かけるつもりなの?サーヴァントどころか変人って見られるじゃない」

 やはり、遠坂のやつ。

「ふむ。どうもマスターは知らないようだが、霊体化すればいい。実体化してるなら着替えも必要だが、姿を消してしまえばその必要はない」

「なるほど、でもそんなことが出来るってことは他のマスターを探すのって相当難しいのね」

「まあ、われわれサーヴァントはお互いを知覚することが出来るがな。だが残念なことに、騎士あがりの私には距離の離れたサーヴァントを知覚することは出来ないがな」

「わかったわ。それじゃあ、アーチャー、出かけましょう。貴女の呼び出されたこの世界案内してあげるから」

 ああ、遠坂。大事なことを忘れてるよ。いや、俺も自分の名前を教えていないんだから仕方ないことなのかもしれない。
「マスター。それはいいのだか、まだ私は君の名前を教えてもらっていない。これは大切なことだ」

「あっ、名前――――――――」

「ああ。それで私は君をなんと呼べばいい?」

「――――――――遠坂凛よ。貴女の好きなように呼んでいいわ」

 少し赤くなっている様だな。まあ遠坂は朝弱いから仕方ないか。

「それじゃあ遠――――いや、凛と呼ぼう。うん、君にはこの響きがよく似合う」

 そうだ。俺はこの世界では衛宮士郎ではない。だからこれからは遠坂のことを凛と呼ぼう。
 これはけじめだ。凛は聖杯を望んではいないとは思うけど勝利は望んでいるはずだからな。
 アルトリアのことが心配といえば心配だが。

 うん? 凛の顔色がおかしいな。さっきから変だぞ。


 凛と一緒に街に出る。
 自分が生きていたころより少し昔の風景。
 懐かしくないといえば嘘になる。まあ、それほど覚えていないのではあるが。
 この街の雰囲気というものだろうか。この空気がひどく懐かしく感じさせる。
 深山町、新都と歩き。


 そして、あの火事の中心に来た。
 新都の公園。この世界で十年前に起こった聖杯戦争の終焉の地。
 聖杯は不完全なものだ。だからこの火事は起こってしまった。
 いや、少し語弊があったか。聖杯としての力は十分に備えている。だが、それが正しくないだけで。
 必ず破壊しなければならない。そのためには今回の聖杯戦争、必ず勝たなくては。

 凛は、俺に何か話したげな顔をしているが、どうも声をかけあぐねているようだ。
 その顔が唐突にゆがむ。

「痛っ」

「どうした凛?」

「アーチャー、ちょっと黙ってて。――――誰かに見られてる」

 周囲に目を向ける。弓兵としての視力。その能力を十分に発揮し、はるかな距離まで目を向けるが。

「だめだ。私には視線すら感じられん。おそらくマスターだろう」

 やっかいなことだ。こちらは相手を見つけることが出来ず、向こうはいいように位置を知っている。
 弓兵が狩られる、もしくは監視される状況など、褒められるものではない。

「まあいいわ。好きにさせておきましょう。向こうから襲ってくれるなら、探す手間が省けるってもんだし。どうしたの?アーチャー。何か文句ある?」

 はは、まったく凛は、いつも俺の想像を超えるよ。いやこれでこそ凛であるとでもいうのかな。
 俺とはスケールが違う。
 そして、自然に笑みを浮かべてしまう。やはり凛は凛だと。

「いや、君はそれでいい。君はそのままが一番強い」


 散々街中をつれまわされた。すでに日は沈み、世界は夜となっている。
 もっともこの新都は、ぎらぎらと町の明かりと灯してはいるが。
 そして今はおそらくこの町で最も高い建物、の屋上である。
 さすがにこの高さになると、吹く風も相当に強い。だがここから見渡す景色は、それに勝るものがあるだろう。
 こんなところがあった、とはな。

「どう?アーチャー。ここなら見通しがいいでしょ」

「確かにいい場所だ。だが最初からここにくれば町を歩く必要もなかったのだが」

「ん?何か言った?」

「いや、なんでもない。いい景色だと言っただけだ」

「そう」

 そして街のつくりを見る。この街に住んでいたといっても、細部まで、覚えているわけではない。
 少なくとも必要なところは把握しておかねばならないだろう。
 しかしこの体はどこまでが俺で、どこからがセイバーのものなのだろうか?
 多少不都合があるとはいえ、投影は出来る。視力も、問題ない。
 だが、運動能力も、魔力も、自分のものとは思えない。まさしくアルトリアに近いのではないか。
 ――この場所。ここに来るまでの道のり、凛に躊躇はなかった。
 それだけ、ここに度々赴いているのかもしれないが。やはり、高い所を好んでいるのだろうか。
 ん、なんだ? 凛が何かに気づいたようだ。誰かいるのか?地上を見つめながら、殺気だっている。

「凛、敵がいるのか?」

「いいえ、ただの知り合い。ただの一般人よ」

 苛立っているように見える。何が彼女の癇に障ったのか。
 一般人か。気に入らない奴でもいたのだろう。
 凛は何かを振り払うように頭を振ると、完全に切り替えたようで、軽く俺に言葉を発した。

「どう? アーチャー」

「うむ。大体は把握した。あとは追々つかんでいくさ」

「そう。じゃあ帰りましょう。私も本調子じゃないし」

「ああ、そのことについて提案があるのだが」

「なに?」

 少し試したいことがある。

「帰りは、私が君を抱いて帰っても良いかな」

「はぁ!?」

 凛は顔を真っ赤にしている。どうしたんだ? 今日はよく顔を赤くするな。
 それに、それほどおかしなことを言ったつもりではない。
 これからの戦い、凛と共に挑むのであれば、俺が凛を抱いて行動することがないとも言い切れない。
 少なくとも、身体能力は、人とサーヴァントで遥かに違うのだから。
 そして、現状自身の状況を考えれば、必要なことでもある。

「なに。この体は私にとっても初めてなのでね。調整みたいなものだ」

「まあ、そういうことならいいけど」

「そうか。なら遠慮なく」

 すぐさま凛を抱き上げる。凛が何か言ったようだが、かまわず、隣のビルに飛び移る!
 この身は弓兵。暗殺者ほどではないが、身を隠すのは苦手ではない。
 一般人に見られることなどないよう慎重に、だが、全力で移動する。
 ふむ。生前もよく女性を抱いて、駆けたっけ。
 強い風が、とても心地よく感じた。

 凛の家に帰り着いたときにはもう九時を過ぎていた。出かけた時間から考えても、相当連れ回されたことになる。
 まあ、帰りは、俺の方が連れ回したみたいなもんだし、おあいこか。
 遠坂は気持ちよかったと、ご機嫌ではあったが。
 けど、だいたいわかった。この体は鈍い。
 人間と比べれば十分早いが、少なくとも、アルトリアよりは劣る。いや、俺が見たサーヴァントと比べて、もっとも遅いのではないだろうか。
 まあ、誰かと戦う前に解っただけでも、十分。戦闘中に隙を見せるわけにはいかないからな。

「それじゃあ、貴女はここを使って。私はもう眠るけど、何か質問はある?」

「いや、なにもない。君が今夜早く休んで魔力の回復を図るのは正しい」

「そう、じゃあ明日も、今朝の紅茶よろしくね」

 何かを思い出したのか、凛はうっすらとではあるが微笑んでいた。
 なにかくやしい気もするが、仕方がない。
 明日は、とびきりおいしい紅茶を淹れてやるとしよう。

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