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「こんなとこかな。終ったわ、帰りましょう」

 軽い響きを持ったその言葉は、俺が考えていたよりも随分早く主の口から放たれた。夜気を裂く鋭さと軽やかさを持つはずのそれは、俺にとっては致命的な鈍器と化して。下手をすると、セイバーたちはまだ屋敷にたどり着いてないのではないだろうか。それでも、訊くだけ無駄だと知りながらも、その言葉を発する俺はやはり―――愚かなのかもしれない。

「もう、いいのか? 凛」

 渾身で放ったストレートは、自身のイメージから大きくかけ離れ、凛がその甘い球を見逃すはずもなく。

「ええ。今の私たちにできることなんて限られているから。今日の事だって、下手すると何の意味もないかもしれないもの」

―――――――白球がスタンドへと吸い込まれた。観衆が割れんばかりだ……。

「それはそうだが」

「ふふん。そんなに帰るのが憂鬱なわけ?」

 その声の軽さを保ったままで、凛は楽しそうに笑う。

「――――――まあ。そうかもしれないな」

 自然と緩んだ俺の口は、ある種の諦観を含んでその言葉を吐き出した。
 自身が紡いだ言葉とは間逆に、進む足は幾分早くなる。―――先延ばしにする事はよくない。
 妙な妄想をするほどに、俺の心は恐れているようだが。それは忘れている方が賢明だろう。きっと。

「あら、否定しないんだ」

「仕方あるまい。気が重い事は事実だ。否定など何の意味もないさ。まあ、認めたとて何も変わらんが」

 吐き出した言葉が、どれだけ冷静を保っているのか、最早自分では知ることも叶わぬ。願わくば常と変わらぬ響きであって欲しいと願わずにはいられない。

「ふーん」

 仏頂面をしている俺を見るのが楽しいのか、それとも他の事で笑みがこぼれるのか。とにかく凛の機嫌は悪くはない。
 そうなると進む足も自然と早くなる。このままのペースで屋敷に向かうのなら、衛宮士郎は夕食の準備をするだろうから……。

「道場で弁明せねばならんということか」

「それは、中々面白い事になりそうね」

「まったくだ」

 つい声に出してしまった事を、凛にからかわれるが……。今は良い切りかえしをする余裕もない。
 む? 気がつくと凛が俺の顔を覗きこんでいる。どうやら俺は、知らぬ間に下を向いていたらしい。

「なんだ?」

「本当に余裕がないみたいね。まったく、図太いのか大物なのか判断に迷うわ」

 凛が呆れたように言う。今の俺は確かに、褒められるような態度ではない。今は戦争の名を冠する時でもあるのだから。
 先の狙撃の後。言い様がない不安と、違和感を感じたが。それは、地に帰ると同時に霧散してしまった。だが、それが一体なんだったのか詮索するほど俺の心は頑丈ではなかった。

「仕方ないから、私から質問。とりあえず貴女の気もまぎれるんじゃないかしら?」

 中々に邪悪な表情だ。

「む、勘違いしないでよ。真面目な質問なんだから」

「そうか。いや、君の事だからまたとんでもない質問でもするのかと」

 悪かったと言うように両手を挙げる。

「貴女が私の事をどう思っているのか、良くわかる台詞ね」

 なるほど、確かに凛は意外といろんな意味で――――

「―――顔に出てるわよ?」

 凛の目が据わっている。
 自分でも不自然と思うが、何とか不機嫌そうな顔を作った。本当に作れているのか? 少し自信がない。

「じゃあ訊くわよ? 貴女が英雄になったのって、世界と契約したからかしら?」

 その言葉を紡いだ凛の顔には何か強い決意と、確信のようなものが感じられた。
 それは、先の言葉とは裏腹に、気がまぎれるかどうかは関係ないほど真剣なものだ。

「――――――」

 なるほど。私の正体に関する質問か。しかし、俺はこの問いに明確には答えられん。
 だが、この程度の事ならば隠す必要もないだろう。そう胸中で結論付ける。これくらいで正体が割れるとは考えにくい。

「おそらくは、そうなのだろうとは思うが。断言は出来ないな」

 他に理由が見当たらないのも事実だ。しかし、あの状態で契約が成立するとは、なんとも―――。

「断言できないってどういうことなの?」

「そうだな。はっきりとは覚えてないから、確かな事は言えないのだが。世界と契約した時、私は死に瀕していた。だから、本当のことは何も解っていない」

 真っ直ぐに前だけを見て言葉を吐き出す。

「死に掛けてたって……」

「気がついたらこのような身だ。他の連中のことは知らんが、案外似たり寄ったりなのかもしれん」

 状況だけを考えれば、アルトリアのそれと似ているかもしれない。俺が知っている事実はアルトリアのそれだけだ。他の連中がどうかなど知りようがない。無論、彼女は世界の力など借りずとも、自身の力だけで英霊たる勇者だが。
 横目で凛を見れば、あからさまにほっとした様な顔をしている。他にもあるようだが、読み取る事はできなかった。

「―――じゃあ、何か願いをかなえてもらったわけじゃないの?」

 その問いには少々を考え込まざるをえない。確かに、アルトリアと会いたいと願ってしまったが。その願いが叶えられたのかどうか。

「願いはしたが……。叶えられたかどうかは少々あやしいな」

 自分の姿を考えると、声が硬くなるのも許される事だろう。
 アルトリアの様な願いならともかく、世界との契約があのような――――。確かに契約と聴こえたが。

「じゃあ、アーチャーの願いは叶えられてないってこと?」

「ん。まあ、そういうことかな。もっとも、褒められるような願いではないから、このようなことになっているのかもしれんが」

 凛の表情は、まだ納得できないと言うものだったが。こればかりはどうしようもない。聖杯につなげて考えるかもしれないが。
 聖杯に関しては願うものなどはじめからない。訊かれたらアレの事も話してしまうだろうが。おそらく凛の事だ。愚かな事だと言うだろう。

「極めて私的な願いだよ。まあ、誰かを救うとか、世界平和などといった願いではない事は確かだ。詳しくは訊かないで欲しい」

 そう、未練などないはずだった。彼女の生きた誇りと自分の理想のために、俺たちはあの時別れたのだから。
 たとえ、この身が地獄に堕ちようとも、俺はあのときの姿を忘れはしない。月光に照らされ、見惚れてしまった彼女の姿を。あの夜の事を。その事に変わりはない。
 彼女がいたからこそ、俺は駆け抜ける事ができた。俺よりも辛く、険しい道を歩んだ彼女がいたからこそ。目指し続ければ、手を伸ばし続ければと。届かぬ空を、星を求めて。たとえどれほど思い続けてもいつしか言葉は消え、その形も消えていく。
 だが、死ぬときになって初めて解る事もある。失われぬものがある。
 ああ、そうだ。それで、俺は願ってしまったんだ。

 夢を。

 最早叶わぬ夢を。

 そうだ。覚えている! 彼女の姿も。その声も! たとえそのほとんどを忘れたとしても。何も辛い事はないと。
 だが、それはごまかしだ! 零れ落ちそうになるものを必死で覆い隠しただけだ。

 体は剣で出来ている。

 だから、少しくらい傷ついても、俺は歩いてゆける。
 その想いの周りに、剣をつき立て。見えないように、見ないようにしてきた。

 そうか。初めて解ったんじゃない。初めて、自分を偽る事をやめたんだ。

 血潮は鉄で心は硝子。

 硬い血潮は自らをも傷つけ、ひび割れた硝子は鋭利な刃で心を抉る。

 それでも、目指した彼女のように俺は走り抜けたのだと。
 だから、後悔なんてない。倒れる前。見上げていた空は確かに青かった。それはいつか見た空と同じ。
 其は辿り着けぬ理想郷。

 ただ、最後に。願っただけ……。それはきっと、自分のために―――――――


「アーチャー!」

 凛の声に思考が引き戻される。声の種類は、悲鳴に近く、それでいて緊迫は無いに等しい。
 どうやら、考え込むあまり凛の事を失念していたらしい。

「すまない。少し、思い出していた」

「思い出したって、生前の事? まあ、アンタのことは名前も訊いてないしかなり気になるけど」

 言葉がそこで途切れる。

「後悔しているの?」

 そして紡ぎだされたその言葉は、先の言葉よりも、より強い決意を持って、凛が発したように感じられた。

 確かに逢いたいと願った。だが、それは過去をではない。

「―――いや、後悔などない。未練も。俺は俺の思うように生きたし、それを後悔する必要も無い」

「そう―――」

 それきり、聴こえる音は二人の足音だけになる。
 幾度、空虚な風が心に吹こうとも、あの別れを間違っていたとは思わない。

 足音だけが響く。

「ふーん。アーチャー、貴女好きな人がいたわね?」

「り、凛、何を一体」

 会話の流れからは少し想像していなかった言葉に、常より幾分高い声を発してしまう。その声が、自分でも滑稽でいっそう状況がひどくなった気分になる。
 凛の顔は、例えようがないほど邪悪に染まっている、ように見えた……。

「顔よ顔。私しか居なかったから良かったものの。だれが見たってその顔は―――」

 そう言って俺の動揺を楽しむかのように手で顔を幾分隠す。指の間から見える瞳は、真にあくまの偉容。そしてそれは紡がれた。

「恋する乙女にしか見えないわよ」

 それを聞いたときの俺の絶望の深さは、生涯忘れることなど、できぬかもしれない。
 たとえ、その生がすでに終っていたとしても。ただの言葉だとしても。
 やはり、この身にとっては地獄の業火に匹敵しよう。

「―――乙、女?」

 不本意、と言ってしまう事は彼女に悪いのかもしれないが。
 なるほど。確かに彼女に酷似したこの姿が……、美しいという事は認めよう。――――事実は事実だ。
 だが、それと、俺が乙女と称される事は別問題だ。この身は決してそのような――――

「はいはい。貴女が否定したいのは見てたら分かるけど。そのコロコロ変わる表情を直さない限りは、どうしようもないわよ」

 凛の背は決して高いわけではないというのに。愉悦と微かな憐れみを宿した瞳は、僅かとはいえ確かに自分のそれよりも高い場所にある。
 かつての体がどうだとか、凛が将来どうなるかは問題ではない。
 だが、背の低い事はどうしようもない事実であり。―――残念だが自分の考えている事が、表情に出る事も事実らしい。
 凛だけに言われた事ではないという事実が、重く圧し掛かる。

「まあ、いいんじゃない。見てるぶんには楽しいし。貴女、可愛らしいのは確かなんだから。表情が変わらなくなっちゃったら、ちょっともったいないかもしれないわね」

「―――ふん。凛の判りにくい可愛らしさより、随分とましなのだろうな、私も」

 切り返す言葉に、キレがな
い。案の定凛に軽く返される。

「そうでしょうね。悔しいけど貴女とセイバーは本当に綺麗だもの。それに負けてるのはそれだけよ。貴女には色香が致命的に足りてないんだから。まあ、貴女が惚れた相手にとってはうれしい事実でしょ」

 思わず手を顔に翳し、溜め息を吐く。この俺に、色香などあってたまるか。しかし……

「惚れた相手か……」

「へぇ。その様子じゃ、ちゃんと結ばれたみたいね」

 結ばれたという言葉に、心を無視して体が反応してしまったらしい。体は足を止め凛の方を向き、手はどこか中途半端な位置に掲げられていた。馬鹿な……。
 いかなるあくまの仕業か。戦いは絶望的で、今の俺にできることはその猛威にただただ耐え忍ぶのみ。
 そのあくまはあかい……。

「―――迂闊、そこで紅くなられるとは予想してなかったわ」

ト ーンを少し下げた声で呟き、俺から視線を外す。どうやら俺の反応は凛の想定外のことだったらしい。彼女にしては珍しい事なのか、それともそうではないのか。この状況が、件の癖を発揮する条件としては弱いと思うのだが。救われたことには感謝したくなる。アレで救われる事は意外に多い。しかし―――
 まさか、顔が紅潮しているとは。今まで気にも留めなかったが自分の表情の変化に気づけないのは、かなりまずいのではないだろうか。
 第一俺の顔が紅くなっているのは、凛のせいでもある。―――違う凛ではあるが。
 あの夜、紅い騎士の犠牲の上で得る事ができた猶予。あの提案がなければあの大英雄に勝利する術などなかったのだが。
 凛に倣うように空を見上げる。黒く濁った様な色はお世辞にも綺麗とはいえない。だが、風の冷たさが紅潮しているらしい頬を和らげる気がした。思い描くは彼女の姿。そして鏡に写して見た我が身。

 だが、俺のこの偽りの姿がどうであろうと、彼女と比べる事すらおこがましい、と思う。
 彼女の美しさは外観ではない。いや、美しいなどと言う形容では彼女を汚すかもしれない。それが否定できない彼女の一面だとしても。
 彼女は美しい。だが、それ以上に彼女は、尊かったのだ。その想いが。そして生き方が。

 彼女は一振りの剣。自分を形容する言葉は、かつて彼女のためにあった。
 彼の君は剣。我が身は鞘、か――――。

 結局黙ってしまった凛と共に、屋敷へと歩を進める。
 もう、それほど時間は必要ないだろう。凛に少々遊ばれてしまったが、そろそろ覚悟を決めておかねばなるまい。


 まるで戦場に向かうかのように体を強張らせる。いまさら、何も知らぬときの自分でもあるまいに。
 過去の自分を、そして向かう先の主の姿を描いたとき、苦笑と共に緊張は消えていった。
 隣を歩く凛の頬はまだ、紅く染められたままだ。一体何を想像したのか。

 その姿に笑みがこぼれる。笑うくらいは判る。そろそろ屋敷が――――。

「凛!」

 夜気を両断し、短く言葉を発する。その緊張を読み取ったのか、凛は事態の深刻さを瞬時に理解し、先行する俺に続く。

「これは……」

 夕刻まで、確かにあったモノがない。玄関の戸は開けられたままだ。
 清冽であった空気は異質に汚れ、僅かに漏れ出した歪みがそこから僅かに体を縛る。
 微かに唇を噛む。
 あの時でさえ、失われたわけではなかった。

 かつて、かの救い人がかけたモノ。結界が失われていた。
 切嗣がかつて張った、敵意あるモノの侵入を知らせる結界が、無惨にも断ち切られていた。

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