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「アーチャー、少しいいですか?」

 セイバーの声に振り返る。予想していたとはいえ、こんなに早く彼女が事を起こすとは思っていなかった。
 ほとんど傷も癒えていたが、まだ気を失ったままだった衛宮士郎を介抱して、すぐの事である。

「私はかまわないが・・・・・・。衛宮士郎の事はよいのかね」

「ええ、心配するほどではないようです。さほど時間もかからずに、目を覚ますかもしれません。それに、今は凛が傍にいてくれてますから」

「凛が―――?」

 その言葉に、微かな驚きを覚えた。
 確かに衛宮士郎など放っておいても、勝手に目を覚ますと思っていたが。わざわざセイバーではなく凛が―――
 セイバーの視線に思考を中断する。殺気など含まれてなどいないはずなのに、背筋を冷たい汗が流れたような気がした。

「すまん。―――ここでは出来ない話なのか?」

 セイバーは頷くと

「ついてきてください」

 と言って歩き出す。その言葉には、確かに王としての響き、重きがあった。使いどころを間違っている気もするが。
 俺はばれないように溜め息を吐くと、セイバーの後を追う。彼女の行く先はおそらく―――
 間違いであって欲しいが……。儚い望みだろうか。




 予想は違わず、セイバーは道場に足を踏み入れた。その姿は肩を怒らせている様に、見えなくもない。
 やはり、怒っているのだろうか。
 セイバーのすぐ後ろを歩いていた俺は、道場の中ほどで足を止め、セイバーの後姿を眺めている。
 歩む足は、実際には音をたてていない。しかし、彼女が歩を進めれば進めるほど、怪獣のような音をたてている気になってくる。この場合、竜だろうか?
 彼女は竹刀を手にすると、それを持って俺の数歩先まで戻ってきた。

「アーチャー、先ほどの言葉を覚えていますか?」

 竹刀を右手に持ったセイバーが訊ねてくる。

「そのような、曖昧な問いかけでは答えられんな」

 おそらくは、というものは脳裏に浮かんだが口にはしない。

「そうですか。まあ、たいしたことではありませんからいいでしょう。私にも忘れていたほうが良いものという事が、稀にありますから」

 やはり、相当に怒っているようだ。雑木林での俺の言葉は、そんなに気に障っただろうか。
 直接的な表現がいただけなかったのか。しかし、回りくどい言い方をしても結果は同じだったかもしれない。

「では行きますよ、アーチャー」

 セイバーが竹刀を正眼に構える。―――まさか、ここまで直接的な方法をとってくるとは。

「まて、セイバー。話をしにきたんじゃ―――」

「私は、少しいいですか、としか言ってませんっ!」

 俺の言葉を遮って、音もなく踏み込んだセイバーが竹刀を振るう。
 躊躇なく脳天を狙ってきた一撃を、とっさに足首を返して後ろへ跳んで避けた。
 確かにセイバーは話がしたいとは言ってなかったが。

「ちっ―――」

 どうやら、余計なことを考える暇は与えてくれないようだ。
 空振りなど何の問題もないかのように、セイバーはすぐさま俺に突進してくる。
 地を這うようにして俺との間合いを詰めた彼女は突進の勢いのまま竹刀を振るった。

「セイバー、少し、落ち着いてはくれないのか?」

「貴女が、おとなしく竹刀をうければ考えてあげましょう!」

「それは、無理な相談というものだ!」

 あまりの展開に頭痛を覚えながらも、嵐のように襲い掛かる竹刀を何とか避ける。
 最初はセイバーも手加減してくれていたらしい、が。どうやら俺があまりに避けるがためか、それが疎かになってきた。
 正直、これ以上避けるのは難しいかもしれない。最早竹刀が、視認できないほど早く―――

「アーチャー、どうやらこれまでのようですね」

 道場の隅に追い詰められた俺に、竹刀を向けたセイバーが、実にスバラシイ笑顔で死刑宣告を告げる。
 その笑顔は常の仏頂面からは考えられないほど輝かしいものだ。状況が状況でなければ。
 避ける、というより逃げるので精一杯だった俺はいまだ丸腰のままだ。
 彼女の狙いが俺の頭なのか、ほとんどの竹刀は俺の脳天を定めたものだった。そして、追い詰められたこの場所なら―――

「では、アーチャー。覚悟してください」

 ええい、ままよ―――!
 そう心の中で叫んだ俺は、セイバーが踏み込むより一瞬早く道場の床を蹴った。

「あ―――」

 俺に僅か遅れて、セイバーが動くが、それは予想どうりに正面から頭頂を狙ったもの。開始してしまった動作はそう簡単には変えられない。
 低い姿勢からセイバーに突進した俺は、その身に竹刀が触れる直前にセイバーの腰に抱きつき。
 勢いのまま押し倒した。

「ア、アーチャー?」

 頭の上の方で、セイバーの当惑したような声が聞こえる。
 肉体的に疲労などほとんどないはずなのに、自分の心臓の鼓動がやけにうるさい。

「―――もう、気はすんだか?」

 二人とも倒れたまま、俺はセイバーに抱きついたままで、訊ねた。声が意図せず、蚊の鳴いたような小さなものになる。
 セイバーのほうを見ずに、道場の出口を見ていた俺は、頬が紅くなるのを感じた。

「そう、ですね。貴女に一撃与える事ばかり考えていましたが。どうでもいいことでした」

 その声は、俺が動揺しているのとは裏腹に、落ち着いたものだ。いつものセイバーの声だった。
 だが、その声が俺の心を、少しずつ落ち着いたものにさせる。

 そして、セイバーから離れようとして―――

「アーチャー、もう少しこのままでいてくれませんか?」

 などと、セイバーは言った。
 正直、真っ当な状態ではないと思う。仰向けに倒れたセイバーに覆い被さるようにして、腰に手を回した俺が抱きついているのだ。自分でやった事とはいえ、あまり感心できる体勢ではない。いくらセイバーの頼みと言えど。

「話を聞いてもらいたいのです」

 その言葉は、魔法のように俺の抵抗の意思を奪った。動きを止めた俺を、肯定の意と認めたのか。

「醜態を見せてしまい申しわけありません。それに、貴女にいらぬ誤解をさせてしまったようです。貴女の言葉を侮辱と感じたわけではありません。合理的な考え方をする貴女なら、あの言葉も間違っているとは思いませんから。第一、貴女は私が負けるとは一言も言っていない。それに怒りを覚える理由などありはしない。不満がなかったといえば、嘘になりますが」

 静かに、セイバーが言葉を紡ぐ。確かに俺は、単純にあの言葉がセイバーを怒らせていると思っていたのだが。
 逆に気遣われるとは。

「うまく、言葉にはできないのですが・・・・・・。貴女といるとどこか心地よい気分になる。それと同時に―――どこか、胸を突き刺すような、その何か、痛みを感じるのです。もちろん、僅かなものですが」

「その、何か得体のしれんモノが俺を襲うきっかけになったと?」

「いえ、違います。本当は、貴女に怒りを感じていたのではなくて」

 セイバーが少し言い淀む。

「つまり、衛宮士郎に対して不満があったわけか」

「―――ええ。それと自分にもですが」

「つまり、さっきのはただの八つ当たり、か?」

 そう言いながらも、不思議と呆れた気持ちは湧いてこなかった。

「そう、かもしれません。一人で死地に向かってしまったシロウ。それに気がつかなかった自分自身に我慢できなくて。最初は、本当に貴女と話がしたかっただけだったのですが」

 顔は見えないがセイバーが笑っている気がする。自分の鼓動と、彼女の体温を感じながら思った。

「そうか。そういうときもあるだろう。私でよければ気晴らしくらいなら―――つきあってもいい」

 そう言って俺も笑った。顔を合わせないままで。




 それからしばらくして、俺たちは立ち上がった。
 時間にして数分くらいだろうが、あれから衛宮士郎に対しての、不満のようなものをセイバーから延々と聞かされた。
 まったく衛宮士郎は、と頭を抱えたくなるが―――俺の知らない所でセイバーに迷惑を掛けていたのか? あいつは。
 時刻は三時を過ぎようというところ。あの結界が発動してから二時間ほど、というところだ。
 ふと気になって、廊下で足を止め、セイバーに向き直る。

「そういえば、セイバー。君は昼はもう食べたのかね?」

 そう、俺が言った瞬間、セイバーの表情は、圧倒的な無念、それと渇望の表情を見せていた。
 まるで、取り返しのつかないことをしてしまったかのように。

「いえ、シロウは食事を作ると言って、そのまま――――」

 そのままライダーの下に行ったというわけか。ふむ。

「そうだな、軽いもので良ければ、私が何か用意しようか」

「是非とも」

 即答だった。その速さはあの有名な髭のおじ様よりも速かったに違いあるまい。
 セイバーは目を輝かせて、心なしかこちらに近づいている。
 まあ、セイバーがこんな顔を出来るのも、衛宮士郎が曲がりなりにも無事だから、だろう。

「そうか。では居間に向かうとするか」

 セイバーは無言で頷く。
 それからは、居間に向かう道で俺が早足になってしまったのも仕方あるまい。




「あれ、二人してどうしたわけ? 衛宮君ならまだ目は覚めてないわよ」

 衛宮士郎を看ていた、と言ってもテーブルに両肘をついて眺めているだけだが、凛が不思議そうな目でこちらを見ている。

「いや、何か簡単なものでも作ろうかと」

「ふ〜ん。そういえば今日は衛宮君が当番だっけ」

 凛の目がセイバーのほうに行ってしまうのも仕方あるまい。

「その時までにそいつの目が覚めないのなら、私が用意してもかまわないが」

 凛は俺を凝視すると、どこか諦めたように溜め息を吐いた。

「まあ、いっか。いまさら貴女にサーヴァントらしくないなんて言ってもどうしようもないし」

 たしかに、家事をするギルガメッシュやバーサーカーなど想像すらできん。だが。

「どうかな、私だけがこんな事をしているとは限らないぞ」

 そう言いながら冷蔵庫へ向かう。
 奴――――アーチャーや、ランサー等が忙しく家事をする光景など、なかなかに滑稽な見世物だと思うのだが。それに、キャスターやライダーがそれをするのは、それなりに絵になるのでは――む。

「どうしました、アーチャー」

何故か冷蔵庫の前までついてきたセイバーが覗き込みながら訊ねる。

「なるほど。そういうことですか。まさか、兵糧が尽きていたとは」

 そう。冷蔵庫の中には見事に何もない。昨日気がつかなかった俺が迂闊だった。

「―――すまん。セイバー。これでは、夕食の分の食材も必要だろう。期待させておいて」

「いえ、かまいません。私はそこの果実でもいただきますから。気に病まないでください。決して貴女の責任ではないのですから」

 そう言った衛宮士郎に向けられた視線は、忘れられそうにない。みかんがそれを亡き者にしてくれると助かるのだが。まあ、とりあえず。

「凛、そういうわけだから、私は少し出かけてくる」

 もちろん買出しにだが。
「―――いいけど。お金はどうするのよ」
 クッ、凛ともあろうものが愚問を。

「問題ない」

 そう言って俺はあるものを凛に見せて笑った。

「アーチャー。貴女って思ったよりずっと抜け目ないのね」

 そう言った凛はどこか挙動不審だ。

「安心しろ。凛は私のマスターだぞ。手などつけんさ。第一私に金が必要な事態がそうあるとは思えんが」

 そう俺が言うと、凛はどこか納得したような、それでもまだ疑うような顔をしている。その双眸には普段の彼女からは珍しく、雑多で複雑な感情が秘められていた。そこにある感情を読み取ることはできず、その瞳に、何か感嘆のようなものを覚えながら、俺は居間を後にした。




 おやつ、と言うには時間は過ぎてしまっているが、お茶請けの入った袋を提げる。そういえば、昨日は多めに買っておいたはずだが、きれいさっぱりなくなっていた。明日も買出しが必要か。そんな事を頭の片隅で思う。
 必要なものを概ね買い終えた以上、後はおとなしく帰るだけだが。
 その思考に反して、俺の足は屋敷への最短の道ではなく、少し遠回りの道を選んでいた。

 なんとなく、似たような事をした覚えがあるものの、確証はない。
 第一、時刻が違う。おぼろげに残っているアレと、今回はもはや別の道を進んでいる事は間違いない。
 そして、彼女がこんな時間までいる理由など。そんな事を考えながらも、俺の向かう先が変わらないのは、昨日のあの笑顔が、脳裏に焼きついてしまったからだろうか。幾分躊躇を覚えながらも、俺はその一歩を踏み出した。

 ―――いた。一体どれだけの時間、ここにいたのかはわからない。彼女が何のためにいるのかも、誰のためにいるのかもだ。
 だが、確かに存在する。どこかつまらなそうにも見える、その少女に、俺は声を掛けた。

「イリヤ」

「誰!」

 弾けるように、少女はこちらの方に振り返る。
 その声は、警戒の響きを含んでいた。だが、その瞳が警戒の色を映していたのは僅かな間だった。

「なんだ、アーチャーか」

 がっかりしたような、楽しそうな声で少女は発する。そして、そのままゆっくりと近づいてきた。
 木偶の坊のように立ったままの俺を、少女は面白そうに眺める。
 それを俺は黙って甘受した後、少女は口を開いた。

「まあ、いいわ。おにいちゃんが良かったんだけど。光栄に思いなさい、アーチャー。今日も貴女で我慢してあげるわ」

「ありがたき幸せに存じます、姫」

 俺も調子に乗って少女に傅く。凛相手では、冗談でもこのようなことはすまい。

「ふふ、姫か。やっぱりおにいちゃんが良かったかな。アーチャーは女の子だしね」

 元々俺も男なのだが―――少女に女の子といわれるのはひどく堪える。
 かつてのセイバーなら、男装の一つや二つしたのだろうか。
 もっとも、少女の笑顔でそんなものは消し飛ぶが。

「今日は私で我慢してくれ」

 その俺の言葉に、少女はむくれた様な顔をする。

「むー。駄目よ。アーチャー。そんな言葉遣いじゃ立派なレディーにはなれないわ」

 俺は思わず困ったような顔をしてしまう。いや、実際困っているわけだが……。
「ふふふ。ありがとう、アーチャー」

 ふと、目の前の少女が、言葉を漏らす。
 何が、とは訊かなかった。そんなものはすぐにわかったから。

「どういたしまして。今日は話はしないのか」

「うん。会えたらいいなって思っただけだから。もう帰らないと。今度会うときは殺し合いかもしれないね」

「―――そうだな。殺し合い、か」

 不意に零れたその言葉に、少女が俺を少しは認めてくれていることが伺える。笑みを湛える少女。だが、その言葉はあまりに―――

「どうしたのアーチャー」

「え?」

 気がつけば、少女は俺を見上げている。その瞳は不思議そうに、俺を見つめている。

「なんで―――ううん、なんでもない。じゃあね、アーチャー」

 そう言って、少女は踵を返す。その姿が公園から消えても俺は動く事がなかった。


 去っていくイリヤを俺は、ただ見ていることしか―――出来なかった。

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