08 08

 二月四日

 ふむ、夜が明けたか。
 結局、セイバーと二人で夜を明かしてしまった。
 何の会話もなく。

 衛宮士郎は結局土蔵から出てこなかった。おそらく鍛錬の後そのまま寝てしまったのだろう。
 セイバーは自分のマスターが、土蔵に居ることすら気がついてないようだが。

 まだ衛宮士郎が起きてこないとすると、朝食に支障が出るな。
 よし、ならば私が腕を振るうとしよう。
 早くもやってきたチャンスに、僅かだが心が震えた。

「セイバー、そろそろ屋敷に戻ろう。もう朝食の準備をせねば、君のマスターも学校に間に合うまい」

 そうは言うが、ふと思う。何故この時間に準備をせねば、間に合わなくなるのだ? 六時にすらなってないというのに。……まあいいか。
 たいした事でもないだろう。

「分かりました、アーチャー。ですが、貴女が朝食を作るのですか?」

「む、君は私が料理を出来ないとでも言うのか?」

「いえ、そういうわけではないのですが」

「ならば、私の料理を食べて、判断するが良い」

「――――――――そうします」

 何故そんな不安げな顔をする。そんなに俺が料理が出来ないように見えるのか?
 くそっ、後で謝っても遅いからな!

 衛宮士郎とは違うエプロンを探しだして料理をはじめる!
 む? 何故、包丁を持った手が震える?
 おかしい。
 そのまま僅かに思案したが、まあ問題はないか、と今度こそ調理を始めた。
 ん? 衛宮士郎が起きてきたようだ。
 俺の姿を見て、ものすごくあせった顔をしているようだが。

「あ、アーチャー、何やってるんだよ! 危ないじゃない――――」

 俺から包丁を奪い取ろうとした、不届きものに最大級の殺気をぶつける。

「か―――――」

 叫びは尻すぼみに消えていく。
 ふん。誰にも邪魔はさせん! お前はそこでおとなしく見ているがいい。
 では気を取り直して……。

「士郎ー、牛乳、頂戴―――――」

 大怪獣凛が衛宮家の冷蔵庫に襲い掛かる!
 衛宮士郎もその姿に唖然としている。ご愁傷様。だが、同情はしないぞ。
 俺はそれをすでに乗り越えたのだからな。

「あれ? アーチャーどうしちゃったわけ?」

「わからないけど、なんかやる気になってるみたいなんだ。遠坂何とか止めてくれないか? あの包丁捌きを見てると心臓が止まりそうだよ」

「別にいいんじゃない? やりたいってんならやらせておけば。どうしても危ないようだったら、士郎が教えてあげればいいじゃない」

「それが出来たらな……」

 凛よ、その言い方は少し気になるが―――援護してくれたのは助かる。

「私にも止められそうにありません。あの気迫には介入できない」

 無理です、とずっとこちらを伺っていたセイバーが口を挟む。

 そろそろ六時か。屋敷の前に人の気配が。


 ピーンポーン

 呼び鈴が鳴る。なんだ? こんな時間にこの男の家に誰か来るのか?
 凛と衛宮士郎が玄関へと行ったようだ。凛の方が幾分か早かったようだが。
 何かいやな予感がするな。

 何か言い争って、いや言い争っているのか?
 なかなか終わらんな。もうすぐ料理が出来てしまうぞ。
 誰かが近づいてくる。むう、追い返せなかったのか。二人もいて。
 そしてその誰か――――少女か。彼女は台所に入ってきて、

「え――――――――?」

 調理器具の片づけをする私を見て、困惑した声を上げた。

「えっと貴女は、いったい」

「ふむ、私は――――――――桜?」

「えっ!?」

「いや、なんでもない。それよりも料理を運ぶのを手伝ってくれないか?」

「あっ、はい。わかりました」

 危なかったな。桜か。彼女のことすら忘れていたとは。
 衛宮士郎の日常の象徴とも言うべき存在。
 適当にごまかそうかとも思ったが、今説明するのは、面倒くさい。
 大体桜は居間にいるセイバーに気がつかなかったのか?
 説明するなら、二人そろってで良いだろう。
 しかし、いやな予感の原因は彼女ではないようだが……。
 二人で料理を運びながら思う。

「――――――――これは」

「どうしたのだ。なにかあったのか?」

何かを呟いている桜に尋ねる。

「あの、これは先輩が作ったのでしょうか?」

 先輩? ああ、衛宮士郎のことか。

「いや、私が作った。なかなか良く出来たと思うのだが」

「――――!? そうですね。良く出来てると思います」

 ? 一体どうしたんだ? 何故そんなに何かを呟いているのだ。

「さ、桜。実は――――」

 少しあせったような様子で、衛宮士郎が戻ってきた。

「戻ってきたか。もう朝食は出来たぞ。さっさと、席につくがいい」

 言いながらも、ご飯をよそう。三人分だが。
 凛にも絶対食べてもらうぞ。昨夜は不届きなことを言っていたが、そんなことは許さん。

「え? ああ、わかった」

「うそ、これアーチャーが作ったの?」

「遠坂? つっ! な、何であの手つきでこんな料理が――――」

 ふっ、なかなかの反応だな。だが、驚いてもらうのはまだ早い。

「美味しい――――」

 誰かが呟く。これは桜か。

「ま、負けた――――」

 凛、そんなに落ち込まなくても良いのではないか?
 衛宮士郎はまだ驚愕が抜けきれないといったところか。俺を驚いたように見つめている。
 どうでもいいが、一口ぐらい食べろよ。

「なによ、これ。次元が違うじゃない」
 凛が悔しそうな顔で、俺に言う。
 うむ。そう簡単に負けてやるわけには行かないからな。
 料理に関しては、俺に一日の長がある。一概に年月だけで計れるものではないが、それなりに自身はある。
 それに、目の前の三人。セイバーを除いた三人はそれぞれ俺に勝るとも劣らない腕を持つに至るのだから。
 心配する必要はない。

「その、アーチャー、私の分はないのですか?」

セイバー、そんな捨てられた子犬のような目で俺を見ないでくれ。

「いや、もちろん君の分も用意した。凛、そういうわけで、私達は、別の場所で食事させてもらう。私たちのことは食事の後にでも、紹介してくれ」

「そういうわけでって、貴女」

「君たちは知り合いらしいからな。その食卓を邪魔したくはないのだよ」


 そう言ってから俺は、反論させる暇を与えず、セイバーと自分の分の朝食を持って、居間を出る。
 どうも、さっきからいやな予感が消えないからな。
 ここで食事をするのは危険な気がする。問題は先送りになどせず、すぐに対処するべきだ。決して敗走などではないぞ。戦略的撤退というやつだ。
 セイバーも慌てて後に続く。
 食べる場所はセイバーの部屋で良いだろう。
 ん? まてよ。そこではなく離れの方が良いかもしれない。

 そして、俺達は、離れの凛の部屋の隣で食べることに決めた。

「待たせてしまったようだな、セイバー。すまなかった」


 俺は軽くセイバーに謝罪する。

「いえ、少し不安にもなりましたが、貴女は私の分も用意してくれたのですから。こちらこそ感謝を」

 食事を始める。
 小さなテーブルで二人きりの食事。

「これほどとは――――」

 昨日より、さらに頷いている気がする。やはり可愛らしいが、疲れないか?
 ああ、だが喜んでもらえて何よりだよ。
 この体での料理は勝手が違ったから、最初は戸惑ったが、なかなかのものが出来たと思っている。
 食事だって、立派に人を救うことが出来るのだからな。
 俺はその鍛錬だって、手を抜いてなどいない。

「む、アーチャー、貴女はもう食べないのですか?」

「ああ、私はそれほど、量は食べないのでね。それに私は食べるよりも、作ったものを食べてもらう方が好きだから。君がおいしそうに食べてくれると、こちらとしても嬉しいんだ」

「そ、そうですか」

 はは、こんなときにセイバーの赤面が見れるなんて。
 なんて、未練・・・・・・。


 それからは、何も会話なく、セイバーの食べる姿を見ていた。
 ん? いやな感じが消えている。脅威は去ったということか。
 それに安堵すると間髪いれずに、部屋の扉が開いた。

「こんなところにいたの?」

 凛か。少々不機嫌な気がするが、逃げて正解だったか?

「まったく、あんたはあれを想像してたわけ?」

「あれとは何だ? 凛。そんな言い方では良くわからんのだが」

 実際具体的には見当もつかない。何か良くないことが起こる気はしていたが。

「そうね。なんでもないわ。でも貴女は私を見捨てたってことは覚えておいてね」

 よっぽどつらいことがあったのか、いや、あれは面倒なことがあったという類のものだな。

「何、旨い朝食が食べられたのだ。それでチャラだろう?」

「うっ、そういえば、あんたなんでそんなに料理が巧いのよ。英霊の癖に」

「何を言う、マスター。出来ないよりは出来る方がいいに決まっている」

 凛はそれで、沈黙した。

「それで、凛。ここには一体何の用で来たのですか?」

「ああ、藤村先生――――えっと士郎の知り合いね。その人がもう出て行ったから、貴女達を呼びに来たのよ。桜にはもう見られちゃったんだから、紹介しないといけないでしょ。どうかした? アーチャー」

「いや、なんでもない」

 そうか。いやな予感は、虎の気配だったというわけか。さぞかし、彼女を言いくるめるのは骨が折れただろう。
 よく、わけのわからないことを言う人だったから。はて、そういえば凛の学友にも似たような奴がいたような。
 それなら、慣れてる、わけもない、か。
 しかし、あの大音量の咆哮を浴びたのかな?

「わかりました、では行きましょう、アーチャー」

 セイバーは頷いてから、俺を促す。
 まあ、少し待ってくれ。これを置いていくわけには行かないからな。
 二人分の食器が載ったお盆を持つ。

「それで凛。先ほどの少女には何か私たちのことを紹介したのか?」

「ええ。藤村先生にも言ったんだけど、シロウの死んだ養父の知り合いだって紹介したわ」

「――――凛、何故、二人に説明しているのだ? わざわざ言うこともなかったのではないか?」

「仕方ないじゃない。士郎が紹介しちゃったんだし。どうせもう桜に見られちゃってるんだから、同じことよ。士郎が、隠し事なんて出来る筈ないじゃない」

 それから凛はやたらといやな笑いを浮かべて。

「それにあんな料理作っちゃったんじゃ、誰かがいるっていやでも気づくわ。藤村先生も誰が料理作ったの? って不思議がったんだから」

「そうか、すまなかったな。私の短慮がいらぬことを起こしてしまった」

「もういいわ。さっきも言ったけどどうせ士郎には黙ってることなんて出来ないでしょうし」

 居間に入る。
 桜は朝食の片づけをしているようだ。
 私はお盆を台所に持って行き

「すまない。これもお願いしてよいだろうか」

「あっ、はい。全然構いません。こちらこそおいしい朝ごはん、ありがとうございました」

「ああ。そう言ってくれるとこちらも助かる。それではまた後で」

「はい。わかりました」

 桜はにっこりと笑って、食器を引き受けてくれた。
 片づけが終わり、居間に皆が集まっている。

「えっと、さっきは紹介できなかったけど、二人は親父の知り合いで、セイバーとアーチャー」

 衛宮士郎が桜に紹介する。

「セイバーです。よろしくお願いします」

「アーチャーだ。世話になる」

「えっと、間桐桜です。こちらこそよろしくお願いします。お二人は姉妹なんですか?」

「いや、私―――――――――――――」

「ええ。私が姉で、アーチャーが妹です」

 私の声は、セイバーに遮られた。姉妹ということにするのか? どうでもいいがやはり私が妹なのだな。

(せっかく似てるんだから、このまま黙ってなさい)

(しかし、凛)

(却下します)

 念話で凛も敵にまわった。

「やっぱりそうですか。なんだか仲の良い姉妹って感じだったので」

「確かに。食事のときも、ここに呼ぼうとしたら、桜が二人の邪魔をするのは反対ですって言ってたものね」

「と、遠坂先輩!」

 凛、あまり桜をいじめるなよ。

「えっと、二人も数週間ぐらいここに下宿する予定だから、仲良くしてくれると助かる」

 こんなところか。しかし虎にも後で挨拶せねばなるまい。

 それで紹介は終わり、凛たちは、登校の準備を始める。
 俺とセイバーはそれぞれマスターに霊体化して護衛しなければならない。

「先輩、戸締りはどうするんですか?」

「ああ、二人とも家に残るからやらなくても良いぞ」

 少しタイムラグがあるが、三人が出て行ってからすぐに、霊体化して追いかければ問題ないだろう。
 三人が家を出るのを見送ってから、戸締りをしてセイバーと一緒に追いかける。


 坂道くらいで、凛たちに追いつく。
 三人は周りから奇異の目で見られていた。
 凛は様子がおかしい。視線が気になるのだろう。
 ふと思ったのだが、凛と、衛宮士郎が登校するだけで、いつも通りとは言わないような気がするな。
 この視線が、それを肯定していると思うが。

 校門をくぐる。

「そういえば、桜。朝練休んでも大丈夫なのか?」

「はい。今日は、兄さんも行かないといってましたから」

「慎二が?」

「ええ」

 士郎と桜が部活動のことを話している。
 慎二。間桐慎二か。こいつも何か引っかかるな。
しかし、あの時間に料理をせねばと、感じたのは凛が遅れるからではなく。ただ、食事が普段から早いだけだったか。
 衛宮士郎はともかく、桜と大河は部活動というものがあった。

 校舎に入り、桜とまず分かれた。
 そのまま階段を上がる。

「士郎、昼休み屋上でいいかしら?」

「わかった」

 そう言ってセイバーたちとも別れる。

「凛、何か会議をするようなことでもあるのか?」

 昼休みに、わざわざ会う理由がわからない。

「そういえば、貴女はいなかったわね。今朝テレビで新都の方で、昏睡事件の報道があったわ」

「サーヴァントか」

「多分ね。そのことを少し検討しよっかなって」

「なるほど。了解した」

 教室へ入る。
 そこは血の匂いなどしない世界。
 魔術とは無縁のはずの世界。


 私達は、日常の世界に埋もれる――――――――

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