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 まだ、散策している二人に、見張りが必要だからと俺は逃げるように地下室を後にした。いや、事実逃げたのだろう。
 煮えたぎるような感情を、理性という歯車で蓋をしているつもりだが。どんな顔をしているのか分からない。そして、それを俺は見られたくなかった。こと、表情に関しては俺の主観は尽く裏切られたのだ。今回もその例に漏れはすまい。
 降りるときには気にならなかった音が、酷く耳に障った。


 吐き出してしまいそうな不快感を、心の内の鞘に納める。棺に蓋を。今は必要のないものだ。そうして、俯いていた顔を上げた。
 教会自体は、少々小さいながらもその姿は実に潔い。華美な装飾などなく、清廉なそれは本音を言えば嫌いではない。残っていた血痕がそれを侵しているとはいえ、その程度では失われるものはない。
 隠り世から現世へ。それをつなぐ橋のような血。堆積した苦痛の残滓の上に、荘厳なる世界が浮かぶ。既に死人のこの身では、生者を助けること叶わず。それはキャスターとて同じこと。もっとも、俺が生きていたとて……変わるのは早いか遅いかだけ。
 ほとんど無意識に、並んでいる椅子の一つに指を這わせる。何も纏っていない指に、椅子は冷たい。よく手入れされているのだろう。一人でこの教会を維持していたのだろうか。たった半刻程度のことだ。だが、それだけで俺の精神は疲れを感じていた。
 トスン、と椅子に腰を下ろす。お世辞にも座り心地が良いとは思えなかったが、それだけで楽になった気がした。長椅子に背を預けながら、礼拝堂を見回す。ゆっくりとそれは移動し、最後に偶像を中心に据えて固定された。
 ――――はたして、奴は神を信じているのか?

「アーチャー?」

 いつの間にここに戻ってきたのか、衛宮士郎の声が礼拝堂に響く。動くだけで判るものを、捉えることができなかった。この身が剣だとしても、まるでとんだ鈍だ。衛宮士郎の接近に気がつかなかったことが忌々しいのならば、そんなことを考える自分にも腹がたった。
 偶像から目を逸らさぬまま、衛宮士郎に問いかける。

「もういいのか?」

 俺が応えるとは思っていなかったのか。僅かに戸惑うような気配を感じる。俺は死人だが、ここにいる。などと、衛宮士郎に言ってしまいそうになった自分に、力が抜けた。あいつに死人などと言っては、諍いになってしまうだろう。

「あ、ああ。俺に判ることなら、遠坂は解っている。そもそも、俺が判ることなんてなかったけど」

「そうか」

 それで用は終わりと、俺は黙る。しかし、衛宮士郎はそうではないらしい。

「ああ、だけど、アーチャー」

「―――なんだ?」

 礼拝堂に音を響かせながら、衛宮士郎が近づいてくる。それでも俺は偶像から目を離さない。
 そうして、衛宮士郎は俺から数メートルも離れてない場所で立ち止まった。

「何か、俺に隠し事してないか?」

「――――はっ」

 思わず笑いがこぼれる。弱った理性は、感情の抑制をするに足らない。これが笑わずにいられようか。小さく吐き出すように漏れた笑いは、止まることを知らず、瀑布のように礼拝堂に響いた。だけど、それはあまりに乾いて力はなかった。

「あれ? 俺、なんか可笑しなこと言ったか?」

 どこかむっとしているような、それでも、それに徹しきれてないような声だ。

「ああ、おまえの認識は正しいよ。今更何を言っている。俺がおまえに対して、何かを隠している? はっ、何を寝ぼけた事を。初めから貴様に全てを話すつもりはないし、義務もない。第一――――、知っても益はない」

 そうして、俺は初めて、偶像から目を離し衛宮士郎の方を見た。だが、そこに居るのは衛宮士郎だけではなかった。入ってきたばかりなのだろう、奥の扉の閉まる音が響く。

「あら、益があるかどうかは、聞いてから判断するものだと思うわ。何かに気がついているのなら、詳しく教えてもらいたいわね」

 何やってんのよ、あんた。と言いたげに凛は目を細めている。見張りがどうとかと言って、一足先に出たのだ。しかし、やっている事は長椅子に座って寛いでるのだから。しかし、まあ、いいか、と凛も椅子に腰掛ける。正しい座り方とは思えないが、俺から何かを聞くつもりなのだから、それは正しい座り方とも言える。その目は早くと、俺を促していた。

「ここに来て判ったことなど、凛と変わりない。キャスターがここを襲い、そして、もう居ないというだけだ」

「ふーん。まあ、そんなところでしょうね。キャスターはこの教会を襲い、そして綺礼は破れた。どうしてキャスターがここを襲ったのかも、そしてここに居ないのも、理由は判らないわ」

 衛宮士郎は凛の顔に気がつかない。当然だ。顔が見えてないのだから。だから、俺が二人にまだ何かを隠していることを。そして、凛がそれに気付いていることに、衛宮士郎は気付かない。

「じゃあ、キャスターを倒すには」

「柳洞寺を攻略するしかないでしょうね。だけど、それは不可能。いくらなんでも四対一じゃ逃げることすら至難の業でしょうね」

 無言で頷く。衛宮士郎が何か言いかけるが、それを手で制す。確かに、セイバーは令呪に抵抗できているが、それは一つの令呪に対してにすぎない。いくらセイバーが破格の対魔力を持っているとて、令呪を使うのもまた魔術師としては現代のそれとは桁が違うのだ。二つ目の令呪を使われれば、それこそセイバーは数分と持たないだろう。  そして、これはただの四対一ではない。キャスターは柳洞寺に陣を敷いている。あの場所に限って言えば、俺は突破するだけでも難しい。セイバーですら一対一で突破できなかった山門を、剣技で劣る俺が挑むのだ。それはセイバーが抵抗している今も変わりない。三対一でも結果は同じだろう。だからこそ、キャスターがここに留まってくれれば、望ましかったのだ。  そして、ここに居る誰もが勝ち目がないことを理解している。二人ともそれを打開する手段が思い浮かんでいないのだろう。

「なあ、遠坂。他のマスターはこの状況、どう思っているのかな」

 最初に口を開いたのは衛宮士郎だった。俺自身は、今は何も言うつもりはない。どう決まるかはある程度の予想がつく。

「その言葉が、どうして出てきたのか訊きたいけど。そうね。キャスターについてないサーヴァントはバーサーカーとランサー。彼らのマスターが誰であれ、この状況を好ましいとは思ってないと思うわ」

 その言葉に、何かが警鐘を鳴らす。それは、推測に過ぎない。危険な考えである事に変わりない。バーサーカーの主は、己が従える巨人の最強を疑いはしない。それは、未だ判らぬランサーの主とて同じ。そいつには、ランサーをハルカに超える切り札ガ……。
 なんだ? 僅かに覚える頭痛に眉を顰める。未だ思い出せぬ、かつての聖杯戦争の欠落。それが致命的なものだと、何かが俺に告げている。その答えを、意識の大部分を裂いて探す。それが無意味と理解しながら。おそらくは内部の働きかけではこの欠落は埋まらない。
 衛宮士郎が言葉を発するのを、凛が止めた。

「まって、状況を整理してみましょう? それからでも、衛宮君の考えを聞くのは遅くない。キャスターだけならたいした事はない。だけど、白兵戦に長けた葛木。アサシン、アーチャーにも護られているのだからさすがに手が出せない。そして、セイバーが操られるのも時間の問題。まだ、操られてないとしても、それはキャスターの気持ち次第に過ぎない。状況は時間とともに悪くなっていくわ。それを踏まえた上で、衛宮君、何か打開策はある?」

 その凛の行為に意味はあったのか。先の言葉から衛宮士郎の意図は読めている。なら、この確認の作業は衛宮士郎のためではなく―――

「じゃあ、遠坂。俺達にできるのはやっぱり―――」

 そこで、言葉を止めた衛宮士郎は、凛ではなく俺のほうへと視線を一瞬向ける。どちらにせよ、その顔では考えていることはだだ漏れだ。

「怒らないから、さっさと言え」

 に先んじて衛宮士郎へ言葉を放つ。凛は頷きながらも俺に鋭い一瞥をなげた。

「他のマスターと共闘するしかないと思う。といっても、相手は一人しか思いつかないけど」

 その言葉に凛はほうと息を吐く。凛はその言葉に否定はしない。内心どうあれ、それしか方法がないのだから。だが、気乗りしていないのは表情からも明らかだ。そんな顔をしているから衛宮士郎に気を使われてしまう。

「そうね。ランサーのマスターは不明。交渉可能なのはバーサーカーのマスター。イリヤスフィールなわけだけど」

「うん。あの子なら話を聞いてくれそうな気がする。無茶な要求もないと思うけど」

 衛宮士郎は、話せば判ってくれると、イリヤに対して思っているのだろう。だが、楽観できることではない。彼女は天使な悪魔。彼女が無茶なことを言うのはおかしくはないのだから。

「うーん。判らないわね。私はあの時、その場に居なかったから。なんとなく衛宮君に執着があるように見えたんだけど。やばい要求されるかもね」

「う、脅かすなよ遠坂。まだ一度しか会ってないんだしそんなことあるわけないだろ。だいたいなんだよ、無茶な要求って」

 その怯えは、両者の実力差を考えれば、当然のことである。そしてイリヤにはバーサーカーが居る。衛宮士郎が求められるのは

「――――そうだな、イリヤの使い魔にされて、彼女の玩具にされるくらいではないか? 別に命をとられるわけではないだろう」

 二割の思考で応える。未だ、答えは発見できない。無理とは判断したが、探さないわけにもいかない。

「あ、アーチャー? なんでそんな具体的な例が出てくるのかしら?」

「そ、そうだよ。お、玩具って何さ」

 二人とも顔が引き攣っている。想像してしまったのだろうか。玩具と言っても言葉の意味だ。だが、実際はどうなのか。彼女のことだから、不気味なものには転送しないだろう。あの部屋から想像するに。

「む、まあ、なんとなくだ。彼女のことだから、ぬいぐるみとか人形の類ではないか?」

「ぬ、ぬいぐるみ……」

「もっとも、そんなことになれば交渉はご破算だろうがな。今まで一人で出歩かなかったのは誇っていいぞ。ふわふわはみっともない」

 あれは大甘らしいから。バッサリされるぞ。バッサリ。

「ふわふわ? それと一人で出歩く事の何の関係があるんだ? それなりに一人だったと思うけど」

 それから、まだ何か言おうとした衛宮士郎に、凛が何かを耳打ちした。あまり関係なさそうなので意識はしないが。たいした事ではないだろう。あまり、衛宮士郎にかまってやれるわけではない。

「とにかく、今はイリヤスフィールに賭けるしかないわ。バーサーカーならアーチャーにアサシン、キャスターが相手でも負けないでしょう。こっちにもアーチャーが居るんだから十分勝機はある」

「それは、そうだろうけど。そう上手くいくのか? セイバーを取り返すってことは、キャスターを倒すってことだろ」

「キャスターの陣営でバーサーカーを傷つけられるのはアサシン以外全てだ。セイバーのマスターがキャスターに代わったことで、彼女がどれだけ力を取り戻しているかにもよるが、宝具が使えるのなら関係ない。侮ればバーサーカー共々散ることになろう」

「え、セイバーの宝具じゃ、十二の試練を―――」

 衛宮士郎の言葉を凛が遮る。まだ、見つからない。やはり無理なのか。

「そう、それで、あなたにそれを防ぐ手段はある?」

「不可能ではない。だがそれはセイバー共々私が消えることを防ぐと言うのならば、だが。いや、他にも何か」

 魔力の量から言えば聖剣の使用は問題ない。十全に引き出すことが可能だろう。だが、そんなことをせずとも俺にはそれを防ぐ手段がなかっただろうか?

「そう。とにかく、異論はないわけね。キャスターを倒すために、イリヤスフィールと手を結ぶ」

「まあ、あまり気は進まないが、心変わりするつもりはないのだろう?」

「ええ。時間がない現状で、これ以外の方法がないのなら、ね」

「じゃあ、決まりだな。だけど、どこにいるんだ? あれだけの魔力を持っているってのに。感じたことはないぞ」

 すでに、二度ほど会った。

「大体見当はつくわ。昔、父さんから聞いたことがあるの。アインツベルンは郊外の森に別荘を持っているって」

 あれは、別荘と言うよりは城だ。

「「――――――――――」」

「それで、すぐ動くのか?」

「詳しい場所は調べてみないと判らないわ。だけど、そんな悠長なことはしてられないか」

「いや、それくらいの時間なら」

「必要なかろう。森全てがアインツベルンのものなら、侵入すればすぐにばれる。誘導してもらえる、というのはただの希望的観測だが、隠れ家を探すのは弓兵の仕事でもある。私が何とかしよう」

「ま、アーチャーが言ってるんだし。今からで大丈夫なんじゃない? 私が言うのもなんだけど、一応アーチャーは弓兵だしね」

「アーチャーがすごいってのは判るけど、ほんとに大丈夫か?」

 衛宮士郎の心配する声を聞き流す。些かニュアンスが違ったようにも思えたが。
 それよりも、一応という言葉の方が気に掛かる。

「まあ、すぐに元に戻るわよ。とにかく、方針も決まったんだし早くここから出ましょう。あんまりいい場所じゃないんだし」

 そう言って凛は立ち上がる。確かにいい場所ではないが、嫌いではない。――これ以上は、やめよう。
 だが、そんな俺の心情を読み取ったのか、凛が、まるで天然記念物を見るかのような目で俺を見る。
 物好きね、と。

「そんなに綺礼のことが気になるの? まだ、会った事もないのに」

「さあな。会ったことがない以上、なんとも言えない」

 もう一度、偶像を見上げ、そして足元の血痕に視線を移す。はたして、奴は神を信じていたのか。

「そう。綺礼といえば、貴女が今着ている服も、あいつがくれたものだったわね……」

 少し憮然とした顔で俺は自分の服を見つめた。セイバーや凛が着れば似合うだろう。俺としてはあまり意識したくないから除外する。

「服に、罪はない」

 そう短く言葉にする。そう、この服に罪はない。セイバーの服にも、凛の服にも。もっとも、服に罪の所在を求めるなど、正気の沙汰ではないが。

「そうね。それでいいんじゃない。あんまり嬉しくないようだけど、貴女に似合ってるもの、その服」

 最初の服とは違うそれを見る。セイバーに渡したものと違って、数はないらしい。今、俺が着ているのは黒のブラウスに黒のスカートだ。代わりにタイが赤。あまり、人に見られたくない。霊体で移動したかった理由にこのことがある。もっとも、どのような姿であれ、この姿をさらすのは抵抗があるのだが。考えないようにしなければ、精神が擦り切れそうなのだから。

「嬉しくない」

 だから、そう言い返すのが俺には精一杯の抵抗だった。
 力も覇気も、声にはなかったが――。

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