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 interlude



 気がついたときは、すでに事は始まってしまった後だった。
 体に走る違和感とともに、建物から飛び出した。自分の主がいない事に確信を持って走る。
 その姿を目撃した人間がいたとしても、それは風に見えたのではないか。それほどの速度で彼女は走っていた。
 それほどに、自身の迂闊さを恥じていたのだ。
 気がついたときには既に、主の運命は死と隣り合わせ。
 ふと、その真実疾風と化していた足を止める。急制動であるにもかかわらず、その立ち姿に揺らぎはない。
 その行動は令呪の魔力を感じてのものだった。おそらく、今回もまた、呼ばれる事になるのだろう。
 その時、考えていたことが不自然なものであったことに、気がつかないままで、彼女は主の元に跳んだ。

 空間を越え、銀の甲冑を纏った彼女は、主の下に現れた。
 その主からの命令がなくとも、彼女は瞬時に事態を理解した。即ち

「っ、はぁ…・・・」

 背中から地面に激突しようとしていた、主の身を受け止める。

「・・・・・・す、まん。助かった、セイバー」

 血まみれのまま、彼女の主は腕から離れる。
 しかし、それでも主の身体は無事とは言いがたい。身体のいたるところに傷を受けている。特に両腕の傷が酷い。
 落下を免れたとはいえ、その身体はすでに限界だ。確かあの時、■■■の身体は骨が――――
 それでも、傷ついた、彼女の主は

「セイバー、状況は判るな」

 どうにか立っているという様相で言葉を発する。重傷の主と、赤く染まったこの世界を見れば、訊かずとも良い状況でないことは理解できる。
 感じるサーヴァントの数は三つ。四階に二つと、三階に一つ、それが感じられた。交戦しているのがアーチャーと敵だとすれば、恐らく彼女の敵は、ただひとりでいる―――

「――――ええ、判ります」

「なら、ライダーを頼む。俺は慎二を叩く」

「――――判りました」

 彼女は、主の言葉に一瞬躊躇った。だが、反論しても無駄だという事は知っている。
 彼女は頷くと、校舎まで全力で駆け出した。
 霊体化すれば、たどり着くのは容易い。
 主が手にしていた、2本の短剣の事に触れずに、彼女は走り出した。



 interlude out




「がっ――――!?」

 殴られた。これほどまで接近された事に驚いたのであれば、この距離で後頭部を殴られた事も驚きだった。
 相手が誰かもわからないまま、躊躇せず一歩後ろに下がる。
 それと同時にこめかみに走ってくる拳を視認する。真実、頭蓋を叩き割る力があろうそれは、まさしく素手の拳である。
 避けることは不可能と判断。攻撃の軌道を予測できない。
 それを跳ね上げた干将で防ぐ。だが、次の瞬間、それは鳩尾へと走り―――

「ぬ――――!」

 左手の莫耶でかろうじて阻止する。
 敵の拳が魔術で強化されている事を理解する。そして、その時から俺が攻めるという選択肢が失われた。
 それは、まさしく拳の雨か。片腕だけといえど、それは俺の両の腕を持っても足りぬ速さ。
 閃光のように放たれる拳は、鞭のようにしなり、さらにそこから直角に変動する。
 俺が出来るのは、それに双剣を合わせる事だけ。投影した武器が長剣では、このような戦いは出来なかっただろう。
 一体いくつの拳を防いだのか、その毒蛇めいた腕が止まる。
 それは、赤い結界が解かれた為なのか―――今まで無言だった目の前の灰人は、ここで初めて声を発した。
 発するのはあくまで殺意。そこに敵意は微塵もない。

「――――目が良い。躱さないのはそれでか」

 腕の変化を理解しきれていない。躱してもそれが蛇のように噛み付く予感がある。
 躱せばそれを喰らう、そんな確信があった。
 鷹の目と呼ばれる、自身の目ですら全てを追う事は出来なかったのだから。
 男の構えは不動。巌のような立ち姿に歪みはない。
 そのあまりの自然さに、戦いの最中であるにも拘らず、僅かな羨望を抱いた。それをかき消すように声を出す。

「――――君が、キャスターのマスターか」

 だが、俺の問いを無視して、目の前の男が動き、拳が走る。これが答えか!
 弧を描くその線はあくまで外側から、肘を支点に内側へ。干将で跳ね上げられた拳は、その勢いまで利用するように直角に落下する。

「ちぃっ―――!」

 鎖骨を砕かんとした神鉄を辛うじて莫耶が防ぐ。
 たった二撃。それだけで、俺の身体は流れてしまっている。
 それは先程までと、何が違ったのか。一瞬脳裏に過った疑問を後回しにする。
 それに歯噛みしながら、その光景に戦慄を覚えた。
 男が半身を引いている。ここにきて、大砲か!
 そう、今まで使われなかった右腕を目の前の男は放とうとしていた。

「ぬっ―――」

 放たれた砲弾は、一直線に俺の首に迫る。これまで剣で受けてきた感触を信じるならば、直撃を喰らえば首が飛ぶのは必至。
 回避しようもないそれを俺は、無理やりに下ろした左肘で相殺した。

「ずっ―――!」

 それを相殺といっていいのか……。
 確かに拳は止まった。だが、それを止めた左肘は破壊され、莫耶を握る手に力が入らない。
 腕に走る痛みをを頭から消し去り、男へと踏み込む。溜められた奴の一撃は、今までになかった、空白の時間を一瞬作り出している。その空白に、残った右腕で干将を振るおうとして、今だ引き戻されてない男の右腕に気がついた。
 その手が握っているのは、砕かれた俺の左肘。それは、俺が干将を振り下ろすよりも早く、俺の身体を宙に持ち上げた。
 そして次の瞬間、ぶちぶちと腕の肉が切れていくのを感じながら、俺の身体は背中から、コンクリートという大地に叩きつけられた。

「かはっ―――」

 いったいどれほどの力で叩きつけられたのか。
 衝撃で息が止まる。潰された左腕は、肘から千切れかかっている。致命傷ではないが、ダメージは深刻だった。息を吸わなければ、動く事もできない。
  激痛に身を焼かれ、意識が失いそうになる自分がいれば、冷静に自らの傷を眺めている自分がいる。
そして、“敵”の足元に倒れている俺は、止めを刺すかのように放たれた拳と交差させるかのように、止まったままの呼吸で、右腕を振り上げた。




 天馬の疾走によるものだろう、轟音と衝撃が階下を通して走る。
 剣を向けた先に、男の痩躯はなく。俺の身体に傷もなかった。
 ひび割れた、床に手を着き立ち上がる。
 そして、いくらかの空間を置いて立つ、キャスターとその主の姿を視界に納めた。
 恐らくはキャスターの魔術によるものだろう。俺が持つどの手段も、逃げを打たれては間に合わぬ距離だ。

「ここまでだ、退くぞキャスター」

 どこまでも感情の感じられない、幽鬼の如き声を聞く。

「ええ、――――宗一郎、腕の方は・・・・・・」

 キャスターの声は、今まで俺が聞いた事のないような不安げなものだった。
 宗一郎と呼ばれた男のスーツの。右腕の袖から方の近くまで、一本の線が走っている。
 鋭利な刃で印されたそこから、紅い雫が廊下の浅い亀裂へと流れ落ちていた。
 無言で問題ないと頷く男から視線を移し、俺に憎憎しげな視線を送ると、キャスターは紫紺のロープを大きく翻す。
 そして音もなく、その主従は姿を消した。




 凛が駆け寄ってくる。俺の身体か瞬時に治癒したのは恐らく彼女のおかげだろう。それを証明するかのように、彼女の手の甲に二つあったものが、ひとつに減っていた。

「すまない。君に令呪を使わせるはめになるとは。私もまだまだだな。ありがとう、凛」

「そうね。でも私も貴女が傷を負うまで、気が動転してたの。だがら、謝るのは私の方だわ」

 そう言った彼女の顔はどこか冴えない。キャスターのマスターの事もそうだが、結界による惨状に魔術師としての彼女に―――

「そうか。では凛。早々に観察役とやらに連絡を入れてくれると助かる。私はセイバーたちの様子を見てこよう。衛宮士郎がどうしようのない阿呆でも、結界を止めたのは奴だからな」

 どうにも、衛宮士郎を褒めるのはどうにも苦手だ。自画自賛に近いもの、ということもあるだろうが。つい視線を虚空へとさまよせてしまう。
 その俺の姿を凛はきょとんとした目で見ている。
 俺の奴の褒め方が可笑しかったのか、それとも俺の態度にか。ともかく。凛はいつものような笑みを浮かべた。そして、おもむろに両手を上げて自らの両頬を、小気味よく叩く。

「よし、反省終わり! 私は連絡してくるから、衛宮君達をよろしく」

 その声の響きに、俺も笑みを浮かべると、俺たちは別々の場所へと足を踏み出した。
 その有様は階が一つ違うだけだというのに、まったくの別物だった。
 あの疾走を許した場所だ。それは当然ともいえるが。
 その破壊されつくした廊下に、気絶した主に肩を貸すセイバーの姿があった。

「なんとか、命は拾ったか」

「ええ。シロウの傷が心配でしたが、どうやら問題ないかと」

 そう言ったセイバーは、衛宮士郎を抱えると俺のほうに歩き出した。
 ――――魔力量の違いか。衛宮士郎の傷の治癒が早い?
 気絶してはいるが、目に見える傷はもうない。セイバーがさほど心配してないのもこのせいだろうか。

「とりあえず、下に行こうか。ここに留まってはまずいだろう」

「ええ、それには同意します。その前にアーチャー、これを」

 そう言ったセイバーは、一体どこに持っていたのか。対の双剣、干将と莫耶を取り出した。
 剣を取り出す際、危うく衛宮士郎を落としてしまう所で俺がそれを止める。甚だ不本意だが――――それはともかく。
 セイバーはこれをどこに持っていたんだ? 少なくとも今までどこにも見えなかった。隠す、としたら着衣の下だろうか。
 もしや、この服と鎧には何か秘密が・・・・・・。思わず自分の、セイバーとほぼ同じ姿を見てしまう―――。
 まあ、とにかく。ここに持ってきたのはセイバーではなく衛宮士郎の仕業だろう。

「ありがとう、セイバー」

 俺は感謝の言葉を発して、受け取った剣を消す。生憎とサーヴァントとしての宝具を持たない俺は、普通の宝具の消し方なんぞ知らんが。
 まあ、問題あるまい。ふむ――――宝具、か。ん?

「どうした、セイバー。どこか具合でも」

「―――いえ。なんでもありません。行きましょう」

 そう言って彼女は歩き出す。俺にはセイバーが、消えた干将莫耶を見ていたような気がしたが。




 一階で凛と合流した俺達は、弓道場の方へと向かう。俺やセイバーはもちろんのこと、凛が学校に残っていても都合が悪い。
 大河や生徒の容態が気にならぬといえば嘘になるが・・・・・・、そのうち判るだろう。少なくとも命に別状はないはずだ。
 直に救急車も来ることだろう。雑木林を抜けてしまえば学校を出るのはたやすい。

「では、キャスターに襲撃されたと」

「ええ。マスターもわかったわ。ちょっと、いや、かなり予想外だったけど」

「それは、どのような意味ででしょうか、凛」

「そうね、いろいろあるけど。キャスターのマスターは葛木先生みたいなんだけど。そこらへんのとこは、どうでもいいか。ただ、あの体術は異常だわ」

 そう言って凛は校舎を振り返る。その瞳が何を映しているかまでは読み取れない。

「葛木―――なるほど、確かに彼の者の呼吸は感嘆すべきものでしたが……それほどまでに?」

「怪物も怪物よ。不意打ちしたとはいえ、アーチャーを圧倒したんだから。たぶん、何か魔術で強化してたと思うけど。キャスターが私みたいに呆然としてなかったらやばかったわね」

「アーチャーがですか!?」

 驚いたように俺をセイバーが見る。俺は頷くと

「ああ、不甲斐ないことだが遅れをとった。セイバー、気を悪くするかもしれんが―――君でも初見では分が悪いかもしれん」

 セイバーの戦い方との相性もあるが、たぶん間違ってはいないだろう。
 セイバーは侮辱されたとでも言って怒るかとも思ったが。表面上は変化はない――――いや、これは。

「もっとも、近接戦の話だ。遠距離からの、特に魔術や宝具であれば倒すことは難しくない。キャスターのことを考えなければ、だが」

「でしょうね。だけど、相当の距離がないと私じゃ無理だわ。生半可な距離じゃ、すぐに間合いを詰められてジ・エンド。葛木がどこに住んでいるかは知らないけど、キャスターのマスターって事は、十中八九柳洞寺でしょう。先生が何を考えているかわからないけど、恐らくはもう」

「山からは出てこない」

 凛の言葉をセイバーが引き継ぐ。
「はあ。せっかく、キャスターのマスターが判ったってのに」

「結局は振り出しに戻る、か。最悪の場合、こちらから攻めるか、もしくは誘い出すしかあるまい」

「それしか手はない、か。それで、ライダーの方はどうだったの? アーチャーは慎二がマスターだって言ってたけど」

「確かに、シロウはライダーのマスターのことをそう呼んでいたと思います。結局、逃がしてしまいましたが」

 セイバーは悔しそうな顔をして俯く。その隣で、凛はなんとも形容しがたい目で、俺を見ていた。瞬きをする間もなく、凛の視線が移る。

「まあ、そのことも含めて、そこの眠り姫が起きてから考えましょう。まったく、サーヴァントなしで無茶しちゃって―――」

 凛は柔らかい笑みを浮かべると、一人で先に行ってしまう。



 それを、セイバーは僅かに笑みを浮かべて、俺は困ったように肩を竦めて追いかけた。

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