ランサーを尾行するのは失敗した。解っていたことだが、あまりにも速度に違いがありすぎる。
まあ、こちらの町にはマスターはいないということがわかるぐらいが収穫といえるかもしれない。
先刻のランサーとの戦闘を思い出す。
あのままでは白兵戦はかなりまずいだろう。
俺が培ってきた戦闘経験と体とのズレ。先の戦いで勘が外れていたらと思うと、自然と表情が歪んだ。
狙撃が有効なら良いのだが、ランサーは俺の弓までかわした。あれはもしかしたら、加護の類かもしれない。
さすがに宝具の回避までは不可能かもしれないが、あまりに不確定すぎる。
白兵戦が、あまり期待できない以上やつに有効な手段は範囲攻撃ぐらいだろうか――――
凛に報告するとしよう。
俺は帰還することにした。
凛は、やはり、といった顔をしていた。
「そう。ま、簡単にいくとは限らないわよね」
そして、それよりも訊きたいことがあるといった顔で、
「それよりもアーチャー、さっき言ってたのは本当?」
凛が言っているのはランサーの真名のことだろうか。
あのときのことは、俺の完全な失策だったが。
「ああ、間違いない。彼はアイルランドの大英雄。クー・フーリンだ」
「ふ〜ん。まあ、それが判っただけましね」
「だが、私が弓を使ったことで、彼にアーチャーとばれた可能性が高い」
「そんなの問題ないわ。だって貴女は、私のサーヴァントなんだから」
「む」
ランサーに向かって言った俺のマスターの評価は、凛にも聞こえていたらしい。
思い出しているのか、喜びと楽しいという気持ちが、半々といった表情をしている。
帰ってから、凛からはどうも覇気が感じられない。落ち込んでいるようにも感じられたから、少しは気分転換になったかもしれない。
だが、ここに戻ってきたのは単に報告だけが目的じゃない。
ランサーは見失った。だが、ランサーがそのまま帰るとは思わない。いや帰りはすまい。
俺のときと同じく、衛宮士郎はまだ生きているのだから。
「凛、それよりも重要なことなのだが」
「なに?」
「先ほどの少年を、放っておくわけにはいかないのではないか?」
私は、気がついていながら告げなかった事柄を、凛に宣告した。
「あ――――!」
俺は凛を昨日のように抱えて夜の闇を走る。
午前零時。衛宮士郎の家を目指して走る。
凛の吐く息が白い。
凛はもう間に合わないかもしれない、と思っているようだ。
本当は、他の手段もあった。念話で衛宮士郎の家に向かうと凛に告げればよかったのだ。
だが、虫の息の衛宮士郎を見た瞬間。あの時のことを思い出す。
私が助けに行けば、セイバー、アルトリアは現れないかもしれない。
だが、助けに行かなければ必ずセイバーが現れると何故かそう思えた。
この世界が、過去、もしくは平行世界というものならば、現れるセイバーは私の知るアルトリアではない。
そもそも、もう彼女が聖杯を求めるはずがないのだ。
それでも、衛宮士郎が傷つくとしても、彼女と会いたかった。
あまりにも、独善的で汚い方法だとしても。それがエゴに過ぎないとしても。
そのために契約したのだから。
彼女は俺を知らない。それは解っている。解っているが――――
雲に覆われた夜空のした、武家屋敷にたどり着いた。
よほど風が強いのか、雲はかなりの速さで流れていく。
月は姿を見せない。
いる。ランサーが。
凛は俺に指示を出そうとしたのか。口を開こうとして。
ランサーを超える力が、屋敷の中に現れた。
それはまさしく太陽か。光が走る。
ランサーは逃げるように、屋敷から出て行く。
それを追いかけるように見ていた凛が、心なしか肩を下げて呟いた。
「アーチャー、やっぱり貴女の言った通りなのかな」
「今朝の言葉か? 君がそう思うのであれば、そうなのだろうよ」
努めて冷静に言ったつもりだったが、凛は不審に思ったようだ。凛の意識が屋敷の光から幾分俺に向けられる。
そして、俺は冷静じゃなかったようだ。
俺はあの時この光景を違う視点で見ていたのに。
塀の上から彼女が現れた瞬間、俺は一瞬彼女に見とれてしまった。
反応が遅れる。凛はまだ反応もしていない。
踏み込み、敵を倒そうとする彼女。彼女には一瞬で十分。
俺は凛を突き飛ばすだけで精一杯。
そして斬られることを覚悟して、
「やめろ――――セイバー!!!!!」
斬られることはなかった。
それは令呪の効果か。本来なら止めることなど出来ぬはずのそれがとまる。
その隙を逃すわけにはいかない。凛を抱え即座に間合いをはずす。
俺のときとは状況が違う。俺はアルトリアを止めることは出来なかったが、この衛宮士郎にはできた。
そのことは感謝すべきことだろう。少なくとも、凛が危険な目にあうことは避けられた。
「なぜ止めたのですかシロウ! サーヴァントとそのマスターを倒すチャンスだったというのに!」
「なんでって、セイバー。いまのはまるで不意打ちみたいじゃないか」
「な! それは侮辱だ。私は騎士だ。そのようなことは決してしない!」
「だけど、相手は武器も持ってないじゃないか。騎士はそんなことするのか?」
「ぐっ―――――」
アルトリア――いや、セイバーと衛宮士郎は何か言い争っている。
敵を倒すことは間違いじゃないと思うが、セイバー。かなり隙だらけに思えるぞ。
「――――ふうん、つまりそういうこと? 素人のマスターさん」
凛は、その会話を聞いて事情を悟ったのだろう。
丁寧のようで、刺々しい物言い。まさしく言葉の凶器。正直向けられる先が俺じゃなくて助かる。
そして、俺の目は常にセイバーを捉えてしまっていた。
先ほどまでは、月も隠れていた。しかし今はわずかではあるが、顔をのぞかせている。
彼女も、俺の姿に気がついたようだ。
やはり、とでもいうべきなのだろうか。その表情は驚愕に満ちている。
マスター二人をそっちのけで、見つめあう。だが、それぞれの目に宿る感情は違う。
セイバーが宿す驚愕と、俺の――
「アーチャー、悪いけど、ちょっと霊体になっててくれる?」
ん? 話は終わったのか?
俺はすぐさま霊体になる。
「遠坂、今のは――――」
「シロウ、驚くことはない。今のは霊体になっただけで、私にもそれは可能だ」
セイバーはそんなことなんでもないことだとでも言うように説明する。
そして俺と同じように霊体化してみせ、すぐさま実体化した。
な、に?
セイバーが霊体化できるだと。どういうことだ?
俺が知るセイバー。英霊としては、まだ半端な彼女は、霊体化できなかったはずだ。
ここは俺が知るものとは違う世界なのだろうか?
第一俺のときはセイバーとラインがつながっていなかった。
今回はセイバーに衛宮士郎の魔力が流れているのか?
だが俺の動揺が収まらぬまま、セイバーは凛の提案に同意し、衛宮士郎の家に入ることになった。
わずかだが、しかし確かな差異。
今はまだ二つ、だろうか?
一つは衛宮士郎がセイバーを止めることが出来たこと。
二つ目はセイバーが霊体化できるということ。
何を勘違いしている、俺の存在こそ、大きな違いではないか。
やはり俺の存在が影響しているのだろうか?
だが、衛宮士郎はまた、ランサーに殺されかけたし、セイバーも召喚された。
大体のところは変わっていない。まだ、断定するのは早い。
ただ、思いもよらぬことがあると覚悟しておくほうが良いだろう。
余裕が出来ると、自然と武家屋敷、衛宮士郎の家に目を向ける。
家の門をくぐったとたん、懐かしさにがあふれた。
この家には何年も戻ってなかった。戻れぬまま死んでしまった。
それが懐かしくないわけがない。
なによりここは、短い間とはいえアルトリアと寝食を共にした場所。
そして例の窓ガラスが全壊した居間についた。
凛はあの時と同じように、窓ガラスを直し。
「こんなものはただのデモンストレーションみたいなものよ」
衛宮士郎は自分はほぼ素人だということを皆に告げる。
「は? 俺はそんなこと出来ないぞ」
凛はそんなやつになんでセイバーがと、理不尽に思い、それでも借りを返さねばと息をつく。
「なんでこんなへっぽこにセイバーが」
くぅ。自分のこととはいえ頭が痛い。凛の言葉も堪える。
そして――――何も知らない衛宮士郎に聖杯戦争の何たるかを語った。
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