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 interlude




 それは靄がかかって見えない。それは遠い記憶だからなのだろうか。それとも他に理由があるのか。
 まあ、これは夢なのだから、そんな事は判りはしない。
 でも、覚えがないってことは俺の記憶じゃないんだろう。

―――――■■の■■などというモノは―――――(あれ?)

 そいつは、似ていると思っていたらしい。何をと訊かれても俺には答えられない。
 でも、それはそいつの勘違い。そう思っていたのはそいつだけ。
 似てなどいなかった。そいつが重ねていたヒトは、そいつよりずっと強くて。
 逸らせない闇をつき付けられて、死の影を背負わされても、道を曲げないと。

―――――■■は本当に■■たいものこそを―――――(なんだ、これは)

 そいつは、その言葉を聞かされたとき、気がついたのだ。
 身体は鉛のように重くなり、満足に立っていられなくなる。そんな衝撃を心に受けた。
 そいつは、自分が間違っていると気付かされたのだ。

―――――ければ、■■は■■に堕ちるだろう―――――(何かが)

 そう、■■■すことはできない。なかった事になどできない。
 あの涙も、あの痛みも、あの誓いも。消してしまっては、どこに行ってしまうと言うのだろう。
 そう、やり残したことがあるのなら、悔い残すことがあるのなら。
 それは、過去に戻って■■■すのではなく未来に築いていくべきだったのだ。

それでも―――――(混ざって)

 求めるものなどなかった。欲しいものは全て揃っていたのだから。
 ならば、胸を張って立とう。自分は間違っていなかったと。
 自分が望んだ行為は、決して顔を伏せるものではなかったと、信じられる。


 だからそいつは、今まで望んでいた間違った願いより、■■■が欲しいと言い切ったんだ。
それが彼女の出した答えで、俺はそれを――――(誰の)




 interlude out




 二月七日




(いいのか、凛)

 制服姿の彼女に語りかける。今日は最初から凛についているため、姿を現すわけにもいかない。そのための念話であり、霊体化というわけだ。

(いいって、何が?)

(セイバーのマスターの事だ)

(確かに、土壇場で言われたのは、気に入らないけど。悪くないとは思うわ)

 その言葉とは裏腹に、不満気な表情をしている。

(それは、そうだが。どうもな)

 衛宮邸から、学校を結ぶ道。そこにセイバーのマスター、衛宮士郎の姿はない。それは昨日も同様だが、遅刻とはいえ学校に来るという体裁はとった。だが、今日は完全に学校をサボるらしい。
 それを、出発するぎりぎりになって言うのは、少々問題だと思うが。

 校門まで黙ったままだった俺に凛が声をかける。

(何、気にかかる事でもあるの。結界だって完成まで時間があるんだから、衛宮君がいなくても学校は問題ないと思うけど?)

 その、結界の忌々しい境界に入りながら言葉を返す。

(結界か。だが、こいつは完成してなくても使えないわけではあるまい。本来の威力よりは下がるだろうがな)

(―――そうね、その事は考えてなかったけど)

 結界が発動してしまっては、俺たちにできる事は結界の主、ライダーを倒すだけ。
 だが、

(どうも、この聖杯戦争は予想を超えることばかり起こりそうな気がしてな)

 昨日、単独で行動させた事は、我ながら失態だったかも、と思える。

(それは、忘れてないわ。消極的過ぎるのは嫌だけど、注意を怠る気もない―――ん? どうしたの)

 見えていなくても、俺が見ている先には気がついたのか。凛は正しく俺の視線の先を追った。

(いや、無事だったのだな、彼女は)

 昨日は、来てすぐ帰されたから確認できなかったが。

(ああ、綾子の事? 昨日は大事とって休んだみたいだけど。元気だったわよ。何かされたわけでもないみたいだったし)

 そう言って凛は手を振る。なるほど、すでに確かめたと。

(まあ、今日もいつも通りってとこかしらね。この作業は、衛宮君がいてもあまり役に立たないし)

(そうか)

 じきに授業も始まる。

(では、凛。私は屋上に居るとしよう)

(わかったわ。何かあったら呼ぶから、遅れないで来なさいね)

(善処しよう)

 そういって俺は、屋上までの天井を通り抜けた。
 屋上の給水タンクに座り、空を見上げる。
 この校舎にサーヴァントの気配はない。少なくとも俺には感じられない。
 こんな結界を張ったマスターが、サーヴァントなしで学校まで来るだろうか。なんとなく、そんなことを思う。
 セイバーなら、もう少し精確な感知が出来たかもしれない。俺はその手の類はあまり得意ではないのだから。
 昨夜の凛を思い出す。彼女の苛立ちは、相当のものだった。衛宮士郎の異能、その一端に気がついたことだろう。
 おかげで、昨夜は宥めるのが大変だったが。
 もっとも、今朝の彼女からは、それは感じられなかった。キレイに畳んでしまい込んだか、何とか消火したのか。
 だが、普通の魔術師では、凛のようにはいくまい。彼女は魔術師としては優しすぎるくらいだからな。
 む、もう昼か。そろそろ凛が来ても……?
 昼休みになってだいぶ立つというのに、凛が現れない。穏やかではない様子が、ラインを通して伝わってくるが。さて。
 
 ―――見つけた。何故か彼女は弓道場の前に居る。どうやら誰かと話しているようだが。後姿では、誰かはわからない。
 ただ、我がマスターの顔は見える。あれは良くない。顔は笑っているが、目が笑っていない。
 誰かは知らんが、合掌するとしよう。先は見えた。
 む、動いた!
 踏み込んだ足、腰の入り。そして目標まで一直線に打ち抜いた右拳。文句のつけようがないストレートだ……。
 哀れな犠牲者は尻餅をついて、凛を見上げている。それを見下ろしていた凛は、やはり冷めた目のまま背を向けて歩き出した。
 怒れる大魔神。今の彼女に話しかけられる豪傑は、そうはいまい。
 取り残された男の背中が哀愁漂っている。まったく。何を言ったら彼女をあそこまで怒らせる事ができるのか。
 そういって視線を空へ戻す。何があったか知らんがそっとしておこう。
 それより、あれほどの打撃を素手で行ってしまっては、凛の拳も無事ではないだろう。
 後で治療する事も頭に入れておかねばなるまい。

 それから十分くらい待っただろうか。凛は、紅茶とサンドイッチを持って、屋上に現れた。もう、昼休みも終わろうという時刻だ。どうやら、まだ興奮冷めやらぬ様子だが。ふむ。
 実体化して、彼女に近づくが。

「アーチャーは黙ってて」

 どうやら、機先を制されたようだ。そのまま肩をすくませて両手を挙げる。
 凛は、少し大雑把にサンドイッチの封を開けると、無言で口に入れる。
 いや、何か呟いているようだ。馬鹿とか、最低とか、罵倒の類のようだが。成る程、先ほどの男は慎二というのか。
 時間は五時間目に突入し、何とか彼女の機嫌も直ってくれたようだ。

「あれ、アーチャー。あんた何でそんな面白い格好しているのかしら」

「ずっと、この体勢をとっていたのだがね。今気がついたというのなら、それだけ君は周囲が見えていなかったのだろうよ」

 そう言って万歳していた手を下ろす。確かにおかしな格好ではあったが、別に誰かに見られているわけではない。
 しかし、凛の様子では、彼女の怒りの様は、彼女とすれ違った皆に焼きついてしまっている事だろう。
 自分でもどうかと思う私の格好に、食事が終わるまで気がつかないくらいだ。
 彼女に物を売った人間の安否が気遣われる。心臓に良くないからな。

「し、仕方ないじゃない。頭にきてたんだから。昨夜の衛宮君のこともあったし」

「そんなに、気になるのか?」

「まあ、気にならないって言えば嘘になるけど」

 そう言って彼女はアハハーと笑う。
 さて、余計な事を聞いてしまったな。これは黙っていた方が吉か。今更意外でもなんでもないが、凛はドジと。

「で、先ほどの男はなんなのだ。君の怒りはそいつが原因だと思うのだが」

「見てたわけ、アーチャー」

「ああ。君が華麗な右ストレートをお見舞いした事も知っている」

「そう。まあ、殴った事に関しては訊かないで。私的な事だから」

 そう言って、溜め息をつく。見られたのが堪えたのだろうか。

「そうか。まあ、安心したよ。魔力は感じられなかったから、マスターではないと思うが。それでも、君を危険な目には合わせられないからな」

 そう言うと、凛はきょとんとしたような顔になる。

「ふーん、ありがと。心配してくれて。でもね、確かに慎二は魔術師じゃないけど、魔術師の家系ではあるのよ」

「魔術師の家系?」

 ふと、視界の端に校門が入る。俺は、何故だかそこから視線を外せない。

「ええ。慎二の家は、衰退しちゃって魔術師の血脈はなくなっちゃったけど。あいつ、知識だけはあるみたい。だから、聖杯戦争のことも知ってるようなんだけど。さっきのはその話かな。その後の事は言えないけど、アーチャーが見たとおりね」

 その校門に見知った顔の男が現れる。今日は来ないはずだが。その姿が校舎に消える。何故、ここに来る必要があった?
 先ほどは何も感じなかった、男の後姿が何か引っかかる。
 慎二、慎二?―――まさか。霞んでいた記憶の一部が、鮮明になっていく。
 つまり、この状況は……。

「どうしたのアーチャー、いきなり立ち上がって」

 突然立ち上がった俺に、凛が戸惑うように声を掛ける。

「マトウシンジ。そいつが、ライダーの、マスター」

 擦れたような響きで言葉が紡がれる。

「嘘、だってあいつは」

「時間がない、凛。確証はないがもう、結界が」

 その時、視界の全てが赤に彩られた。っ、この気配は――――

「結界―――!?」

 時間がない。躊躇している暇もない。

「凛、結界の基点はわかるか?」

 出口に走りながら、訊く。

「3階! そこに基点があるわ」

 やはり―――この事態はまずい。

「凛! サーヴァントが2体居る。4階と3階だ」

 先刻まで、その影ですら感じられなかったサーヴァントの気配。それが二つ。

「セイバー、じゃないわよね」

「御明察。恐らくはライダーと」

 扉を蹴り飛ばす。その下の四回の廊下には。
 それを見た凛が答えを口にする。

「ゴーレム……」

「キャスターの仕業か」

 何故、ここでキャスターが襲ってくるのか。その理由はわからないが。
 階段を一息で飛び越え、手の届く全ての骨人形を、叩き壊した。
 こいつらは、数は多いが戦闘力はさほどでもない。
 階段を下りてきた凛が、教室の惨状に、声を失う。

「凛! まだ誰も死んではいない。まだ間に合う!」

 結界がまだ、完全のものではなかった以上、人一人殺すだけでも、まだ時間がかかるはずだ。
 そのまま、骨をなぎ払いながら廊下の端、キャスター目がけて進む。

「凛、ここは私に任せて、君は結界の基点のほうへ。 あの馬鹿がセイバーも連れずに来ている。この事態で、あいつが令呪を使わんとも思えんが、このままでは―――ちぃっ」

「衛宮君!?」

 言葉も終わらぬままに、窓の割れる音がする。それと同時に凛の声が。その瞬間、俺は長剣を骨の残骸の上に突き立て。
 瞬時に投影した黒と白の陰陽剣を放り投げた。2本の中華剣は窓ガラスを破って外へ飛び出す。弧を描いて飛ぶそれは、落ちていく衛宮士郎をあっという間に追い越し。再び上昇する際に、衛宮士郎を引っ掛けた。それは、地面との激突を、一瞬だけ先延ばしにしたに過ぎない。
 だが、それだけの時間があれば。
 召喚されたセイバーが、そのマスターを大地に叩きつけられる事を防ぐ事ができる。
 俺は結果を見届ける事もせず、剣を取ってキャスターへと疾走する。骨など、妨げにもならない。だが、凛の方はそうもいかなかった。
 階下からも溢れてきたゴーレムに数で押されて、こちらのほうに後退している。片手に干将を投影して、背後に投擲する。校舎から外に飛び出し、再び校舎に戻って、凛の前の数体のゴーレムを破壊する。教室を経由して戻ってくた干将は、遅れて投擲した莫耶を追うようにそのままキャスターのほうへ向かう。
 凛の方は干将が作った隙を突いて、ゴーレムを宝石による魔術で一掃したようだ。
 ここまで全てが後手にまわっているが。これ以上事態が悪くなる前に、けりをつける!
 俺は長剣を捨て、キャスターの前のゴーレムをあらかた破壊した二刀を手に取る。
 そして、キャスターまで後数歩という所まで迫ったところで。

「アーチャー!」

 背筋に、得体の知れない悪寒のようなものが走った。それと同時に凛の警告の響きを持った声が廊下に響く。サーヴァントを前にして、躊躇せず振り返る。
 この感覚はマズイ。死の危険で言えば、キャスターなどより―――

 そうして、俺が振り返った瞬間。俺の後頭部を、正体不明の衝撃が襲った。

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