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「まいったわね」

 受話器を置いた凛は、彼女にしては珍しく顰めた顔を隠そうともせずそう言った。面倒だという感情を隠そうともしない。
 昨夜の処理の件だったのだろうが、うまくいかなかったようだ。

「何か、判ったのか?」

 凛のために淹れた紅茶を渡しながら訊ねる。大河や衛宮士郎に対する処置で、結局この時間になるまで彼女が眠る事はなかった。気休めにしかならんかもしれんが、今はこの程度の事しかできない。別に用意はしているが、これからの状況次第だろう。

「まあ、ね。あくまで推測でしかないのだけれど。き、監督役が、殺されるか、それに近い状況なんだと思う」

 監督役……。あの教会の主というわけか。

「もし、それが事実なら襲撃したのは……」

「十中八九、キャスターの仕業でしょうね」

「ふむ、しかしキャスターが教会を襲うメリットはなんだ? 隠蔽に手がかかるなど、私には利点が思い浮かばないのだが」

 霊地として考えても柳洞寺には敵うまい。しかし、まだその一端しか感じ取れてはいないとはいえ、確かにキャスターの性格を考えれば、柳洞寺は彼女にとって好ましいものではないのかもしれない。ならば、多少劣るとしても陣地を変える事はおかしくはないかもしれないが。

「さあ、どうでしょうね。選定役っていうくらいだから、聖杯くらいしか思い浮かばないけど。まだライダーしか脱落しないじゃない。何か方法があるとしても、早すぎ―――」

「まて、凛。たしか教会に聖杯はないはずだが」

「そうなの? って、どうしてアーチャーがそんな事知っているのかしら?」

 俺の言葉に対して聞き捨てならないとばかりに凛が詰め寄ってくる。
 しかし、言ってから気がついたのだが。

「む、それは……何故だろうな。私にもわからん。聖杯からの知識―――ではないな」

 俺の表情で分かってしまったのだろう。凛はすぐさまその矛先を納める。

「でしょうね。それなら、バーサーカー以外は皆知っていることになる。それにアーチャー、貴女聖杯がどこにあるかまでは知らないのでしょう?」

「そうだな。まったくわからん。しかし、今教会に聖杯がない事は確かだと思う」

「まあ、いいわ。詮索しても仕方ないし。そんな暇も私達にはない」

「無論だ。既にキャスターの下に2騎。セイバーまでつけば手がつけられん」

「時間がないのは確かね。そして、貴女が言うようにセイバーまでキャスターに回れば手がつけられなくなる。教会が落ちたというのなら……」

 との言葉に、俺は閉じていた目を片側だけ開いた。

「使い魔はアサシンに斬られたわ。キャスターが柳洞寺に戻っているのか、確かな事は言えない。だけど、ぐずぐずしている理由はないわ」

 ふむ。と頷く。だが、そうしながらも私は、私の思考の一部は違う事柄に対して回り続ける。
 先の話で、いささか時間を取りすぎた。いささか堪えるものだったが。なるほど……的を射たところもあった。歪なこの身を鑑みれば頷ける。今はそんな事を考えること自体無駄な事だ。それこそそんな悠長な事をせず凛の言葉通りに、動かなければなるまい。
 だが、まず教会へと向かう前に。

「それで凛、そこの男はどうするのだ?」

「そこの男? 衛宮君……目が覚めたのね」

 俺の言葉に、振り返った凛はその存在を認める。意識が混濁しているわけでも、体が言うことを聞かない事もなく、健康体そのものだ。
 傷そのものは既に癒えていたのだ。時がたてば大河と違い、目覚めるのは容易い。

「遠坂……」

 二つの視線を受けながら、衛宮士郎は言葉を発した。

「なに、衛宮君。何か用があるみたいだけど。私達はそれに応えてあげる時間はないわよ」

 魔術師としても、マスターとしても未熟な衛宮士郎は、セイバーを失っては容易く死ぬ。凛としてはこのまま衛宮士郎に降りてもらいたいのかもしれない。だが、生憎と鞘の効果は継続しているようで、人間離れした死ににくさは失われていない。それは、きっとセイバーとのつながりを連想せざるを得ない。だから、衛宮士郎はきっと、諦めない。

「だが、俺達は―――」

 その言葉を最後に、俺は二人の会話をある程度聞き流し、思考に没頭する。
 衛宮士郎は今や元とはいえ、セイバーのマスターだ。こいつの性格ならこんなところでセイバーを見捨てるなどという選択肢を選ぶはずもない。たとえそれが、今より酷い状況だとしても変わりはしないだろう。
 ここで置いていっても、こいつは一人で行動する。奴が最後に言った言葉を気にしているわけではない。だが、奴はそれを見逃すのだろうか? 無防備に、愚かまでにこいつは。
 ――――叶わぬと知って走り続ける。それに憎しみを抱いたのは……

「まあ、まて。二人とも。それぞれに言い分はあるだろうが不要だ。君達の主張が合致する可能性は、現在の所無きに等しい」

「でも!」

「だが、凛。仮にこの小僧を脱落させるなら、それこそ自由を奪う以上に物騒な方法しかない。まして教会が落ちている可能性もある今、こいつに単独行動を許して死なれでもしたら私としても寝覚めが悪い」

「なによ。睡眠なんかとらないくせに」

 そう言って凛は俺と衛宮士郎を交互に見る。

「わかっていると思うけど、アーチャー。これは心の贅肉よ。それだけの覚悟はあるんでしょうね」

「それこそ愚問だ。私はこれでも合理的なつもりだ。少々君の癖がうつったかもしれないが、なに、心配はいらんよ」

「心配なんかしないわよ。まったく。貴女って本当に口が減らないわね。その格好でそれじゃ、キャスターに気に入られるのも頷けるわ。アンタも狙われてたんでしょう? ああ、過去形じゃなかったわね。今もか。ほんと、いい趣味してるわ」

 それから、少々口にするのは憚れるほど。それほど凛のガンドと比べても遜色ないほどの、口撃に私は合の手を放つ。
 それが、終わる頃には凛も笑みを浮かべていた。
 衛宮士郎は呆然としたままだったが。

「というわけよ。衛宮君。アーチャーがどうしてもって言うから、まだ同盟は継続よ。言っておくけど、足手まといになったら躊躇なくおいていくからね。もちろん、セイバーを助けたらきっちりと負債を帰してもらうわ。」

「ああ、それでかまわない。こっちこそ、すまない。俺にはセイバーを放っておけない。必ず助け出す」

「ふむ。まあ、それだけ吐き出せば少しは気が晴れただろう。しかし、趣味云々はわからんな。私にはキャスターが気に入るものなど見当が―――」

 呆れたと、凛が溜め息を吐く。凛ならともかく、衛宮士郎まで、そのような顔をするのは気に入らない。

「―――驚いた。貴女、自分自身には不器用というか無頓着というか。まったく。自覚しなさい。貴女は貴女が思っているよりも自分に対して評価しなければいけないわ。その態度は私達からしてみれば減点一ね。キャスターなんて、絶対貴女に対してあんなことやこんなことをしたくてしたくてたまらないはずよ。いまだってセイバーが何されてるのか。きっとあんな格好やこんな格好を」

「むっ」

「なっ」

 俺と同時に衛宮士郎が声をあげる。

「と、遠坂、それはいったい」

「まて、凛。仮にもキャスターは英雄だぞ。そのような趣味など」

しかし、思い浮かぶはキャスターの言葉。躾けるという言葉は……

「どうかしらね。食事に並々ならぬ執着を見せる英雄もいることだし、ありえないことじゃないと思うけど」

 確かにアーサー王の幻想ははそうなってしまったが。
 そこで、凛が見ている先が私ではなく、私が着ている服なのだと気がついた。
 確かこの服は、凛の兄弟子から贈られたものらしいが。よほどその人物とは合わぬものなのだろうか。服に罪はないとはいえ、凛の目は厳しい。別のベクトルで。
 だが、凛の懸念がその方向のものであれば。コルキスの王女までまた、妙な事実が浮かび上がるのか? 杞憂であるといいが。

「なら、尚更急いでセイバーを助けなきゃいけない。セイバーが望まぬ事を強いられているのなら、なおさら」

どこか間違った想像をしているようにも見えるが、あながち間違いとも言い切れない。もともと後先考えてないような小僧が熱くなったとしても、たいした違いはない。凛は、失敗したという顔をしていたが、これもまあ、いつもの事とも言える。

「そうね、無責任な事を言ったわ。ごめん」

「では、急ぐとしよう。だが、その前に朝食くらいはとっておけ。昨夜から何も食べてないだろう?」

 そう言って俺は、別の部屋に用意しておいた簡単な食事に二人を誘った。



 二月九日




 まだ、夜が明けたばかりだが、太陽の光は曇天に遮られ、世界はひどく狭窄に感じる。
 目的地が教会という事もそれを強くしているのかもしれない。
 時間が時間とはいえ人がほとんどいないのは助かる。
 かつて、セイバーが言った言葉だったか。あの教会はよくない。濁っているという点では、柳洞寺にすら負けてはいない。
 いや、俺にしてみればこちらの方が幾分強いかもしれない。それは、あの夜には感じなかった、教会に近づくにつれて高まる不快感が関係しているのかもしれない。なるほど、本当にこれから向かう場所は良くない。

「どうしたってわけ、アーチャー。さっきの事まだ根に持っているの?」

「さっきのこと?」

 思いがけない事を凛に訊かれ、首を傾ける。その隣で何故か衛宮士郎が噴き出していた。今は苦しそうに胸を押さえている。
 どうやら、勘違いしたようだが、本当に俺には凛の言うそれが何か判らなかった。

「よかったわね、衛宮君。アーチャーったら、本当に覚えてないみたいだから。まったく、本当に自分に関しては無関心なのね。こりゃ重症だわ」

 そうやって凛が天を仰いだ瞬間。衛宮士郎が俺の目の前で土下座していた。
 人がいないとはいえ、こんな場所で頭を下げられる理由がない。

「む、何のつもりだ。衛宮士郎」

「悪い、アーチャー。許してくれなんて言えないけど、せめて。謝らせてくれ」

「むう、だから何のつもりだ。私には貴様に頭を下げられる理由はない。むしろ、理由がないのに謝罪されても迷惑だ。それとも、お前は私に蹴り飛ばして欲しいのか?」

 俺が本気だと気がついたのか、衛宮士郎は慌てて立ち上がる。
 まったく。こんな所で土下座などと、俺にも人並みの羞恥心は持ち合わせている。

「それで、何故私に謝罪などを? 本当に覚えがないのだが」

「それは……」

「さっき、アーチャーの着替えを衛宮君が偶然見ちゃったでしょ。それに対してよ。さっきから不機嫌そうな顔をしていたから、まだ怒ってるって思っちゃったんでしょう、きっと」

 凛の言葉で、それが何のことか理解する。霊体で行くべきだと考えて俺がそうしたのに対し、凛が実体で行けと命令したわけだ。
 おかげで、霊体化したと同時に、力を失うように地に落ちた服をまた着る羽目になった。それを、偶然衛宮士郎に見られたわけだが。

「馬鹿らしい。それなら貴様はすぐに謝ったではないか。それで足りている」

「だけど、アーチャーは意地っ張りというか」

 衛宮士郎の言葉に、こめかみがひくつきそうになったが気のせいだろう。だが、それを抑えて溜め息を吐く。

「それについては私の方から謝罪しよう。別件だ。教会に関してだよ。お前が俺を見たことについてはとやかく言わない。謝罪なら一度で十分だからな。だが、セイバーに関しては容赦せん。例え、彼女が許しても俺が許さん。その時は俺が千殺してやるから、忘れぬ事だ」

 そう言って、軽く衛宮士郎の胸を突く。がくがくと首を縦に振る衛宮士郎が滑稽だったが。俺は嘘は言ってない。
 セイバーならきっと許すだろう。だが、俺が許さん。それだけだ。
 まったく、馬鹿馬鹿しいことをいつまでも。まあ、緊張でがちがちになってたり、熱くなって冷静さを失っていたりするよりはましと考えればいいだろう。常に優雅たれ、との理想には程遠いが。

「それはいいけれど、アーチャー。俺って言うのは減点だからね」

「あ――」

 ―――仕方ないだろう。このような姿でも俺は男なのだから。
 やはり、多少は硬くなって欲しいかもしれない。そう考えて俺は小さく溜め息を吐いた。
 気味が悪いくらいに教会の周辺は静かだ。人どころか、動物の、虫の気配すらないように思える。
 空を覆う灰色の雲はあまりにも陰鬱で、この場所の不快感を増す助けにしかならない。
 町の喧騒からは無縁の郊外に立っているとはいえ、これはいきすぎだ。

「どう、アーチャー?」

「相手がキャスターでは、私の知らぬ気配を消す手段を持っているかもしれんが」

「と、いうことはサーヴァントの気配は感じないわけね」

 凛は拍子抜けしたといった感じだ。ここは、嫌な場所ではあるが死地ではない。それを感じ取っているのだろう。

「残念だが、そうなるな。もっとも、確認するのなら、入らないわけにも行くまい」

「あたりまえじゃない。ここまで来て、帰るなんて選択肢は初めからないわ。衛宮君もそれでいいわよね」

「ああ。覚悟はできてる」

 そう言って、衛宮士郎は頷く。それを見届けると俺は扉に手をかけた。
 重苦しい音を立てて扉が開く。

 背後の二人が息を呑むのがわかった。
 床に血痕が残っている。点々と続く血の跡は教会の奥の扉へと続いていた。  おそらく、この血痕の持ち主はあの場所からこの扉まで、つまり教会を出たのだろう。気がつかなかったが、外にも血痕が残っているかもしれない。この量は、命に関るか。
 何れにせよここに俺たち以外の存在はない。
 俺は躊躇せず血の跡を辿る。後ろの二人は無言だ。
 椅子の合間を抜けて祭壇へ。その先にある扉へと。

 その血痕の続く先が何故こんなにも心を抉るのだろうか。そう、覚えがある。
         違う。
 忘れていた何かが警鐘を鳴らす。
         それは、お前の、
 それが何なのか、わからないまま血痕を辿る。不快感は胸に重く圧し掛かり、焦燥は沈殿していく。
         だから、
 もはや、血痕を辿る必要もない。その場所を俺は、覚えていた。
         無意味だ。


「階段? ―――地下室」

 衛宮士郎の呟きが聞こえる。知らなければ通り過ぎる。建物の影になったそれは、普通ならば見落とすものだ。
 その闇に躊躇せず踏み込む。細い細い階段を降りていく。真っ当な歩き方など知らない。
 下手をすれば、階下まで転がり落ちるような、無謀さにも似ていた。
 石造りの部屋だ。明かりなどないのに、この場所は青白く燐光を帯びている。それは、まるで貪欲な生き物のように思えて眩暈がした。

「聖堂、ね」

 そう言って凛が呟く。彼女もここは知らなかったのだろうか。
 隠された聖堂ともいえるこの場所は、頻繁に使われていたらしく、埃や黴といった汚れは見当たらない。
 既に持ち主は退場し、その生死も定かではない。
 キャスターは確かにここを襲ったのだろう。その痕跡は僅かではあるが、確かに残っていた。
 凛も、衛宮士郎も、正面のシンボルに気をとられて俺には気がつかない。

 その間に俺は、その正反対にある黒い闇へとその身を投じた。

「―――あ」

 知らず、自分でも意図せず声が漏れた。
 何も、ない。何もなかった。何も残っていない。既に終わっている。
 だが、それはなかったこととは違う。違うのは、僅か数日程度の違い。
 ここには確かに苦痛が、不条理が、地獄があったのだ。

 知らず、膝を突く。
 かつて感じた地面の感触はなく、それはただの硬い石のそれだ。
 忘れていた。そう、忘れていたのだ。ここに存在したものを。かつて見たあれを。
 救えない。そんなことはわかっている。忘れていなかったとしてもそれは手遅れに変わりない。

「アーチャー、どこに行ったわけ? ああ、いたいた。やっぱり、キャスターは一度ここに来たみたいね。綺礼の奴はやっぱり見当たらないけど。って、どうしたの、アーチャー。真っ青じゃない」

「ああ、心配ない。すこしこの場所に当てられただけだ」

「当てられたって。あんた……」

 凛の言葉を流して立ち上がる。四肢から抜け落ちていたかと思っていた力は、前以上の働きを持って身体を回す。

「それより、凛。ここの主は綺礼というのか」

「ええ。言峰綺礼。いけ好かない奴だけど、死体がない以上、生きているんでしょうね」

 その顔は忌々しげに見えた。だが、俺の視線に気付き、顔を曇らす。
 よほど俺は酷い顔をしているのか、凛も、そして聖堂に残っていた衛宮士郎も表情が優れない。
 衛宮士郎の闇。その一つは、知られないままに終わっていた。おそらくはキャスターの手で。
 そのことを伝える気はない。

 言峰綺礼。忘れていた名を口の中で反芻する。
 未だ忘れていることは多い。自分でも気がついてないものもあるだろう。

 キャスターの姿もなく、たいした収穫もない。
 だが、最後に立っていなければ、奴は現れまい。ならば俺は―――

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