13

 夕食を終え、茶を飲む。そういえば死ぬ前は紅茶ばかり飲んでいたなと、ぼんやりと思った。
 今夜はキャスターを討ちに行く。だがそれまでには少々時間がある。
 また道場にでも足を運ぶか、セイバーが瞑想でもしているだろうと立ち上がる。

「ねえ、アーチャー、訊きたい事があるんだけど」

 それを凛の声が止めた。

「なんだ、凛」

「ここで話すのもなんだし、私の部屋で話さない?」

 聞かれたくない話なのだろうか。
 しかし、もうここにいるのは衛宮士郎だけなのだが。まあいい。衛宮士郎には聞かれたくないわけだ。

「そうか」

 俺は頷くと、凛と共に今を後にした。


 凛の部屋はまだ僅かな時間しか使っていないにもかかわらず、相当なものだった。
 その、散らかり具合が。
 俺の表情の変化に気がついたのだろう。咎める様な視線を送ってくる。

「何よ、なんか文句でもあるわけ?」

「いや、そんなものはありはしないさ。ただ私のマスターは少々整理が下手なのだなと思っただけだ」

「それを文句って言うんじゃない」

「君がそう思うのなら、そうとってもらってもかまわない。どう捉えるかは自由だからな」

 そこで凛が諦めたように肩を落とす。

「わかってるわよ。貴女は整理が出来る様にしろって言いたいわけよね。はあ、それが出来てたら苦労はしないわ」

 ん?

「君が泣き言とは珍しいな」

「そうね、こればっかりはね」

 ふむ、ちょっと予想と違う感触に戸惑ってしまいそうだ。

「まあいいわ。それより本題に入りましょ。そのためにここに来たんだし」

 凛の目が鋭いものへと変わる。

「それもそうだな。それで凛、訊きたい事というのは何だ?」

 自然、俺も気持ちを切り替えた。それほどのものを凛の視線から感じたような気がしたのだ。

「貴女。自分は正規の英霊じゃないって言ったわよね」

「確かにそう言ったが、それがどうかしたのか?」

「アーチャー、貴女、セイバーの事知っているんじゃないの?」

 一瞬時が止まったかのようにも感じた。訊かれるかもしれないとは思っていた。むしろ今まで訊かれなかった事がおかしかったのかもしれない。  しかし、最初の質問と脈絡がないのも事実だ。それが逆に不意を討たれる事になったのだが。
 訊かれた以上は答えなくてはなるまい。

「ああ、知っている」

「ふーん、貴女それを私に黙ってたわけね」

 俺の苦手な表情だ。笑っているはずなのに怖い。

「――――訊かれなかったからな」

「そう。まあいいわ。それで、真名も知ってるの?」

 ――――いいのか?

「知っている……。凛は知りたいのか?」

「別にいいわ。セイバーの真名は黙ってていいわよ、アーチャー。それより訊きたいのは―――――貴女セイバーと生前会った事があるの?」

 真名より訊きたいことがこれか? 少し納得できないものもあるが、

「ある」

「あるのね? はぁ、やっぱり違うみたいね」

「何が違うのだ?」

 俺の言葉から何かを確かめたようだが。見当がつかない。

「えーっと、はっきりとは言えないけど、夢を見たのよ」

「夢、か?」

「そう、夢! 言えるのはここまでよ。これ以上は訊かないで!」

「わ、わかった」

 なにやらすごい顔で、部屋から追い出されてしまった。
 俺の真名も訊かれなかった。しかし、夢とは、一体―――――


 月明かりは流れる雲に幾度もさえぎられ街を照らすこともままならない。強く、そしてひどく冷たい風が容赦なく目の前の二人に襲い掛かる。時刻は午前零時。大多数の人間はすでに優しい夜の闇に抱かれて寝静まっている。
 衛宮士郎は昨夜のように木刀を持っている。
 目指す先は柳洞寺、昨夜とは逆方向だ。違うのはそれだけではなく、行程は無言のものとなった。






 円蔵山、その中腹まで続く長い階段。その階段を不吉を現すかのような闇が覆っている。懐かしいかどうかはわからなかった。

「アーチャー、サーヴァントの気配、察知できる?」

 霊体化している俺に凛が訊いてくる。今俺が感じることが出来ているのは

「そうだな、正確には判らんが、1人、感知できている」

 実体化して答えた。

「そう。士郎、セイバーはどう言っているの?」
「あ、セイバー、どうなんだ?」

「私もアーチャーと同じです。確かに1人、サーヴァントの気配を感じます」

 セイバーも実体化する。

 俺もセイバーもクラスは騎士。感知にはそれほど長けてはいない。
 それに加えて、ここは柳洞寺。結界も邪魔している。
 アサシンがいるかどうか判断は難しい。

 セイバーの緊張感が高まり、張り詰めたものへと変わる。

「シロウ、それに凛とアーチャーも。この山は鬼門、いえ死地だ。くれぐれも油断しないでください」

 凛と衛宮士郎は無言で頷く。
 確かにここは死地なのだろう。キャスターが集めただろう魔力で山そのものが歪んでいる様に感じる。周りの木々は見えない血で染められ、風は怨嗟の声を運んでいる。苦痛と憎悪が吹き荒れるかのようだ。
 それはセイバーが戦ったという、10年前の時よりひどいのだろう。
 その階段をゆっくりと上る。これだけ長い階段だ。気づかれずに上ることは不可能だろう。


 奇襲や罠に注意したためだろうか。僅かに残る記憶よりも若干時間がかかったような気がした。
 一歩一歩が心なしか重い。それだけでサーヴァントたる俺やセイバーはともかく、戦いの経験が豊富とはいえない凛や衛宮士郎には、疲れるものだろう。
 山門の前。そこには予想と違わず、侍が立っていた。その手には日本刀にしてはあまりに長すぎる得物。
 俺の傍らにいるセイバーの殺気を受けるのではなく柳のように受け流している。
 俺はアサシンに会うのは初めてだったが――――想像以上だ。剣では勝ち目はないだろう。それでも、負ける気はないが。

「――――侍、か」

 セイバーが搾り出すように声を発する。その手にはすでに風王結界が握られているようだ。
 凛も衛宮士郎も無言だった。奴の異常な気配を感じ取っているのだろう。
 剣の腕だけで英霊と渡り合う魔人とも言うべきサーヴァント。

「騎士が二人・・・・・・セイバーと、アーチャーか」

 無色の敵意とでも言うのだろうか。そんな印象をアサシンの言葉に感じた。
 そして、一見しただけで、俺とセイバーのクラスも見抜いたようだ。

(アーチャー、あれがキャスターのわけないわよね)

 凛よ、その質問は少し面白いな。確かに、余計な先入観は戦いには無用だが。背後にいる凛と視線を交わさずに念話を交わす。

(さすがに侍姿の魔術師など想像したくないな)

(そ、そうよね。でもこいつがキャスターじゃないのなら)

(君が考えていることであっているのではないか? おそらくは手を組んでいるのだろう)

「アサシン、さしずめ門番役というところか。悪いが通らせてもらうぞ。今夜は奥の魔女に用があるのでな」

 俺はアサシンに向かって声を発した。
 アサシンとセイバーたちの両方から僅かに声が漏れる。
 前者は軽い驚きの声が、後者からは幾分大きな驚きか。

「ほう、一目でクラスを見破るとは、たいしたものだな」

「そうでもない。貴様のような、ライダーやキャスターなど考えられまい。ただの消去法だ」

「そうか。では名くらいは自分で名乗っておこうか。アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎と申す。察しの通りここの門を守っておる」

 視線を俺からセイバーへと移し、アサシンは薄く笑った。
 名を名乗るとは。これではセイバーは。
 見るとセイバーは軽く唇を噛み、それでも決心をしたように口を開こうとして

「ふむ、失言だったようだな、セイバーよ。名乗らなくてもよい。私が知りたいのは、其方の実力のみ」

 アサシンに止められた。
 そしてその殺気を、セイバーただ一人へと向ける。
 それに答えるかのように、セイバーの気配も純粋な物に変わった。
 名乗られて少し動揺したようだな。

「いいでしょう、そこまで言うのであれば、貴方を切り伏せて、通らせてもらう」

「なに、死合うのはこちらとしても喜ぶべきことだが、その少年をそのままにしてもよいのか?」

 アサシンは口の端に微かに笑みを浮かべながら視線を俺達の後ろへと向ける。
 空間転移! アサシンの言葉の意味はこれか!
 アサシンの視線を追った先には今にも消えそうな衛宮士郎の姿があった。凛が何かを言ったが、声も届いてないようだ。
 間違いなくキャスターの仕業だろう。アサシンの言葉も手遅れではあまり意味が無い。
   アサシンの存在に気をとられすぎた。
 それでも、俺たちの誰にも気取られることない魔術の冴え。恐ろしいほどの腕前だ。
 俺やセイバーでは高すぎる対魔力のせいでどうしようもない。
 凛でもこの段階で衛宮士郎を助けることは不可能だ。

「アーチャー!」

「わかっている、セイバー!」

「ふむ、押し通るか」

 ふざけたことを。先の言葉は、俺にここを通れと言ったようにしか聞こえなかったぞ!
 衛宮士郎の転移が完成しここから消えてしまうまで数秒もない。
 俺の声と同時にセイバーは無言で、一直線にアサシンへと走る。
 セイバーと同時に走り出し、だが速度差によりその後ろを追う形となった俺は、セイバーの剣とアサシンの長刀が重なった瞬間、門の上へと大きく跳躍した。
 我が身は弓兵、ならば俺の出来ることは……。

 衛宮士郎とキャスターが遭遇すれば、なすすべもなく衛宮士郎は殺されてしまうだろう。そうなってしまえば、セイバーは力を失いほぼ無力化してしまう。キャスターの宝具を考えれば奴の狙いは前のときと同じ……。

 鷹の目はキャスターと衛宮士郎を探す。
 見つけた! 距離はかなりあるが、衛宮士郎は間違いなくあの場所に現れる。問題はその傍で、待ち構えている、キャスターの存在だ。衛宮士郎が幾ら鈍いといってもさすがにキャスターの存在には気がつくだろう。だがそれだけだ。対魔力のかけらもない衛宮士郎を殺すことなどキャスターにとっては赤子の手をひねるよりたやすい。
 走る。場所を確定した瞬間、俺はその場所へ走り出していたがあまりに距離がありすぎる。

 衛宮士郎が虚空から無様に落下する。
 キャスターの腕が、指先が衛宮士郎という獲物へ向けられる。
 その指先には禍々しくも強大な力が、光が灯る。
 あれが放たれれば、衛宮士郎は死ぬ。
 セイバーが、自分の主を救うことを、俺に託してくれたというのに。
 だが、俺の脚では間に合わない。
 ならば―――――――

 間に合わないのであれば、間に合うものを。
 救えないのであれば、救えるものを。
 赤く染まる世界より
 想像しろ!

 思い描くは十七の剣。それらを一息に放つ。
 放物線を描いてそれらは一秒と遅れず全て、衛宮士郎とキャスターの間に突き立った。
 突き立った剣は、壁となり、数本折られながらも、キャスターの魔力弾を防ぐ。
 恐るべきはキャスターの魔術か。曲がりなりにも、魔力を付与されていた剣をたやすく破壊するとは。だが、それは今ではあま り関係ない。何故なら。
 俺はもう衛宮士郎とキャスターの間に立っているからだ。

「アーチャー?」

「まさか、間に合うとは」

 衛宮士郎の呆けたような声と、キャスターの忌々しげな声が重なる。

「まったく、門番すらも十分にこなせないとは。あの侍も存外使えないものね」

 む、これは。

「それはセイバーをなめすぎだ。一対一で彼女を抑えているだけでも、褒めこそすれ蔑む理由にはなりはしないと思うが?」

 間に合ったことにほっとしながらも、一応、アサシンを弁護してみる。

「いえ、仮にも英雄という存在が門を守るのならば、決してそこを通してはならないわ」

「ふむ、だがそうであったとしても、私は弓兵だぞ。君なら解るのではないか?」

「――――そうね。貴女には関係ないかもしれないわね」

 気がついたのだろう、キャスターは少し疲れたような声になった。が、

「でも、悪くないわ。貴女みたいな娘を躾けるのも」

 それは、悪魔のような笑みに変わった。
 瞬間、怖気が走った。キャスターから発したものは、俺が今までに感じたことのない種の妖気。
 俺の存在そのものを食い尽くすような、貪欲なあり方。
 あれはきっと俺にヨクナイコトヲスル。

   セイバーだけでなく、俺すらも欲するとは、一体どれほどの魔力を。
 魔力? 魔力、そしてキャスターの宝具は―――――

「アサシンは、すでに君のサーヴァント。そういうことか」

「あら、鋭い娘ね。ますます楽しみになってきたわ」

 そう言ってキャスターは、目の前から消え、

「アーチャー、貴女にこれを防ぐことができて?」

 その姿は空にあった。こうもりの羽のように広げたロープ。
 彼女の目の前に十数の光球が現れる。

「なっ――――」

 背後で衛宮士郎の驚きの声が聞こえる。
 当然だ。俺ですら驚いているのだから。まさしく現代の魔術を超越した魔術。だが、

「やれやれ、衛宮士郎、私から離れるなよ」

「え? アーチャー、何言って、いぃー!」

 強引に手をつかみ傍らに抱き寄せる。
 自分の能力についてはもう驚くことはない。把握できている。
 生前、いや、あの男ですら持ち得なかったこの力。
 その力によって、降り注ぐ光の雨は俺の目の前で音もなく、消えた。

「あ」

 衛宮士郎の気の抜けたような声が聞こえる。
 一瞬この能力を隠そうかとも思ったが、残念なことに剣で弾く前に対魔力が、消してしまうだろう。
 キャスターは呆然として動きを止めてしまっている。

「馬鹿、な。三騎士とはいえアーチャーが、何故これほど強力な対魔力を・・・・・・」

「さあな、だが、次は私の番だな、キャスター。君には消えてもらう」

 無数の剣を投影する。投影に魔力がかかるといってもこの身にはそれを補って余りあるほどの魔力がある。浮遊させたそれらを、キャスターへ向けて放つ。
 その剣の群れは、キャスターに防ぐ暇など与えぬまま襲い掛かった。
 あの英雄王の所業ほどではないが、俺の剣はキャスターを切り刻む。
 だが、剣の雨が終わった後に残るのは、キャスターのローブの切れ端だけ。
 ロープ……。なるほど、あの時と同じということか? む!

 飛来する剣の群れ。俺は抱き寄せていた衛宮士郎を抱きかかえると、その場から、離れた。
 まさか、ギルガメッシュが? なら、セイバーと凛は

「悪いが、彼女を殺されると、私にとっても都合が悪いのでね」

 な――――――――この声は

 俺は一体どのような表情をしていたのだろうか?

「ア、アーチャー、一体どうした? っつ」

 衛宮士郎の声が遠く感じる。


 剣が飛来した方向。そこには黒い弓を片手に持った赤い騎士。
 俺が最もよく知っているはずの男が立っていた。

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