27



 そう、風がある日ではなかったが、このような場所まで来てしまえば、そのような事は関係ないというものだ。
 完全に日の沈んでしまったこの時刻。眼下を走る車両の光が、思ったよりきれいに見える。
 ―――人の身であれば、好んでこのような場所までは来ないだろう。常人ならばそう思わずにはいられない場所。我が身が人ならざる存在といえど、必要を感じなければ立ちはしない。そういった場所だった。

「アーチャー、なんだってこんな場所を選んだわけ?」

 風の強さだろうか、目を細めながら凛が問いかけてくる。立つ位置が同位である以上、自然、視線は彼女から俺へ緩やかな下り坂を描く。凛と向かい合って立っていた俺は、それが気に入らない事を丁寧に心の奥に折りたたんでから視線を新都、その中でも一際高い建築物、センタービルに向けた。

「私のクラス。それを最大限に生かそうと思っただけだ」

 間にビルがあるとはいえ、問題はない。―――記憶が正しければあの戦いは、この方角から丸見えだったはずだ。

「まあ、そうよね。ここに来る理由なんてそれくらいしか思いつかないし。まあ、楽しかったから文句もなし。いつも同じような方法じゃ飽きるってもんだわ」

「いつも、か」

 凛に聞こえないように小さく呟く。
 確かに、この場所に来るまでに俺は、凛を抱えて歩道から車道へ。車道からアーチ状の鉄骨の上まで一息に登った。それが、楽しかったと言い放つ姿は、まことに凛らしいとは思うが。

 なんだってこんな所に何度も来ているのだ、と言う意味を入念に編みこんだ視線を凛に送った。

「な、何よ。アーチャー」

「いや、なんでもない」

 少し引きつった顔で訊ねてくる凛に言葉を返す。まあ、凛の表情は、俺の考えている事が言葉通りではないことを十分に察しているようだが。
 高い所を好むのは、仕方ないとするほかあるまい。心情的に。魔術師としては。

「い、いいのよ。魔術師が高い所が好きなのはきっと長所だわ。穴倉に潜ってたんじゃかび生えちゃうし」

 凛は、かの錬金術師達の事を言いたいのかもしれんが、確か時計塔もそれほど大差ないのが実状だったのではないだろうか。
 何にせよ、迷いもなくあの夜、ビルの屋上に連れて行かれた身としては、彼女が高い所を好む事など、とっくに気づいていたのだが。
 いや、それ以前から知ってはいたか……。
 何の動きも見られないセンタービルを見つめながら、そう口の中で呟く。まあ、美徳なのかもしれんな、アレは。
 このまま迷走しそうな思考をどうにか落ち着かせ、弓を投影する。
 手っ取り早く事を進めるなら、ライダーがセイバーと接触する前に倒してしまえばいい。
 しかし、実体化しているならばともかく、霊体化している相手を視る事はできない。
 ならば、狙うは屋上に至るまでのその過程。セイバーとの空中戦の最中に他はない。

 時を待つ弓兵とその主を、照らす光は天にない。



 interlude




「ふっ!」

 短く息を吐き、跳びながら鎧を編む。金属が奏でる、心地よいとは言い難い、甲高い音を立てて、死の杭を弾き返す。
 日が落ち、人通りもほとんど消えかけているオフィス街。その中でも高く、そして明かりのほとんど消えたビルから、それは自分の主の上に降ってきた。
 半ば予想通りのライダーの強襲だった。彼女の宝具が考えるとおりのモノなら、仕掛けてくる場所も、ある程度は予想はついていた。
 明らかな罠とわかる、殺気の誘いに乗ったのは、そのことも考えていたから。
 問題はどう倒すのか。倒す方法が無いわけではないが、決して良い手ではない。
 ビルの側面に張り付いているライダーを視界に入れたまま、マスターの傍らに着地する。

「セイバー、あいつは!」

「追います! シロウはここにいてください!」

「追うって、セイバー!?」

 マスターの疑問に答えぬまま、大地を蹴った。
 地上に止まっていては、関係のない人間まで被害が及ぶかもしれない。何より、主に危険が及ぶ。一度会ったライダーのマスター。あの少年は、自分以外の人間を手にかけることにためらいなどないだろう。だからこそ、わが主は自分の身も省みず、このような所までライダーの誘いに乗ったのだ。しかし、誘いに乗ったとはいえ、主を危険に晒す必要はない。私には戦いの場を空へ移すしか方法がないとしても。
 考えが正しければ、ライダーは屋上を目指すだろう。完全には戦闘に思考を回さず、ライダーに追いすがりながら、剣を振るう。
 手を抜くことに等しい事だが、その事に気を止めることもなかった。
 この場所ではライダーには勝てない。それは、戦い始めてすぐに判った事だ。自分が、ひとつ、攻撃する事が可能ならば。ライダーはその間に、無数の刃を撒き散らす。紫に彩られた黒に、重力の縛りはなく、その姿は彗星のように、あらゆる方向から襲い掛かる!
 この場で自分が勝るのは、瞬間的な爆発力のみ。それを証明するように、ビルの端を目指して跳んだ私に、追撃は来ない。

 主には残るよう言ったが―――――あの少年はきっと屋上に上ってくるだろう。事実、マスターの姿は、眼下にない。

 再び、ライダーに向かって、ビルを蹴る。ある種パターン化した行動は、大地からの距離を除けば、先の衝突と違いはない。 繰り出される攻防は違えど、傍から見れば、その動きは繰り返し。衝突し、離れる。頂上に辿り着けば終わってしまう、ただの繰り返し。
 これがビルを盤面に見立てた遊戯なら、さぞや面白味のないものだろう。尤も、人の目に見えるような代物ではない。


 アーチャーの事に括りすぎて気がつかなかったが。我が主、マスターは自分を蔑ろにしすぎるきらいがある。
 昨日の今日で、朝からの捜索もそうだ。もっとも、本当に大丈夫そうではあったが。
 アーチャーの心が不安定になっているのは、マスターのそのあり方を、忌々しく思っているからではないか。
 なら、マスターはきっと屋上に現れるだろう。そこが彼にとっての死地だとしても。なら、私がすることは一つしかないではないか。


 幾度目かもわからぬ激突の中覚悟を決める。主はもとより、凛やアーチャーですら気がついてないようだが。私にはシロウからは考えられないほどの魔力が流れている。召喚そのものがイレギュラーだったためか、基本的な力は確かに低下している。だが、これを使う分には―――
 そう。決めた。聖剣を使うと決め、ライダーから離れた一瞬で。勝負は決していた。
それは一秒に満たない間のことだった。ライダーから離れ、再び壁を蹴り間合いを広げる。たったそれだけの間に戦いは終わったのだ。

 人の目で見えたのは、光か。人間の範疇を超える速さで動く軌跡を、さらに上回る速度で、それは死を与えていた。
 止まることもできず、ソレを視界に入れたまま、空を目指す。動揺して落下などしてしまえば笑い話にもならない。ただ、先とは違うのは、それが自分ひとりだけだということ。
 ―――もう、ライダーは空を目指せない。それをするための手も、足も半分しか残されてないのだから。

 私とライダーの激突を上回る轟音は、ライダーに突き刺さり、その半身を奪っていた。
 それはサーヴァントの身を持ってしても、致命傷。一般的な傷口のようなものは存在せず、血を撒き散らす事もない。
 ただただ、消えてゆくだけ……。
 あれだけの速さを持った何かなら、ライダーのみならずビルも無事では済まされないはずだが、その被害は驚くほどに少ない。
 ライダーが何かを呟き、落下しながら消ええていく。それを追う様に、剣の柄のようなものが消えながら落ちていくのが見えた。
 そう、確かにライダーを切り裂いたのは剣だった。それも、ライダーに匹敵するほどの長大な。
 それがライダーを切り裂いた瞬間、熔けるように刀身が消えたように見えた。ビルに残された傷が少ないのはそのためだろうか。

 ライダーが消えるのを見ないままに、屋上に足を着ける。
 先程決心した聖剣の使用も、必要がなくなってしまった。
 おそらくはアーチャーの仕業だろう。剣の飛んできたであろう方向を睨むが、その姿は確認できなかった。
 圧倒的な距離からの狙撃だということだろうが。少し気に食わない。
 きっと、自分が屋敷を出たとき、いや、それ以前からこうする事を決めていたに違いない。
 勝利するためとはいえ、あのような不意打ちは―――。いや、あの夜の自分の行動を顧みれば、それを言う資格は、私にはない。
 この場所でライダーに勝利するには、聖剣の封を切らねばならなかっただろう事も理解している。
 ―――違う。聖剣を使わなければならないのは、この場所にマスターが来るからだ。
 ライダーの宝具は、この空の庭園を破壊してなお余りある力を持つ。自身の生存が可能でも、私のマスターはビルの破壊の中、生き残る技量はない。だからあの時、この場所で――――

「つぅ―――」

 その瞬間、頭に激痛が走った。おかしい。おかしいおかしいおかしい。こんな場所で聖剣を使った覚えなどない。
 あまりの痛みに耐え切れず顔が歪む。意図せず膝をつく。
 知らない知らない。私が聖剣を使ったのはここじゃなくて―――
 何より何故、ライダーと戦い始めて、あれほどに迷って

「ひっ、ああ、令呪が、令呪が燃える……」

 何かを落とす音と、どこかで聞いた事のある声が近くで聞こえる。それと同時に、走り出す音も。
 だが、ますますひどくなる頭痛に、何の対処も出来ない。視界は明滅し、ほとんど何も映さない。何も出来ずにただ蹲る。
 そうして、どれくらいの時間がたったのだろう。十分となかったはずだが、それは永劫にも等しく感じられた。

「――――しろ! セ―――! ――――――――イバー!」

 体が揺すぶられるのを感じる。なのに、まるでそれは自分の体ではないみたいで。
 私を揺らす手の持ち主が、何かを叫んでいる。それはとても聞き取りづらくて、ひどくいらいらする。
 思い通りに動かない自分の体が、ひどく歯がゆくて、いまだに仮の名を叫ぶ彼に、少し抗議したくなる。そうだ。彼はもう知っているはずなのに―――。何故呼んでくれないのか。いつのまにか閉じていた瞳を、ゆっくりと開いた先に、彼はいた。

「シロウ?」

「良かった、セイバー。気がついたか」

「え―――?」

 いつのまにか気を失っていたのだろうか? 私の姿を映すシロウの瞳は、まだどこか不安げに揺らいでいる。
 それに気がついたとき、まだどこか混乱していた思考が、常の冷静さを取り戻した気がした。

「申し訳ありません。心配をかけさせてしまいました。もう大丈夫ですから、その、手を」

「あ、ああ。悪い」

 少し上ずった声で―――悲鳴のようにも聞こえたけれど。私の両肩から手を離し、バネのように立ち上がった。それを、内心微笑ましく思いながら立ち上がる。先程まで感じていた頭痛は、まるで夢だったと言うように全く感じない。

「それで、本当に大丈夫なのか? セイバー。ライダーにやられたってわけじゃ」

「大丈夫です。傷を受けたわけじゃありませんから」

 本当は、原因不明の頭痛に不安があったが。ライダーにやられたわけではないのだからと。

「―――良かった。それで、いまさら訊くのもなんだけど、ライダーは? ここにはいないみたいだけど」

「―――彼女は討たれました。その時のことで謝罪を。ライダーのマスターらしき者を、みすみす逃がしてしまいました」

「それって慎二の事か? でもここに来る途中では会わなかったけど。入れ違いになったかな」

 追いかけようという気はないのか、一瞬残念そうな顔をしたが反応はそれだけだった。それよりも、その前の言葉のほうが気になったらしい。

「あれ? セイバー。今、ライダーは討たれたって言ったっけ?」

「―――はい」

「それって、セイバーがライダーを倒したわけじゃないって事か?」

 その言葉に頷く。

「確証はありませんが、アーチャーの仕業だと思います。長距離からの狙撃で、ライダーは……」

 そして、剣が飛んできた方向を指差す。おそらくは―――

「あの橋から、アーチャーに射抜かれたのだと思います。推測ですが」

 私の指差す方向を、シロウは僅かに目を細めながら見ていたが、ふっと、息を吐くと。

「俺も目はいい方だけど、さすがにこの距離は判らないな。そうか。忘れてたけど、アーチャーはアーチャーだったんだっけ」

「―――シロウ。その発言はどうかと思いますが」

 確かに、アーチャーはそのクラスらしからぬ様相ではありますが。
 その言葉は私に、そういえば剣を使えたんですね、ということと同じような。

「あ、いや。ごめん。でも、そんな距離から狙撃できるんなら、ちょっと無敵すぎないか?」

 む。確かに飛距離と言う点で優れている事は認めましょう。回りに与える被害の少なさも。その点では確かに勝っています。ですが

「―――あの程度の威力ではバーサーカーには通じません。そもそも私でも防げる代物です」

 第一、私の聖剣だって大雑把な事を抜きにすれば、勝るものはあっても、劣るものなど何一つない。ライダーの宝具が何であれ、正面から―――。

「どうしました、シロウ?」

「あ――、セイバー。怒ってるのか?」

 恐る恐るといった感で、妙な質問をしてくる。

「? 何故、私が怒る必要があるのですか?」

「―――なんか、ライダーの宝具を話してた時みたいになってるから。怒っているのかな、と」

「そんな事はありませんが?」

「それならいいけど。まあ、とりあえず今日の目的は果たしたようなもんだから……。帰るか」

「かまいません。私としても、アーチャーに問い詰めたい事がありますから」

「うっ、じゃあそういうことで。慎二の事は、とりあえず遠坂達と相談してから決める、と」

 それで良いですと頷く。そうして、歩き出したマスター、シロウの後をついていく。しかし……。

「シロウ、何をそんなに緊張しているのかわかりませんが、そのままでは転倒しかねない」

「わ、わかった。善処する」

 いったいどうしてしまったのだろう。シロウは。
 シロウの、いささか挙動不審な動きを見ながら、明かりのないビルへと歩を進めた。



 interlude out




「どうやら、大丈夫のようだな」

 そう言って安堵の息を吐く。記憶と違わず、ライダーが現れた時にもそれに似た気持ちを抱いたが、今のそれは、ライダーに関するものとは比べ物にならないほど大きなものだ。それだけ、不安も大きかったのだが。

「ふーん。さっきまで顔色が蝋細工みたいに真っ白だったのを考えれば本当みたいね、アーチャー」

 宝具も使ってないのに突然倒れるセイバーを目にした俺の顔は、場所が場所にもかかわらず、はっきり見えたらしい。

「まあ、大丈夫なら良いわ。アーチャー、まだ帰る気はないんでしょう? これから回りたい所があるんだけど」

「ああ。別にかまわない―――」

「どうしたの?」

「いや、ライダーのマスターがビルから出てきたのでな」

 意識して声が震えないようにする。

「慎二のやつね。サーヴァントも失っちゃったんだし、教会に行くでしょう。サーヴァントなしじゃ害にもならないわよ、あいつは」

「そうか」

 その言葉に短く反応してから、合図もなしに凛を抱え、そのまま飛び降りた。
 凛が何か言っている様だが、頭に入ってこない。

 何故俺は、ライダーのマスターが生きていたことに、これほど動揺しているのだろうか。

 思考の混乱とは裏腹に、武装を裏切るように、音もなく着地した。

次へ
戻る