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 先頭に立つ衛宮士郎が、教会の扉を開いた。その際、どうしても扉が軋む音がする。外も内も大して明るさは変わらないというのに、一歩外に出るだけで、不快な胸の内はただの平静に戻った。元々教会というものが苦手だからか。それとも、あの神父に良い思い出がないからなのか。
 立ち止まり背後にそびえ立つ境界を見上げる。神の家とはいえ、好きになれるわけではない。それがあの神父のせいなのか、それ以後のことが関係しているのか。
 そもそも、何時から嫌いになったのか。記憶を辿ってみても思い出せるものではなかった。
 無いものはない。しかし、神父を可能性から除外できないのは確かではある。
 今は、胸に沈殿していた不快感が消え去っただけでも、よしとするほかないだろう。
 もっとも、精神的陵辱を受けた傷は、今尚癒えることなく残っているが。数多く受けていたそれはこの身体と違い、容易く癒えるものではない。その点では、一つや二つ傷が増えたとて、今更たいした事ではない
。  そうして俺は頭を振り前を向いた。

「とりあえず、戻るわよ。さすがにここからじゃ、足は用意できないし」

 その言葉に無言で肯定する。
 今からかの森に挑むとして、遅くとも日までは暮れないだろう。たいした準備が要るわけでもないはずだ。
 教会から遠ざかる。地上へと戻る道すがら、不意にある事柄が頭を過ぎった。

 ライダーのマスターはどうしたのだろうか、と。



 新都から凛の家、そして衛宮の屋敷に戻る事一時間。それから、タクシーに揺られること一時間。
 延々と続く国道を走る最中、その金額を考えなかったわけではないが。それも不毛と切り捨てた。出したのは衛宮士郎だ。全額。
 俺は霊体化させられるのかとも思ったが、普通にタクシーに乗る羽目になった。三人とも向かう先のことを考えれば、相応しい服装ではない。郊外の森に挑むにしては凛の服も、そして遺憾ながら自分の服も、その、なんだ。まあ、目的地は城だからと無理やり納得する。
 他人と近いと否応に、自分のおかれている状況、状態を自覚させられる。普段は考えないようにしているが、やはり辛いのだ。 単独行動で、人から隠れるようにするそれとは違う。相手があるからこそ、ダメージが大きくなる。
 しかも、最近は抑えが効かなくなってきたように思う。どうやら精神は、日に日に擦り切れているのかもしれない。
 そうして、いくつかの山を越えて、森の入口に辿り着いた。
 ただでさえ良くない空だというのに、それを隠すほど枝が覆い茂り、その先を見せない。日は天頂に届こうという時刻だが、そんなものは気休めにもなりはしなかった。朝靄のように白ばむ森が、時間の感覚ですら狂わせる。


 間桐慎二の事は、ここまでの時間の中で、完全に頭から消えていた。考えるまでもないというのが実際だった。
 問題はイリヤのことだ。彼女が協定、協力関係を受け入れるとはどうしても思えなかった。
 イリヤは己のサーヴァント。バーサーカーに絶対の自信を持っている。その彼女に対して、協力の要請とはバーサーカーの力を疑う行為ととられるかもしれない。
 もし、交渉が決裂するならば戦わなければならない。その場合どうするのか。タクシーの中で会話するわけにも行かず、かといって、念話で話す事もせずにここまできてしまった。
 前を歩く二人を眺める。
 凛は小さな鞄を、衛宮士郎は竹刀袋を手にしている。骨共を放っておいた屋敷だが、既にその痕跡すら残っていなかった。
 とりあえず、二人が用意している間に、破壊されたテーブルなどを修繕しておいたが。
 全てが元通りになったわけではない。何せ、セイバーの魔力が残滓として纏わりついている。
 思いのほか、骨が折れる作業だった。
 ――それは、まあ、いい。
 脱線した思考を元に戻す。
 ほとんど無意識に先延ばしにしてしまっていた。そんなことをしても、解決にはならない。
 凛の事だ、バーサーカーとの戦いは考慮しているだろう。そもそも、勝ち目が皆無なわけではない。その後が厄介な事になるだけで。
 交渉が上手くいけば問題ないのだが……。

 そうやって、柄にもなくうだうだと考えていたのが良くなかったのか。二人が話している事も、あまり耳に入っていなかった。
 否、あまり、その意味を考えていなかった。

「ちょっと、アーチャー。悪いけど先に進んでくれない?」

「かまわんが」

 凛の言葉にたいした詮議もなく、二人を追い越して森の中へと足を進める。何もない。何事もない。
 そのまま十歩も歩けば完全に森の中だ。これでいいか? と足を止めて振り返る。

「あれ」

 その事が予想外だったのか。凛の顔が、少し呆けたものに変わる。普段が普段だけに、僅かな変化だけでもその効果は大きい。
 そのまま、少し考え込むそぶりを見せたが、「あ、そうか」とでも言うように、彼女は手のひらを叩いた。

「ごめん、衛宮君。アーチャーのところまで行ってくれないかしら」

「いいけど。なんか意味があるのか? 先に進むわけでもないし」

 凛の言葉に、衛宮士郎はすぐさま了承した。
 衛宮士郎から俺の距離はせいぜい十歩もない。たいして苦もない作業である。もっとも、別に先に進むでもなし、こんな所で道草を食っている事に疑問を持ったのか。
 その声には少し文句の響きがあった。とはいえ、それは些細なもので、衛宮士郎は何のためらいもなく俺が居る場所へ。
 森へと足を踏み入れた。

「うわっ―――、なんか、ビリッと来たぞ!」

 そう言って、足を引っ込める。痺れたのは一瞬だけなのか。そして、それもたいした事がなかったのか。その表情には痛みよりも驚きという度合いが強い。―――静電気のようなもの、か? 傍から見ればそれなりに間抜けな表情だが、それを言ってやる義理はない。

「やっぱり、森全体に管理が行き届いているみたいね。その様子じゃ、識別だけかしら。考えたらアーチャーには対魔力があるんだから、意味はなかったわね」

「あ―――え? それって、まずいんじゃないか? 警報装置に引っかかったようなもんだろ?」

 自分が実験台にされた事に、一瞬何かを考えたようだが、その結果に比べればたいした事ではないと、疑問を口にする。
 ある意味では、聖人君子のようなものだ。誰かがストレスを溜め込むなといったことが思い出させる。
 ストレスに感じているかどうかは、おれ自身にも判別不能だが。家事に精を出しているときはそうなのかもしれない。
 ―――あれは一種の逃げ道だ。

 そうやって、ぼうっと見ている間に会話は続けられる。

「大丈夫よ。わたしたちは奇襲に来たわけじゃない。話し合いに来たんだもの。アピールしておいて損はないわ」

 その言葉は少しおかしいと思う。そう言いかけて口をつぐむ。
 たしか、あの時イリヤは出入りだけを認識していたのだったか。あの時、どうやって三人は森に侵入したのだろうか。
 あの言動では森への侵入を、イリヤに気づかれているようではなかったような気がする。城はともかく。

「あ、気をつけろよ。ピリッとくるから、ピリッと」

「わかってるわかってる。衛宮君の見てたんだからどんなものかくらいわかって―――」

 注意を促す衛宮士郎と、それを笑って流す凛。しかし、こと危険に対する嗅覚に限っては衛宮士郎のそれはある意味セイバーすらを―――
 どうかしている。そう、口の中で呟き頭をふる。そのような評価は正当ではない。そもそもそんなものがあれば衛宮士郎は
 そうして、凛から視線を外したために、俺は決定的な瞬間を逃してしまった。

 それは、決して健康的な音ではなかったと思う。そもそも、その類の音が健康的であるかは判らないし、知らない。
 多分健康的な程度なら音はしないのだろう。その点で言えばそれは健康的ではないのだ。音がしたのだから。

「うきゃ――――!」

 そうして、その音にコンマ一秒と遅れず、森を愉快な奇声が揺らした。

「うわぁ」

 耐え切れず衛宮士郎が声を漏らす。凛の足元は、残り香のように音を発し、落ち葉は間違いなく焼け焦げている。

「こ、個人差がある警報なのかな。俺のときは挨拶程度だった気がするけど」

 努めて冷静を装って分析しているのがわかる。汗の量が普通ではない。なにしろ衛宮士郎はまだ、森に入ってないのだ。足を引っ込めてしまったせいで。
 この警報がランダムで威力を選んでいるのならば、先のそれがたいしたことがなかったとしても、安心は出来ない。
 自分の運の悪さは俺もあいつも十分理解している、はずだ。顔を見れば判る。
 だが、衛宮士郎の不安も言葉も、凛の耳には届かなかったらしい。

「ふ―――フフフふ、ふ、ククク―――」

 その笑いとも呻き声とも判別し難いそれは、聞くものの心の臓を縛り。

「やってくれるじゃない、あのガキ! 今笑ったの確かに聞こえたんだからね!」

 獣のように、誰も居ない虚空へと怒鳴った。先の話し合いという言葉は過去の遺物とでも言うのか、まさしくその殺気は殺し合い専用。
 グラップラーもかくやというやつだ。その剣幕には、さすがに俺の顔も引き攣る。
 まあ、なんだ。人間というものは誰しも苦手なものがあるのだ。

「はあ、はあ。それより、衛宮君。早くこっちに来たら? 日が暮れちゃうわよ」

 肩を怒らせて、猫科の動物が威嚇するような姿で、凛が言葉を発する。
 それは、少し八つ当たりにも聞こえるから厄介だ。常人なら凛の様を見て躊躇うのは仕方ない。
 躊躇わないのは頭のねじがどこか緩いかとっくに抜けてる奴で、衛宮士郎はそういう方面では普通だと思う。
 そこに大物を含めないのは、中々それがいないことも関係しているが。いないわけではない。ここにいないが。
 まあ、すぐに覚悟を決めて入るだろうが。こいつの奇声を聞いても、何の益もあるまい。

「あーちゃー?」

 凛が不思議そうに、森を出る俺を見送る。そうして、衛宮士郎の場所まで戻った俺は問答無用で。
 衛宮士郎を抱えて森へと踏み出した。
 もちろん、何の衝撃もない。

「「あ」」

 どちらが言ったものか、二人で言ったのか。どちらにせよ間抜けな声である事は確かだ。
 それに眉を寄せながらも凛の所まで足を進める。
 その間、凛は目を丸くしながら俺のほうを見ていたわけだが、不可解にもその目を楽しげに細める。
 ―――あれはよくない。

「へぇ〜。そんな方法があったんだ。それはともかく、衛宮君。貴方、お姫様抱っこ、好きよねぇ」

 感知まで無効化できるかは判らないが、初めから凛もこうしておけば良かったのだろう。俺も凛も気がついてなかったのだからお互い様だが。それでも、やはりあの雷撃じみた経験はいただけないらしく。
 たいそうご立腹なされているのである。我が主は。
 その矛先は幸いにも俺ではなく、俺が抱えるもの。すなわち衛宮士郎へと向けられた。
 その事にほっとしながらも、凛が指摘する内容が少し引っかかった。
 お姫様抱っこ。この場合、されるほうという意味だが。そのような趣味は断じて持っていない。衛宮士郎にしてもそれはご同様のはずだ。
 しかし、衛宮士郎にしてみれば、凛の攻撃は上手く流せるものではなかったらしい。
 瞬く間に顔が赤くなり。意味不明の音を口から吐き出し始めた。

「あら、あかくなっちゃって。照れることないじゃない。立派な趣味だと思うわ」

 玩ばれる対象が自分ではないということがもたらす安堵は、心地よいものである。あまり褒められた事ではないが、その対象が衛宮士郎だからかもしれない。しかし、近くで騒がれるのはあまりよくない。心身ともに。

「あ、ああ、あああああああ――――」

「ふむ、まあ何を言いたいのかは察しがつくが。落ち着け」

「あああ、アーチャー! 何というか、庇ってくれた、というか護ってくれたというか。ああ、助けてくれた事には感謝してる! ホントに。だから、早く降ろしてくれ! このままじゃ、遠坂の玩具だ!」

 む、そういえばそうか。と呟く。完全に抱えたままで衛宮士郎を降ろす事を失念していたらしい。ならば、ご要望に沿えないわけには行かないだろう。
 それに、横抱きに抱えられた事実は変わらんのだ。おもちゃの状況は変わらんぞ……。

「ぐはっ!?」

 俺は衛宮士郎を降ろした。簡潔に。

「あ、アーチャー?」

 楽しそうだった凛が、また珍しい表情に変わっている。具体的に言えば「うわぁ〜」というやつだろうか。

「どうした、凛?」

「それは降ろしたとは言えないんじゃないかしら……」

 凛の視線は俺の足元。無様にのた打ち回る衛宮士郎へと向けられていた。憐憫と何か判別できない感情が瞳に映っている。
 ―――確かに。俺の行為は降ろすではなく、単純に手を放すというものだったが……。

「問題ないだろう。こいつは馬鹿みたいに頑丈だ。それこそそこいらの闇夜のものよりよほど化け物じみている」

 いくら人外じみた治癒が働いていようと痛いことに変わりはないだろうが。それより重要なことは別にある。

「それより、凛。あまり気持ち悪い事を言うのは控えたまえ。さすがの私も背筋がうすら寒くなったぞ」

 勘弁してくれとばかりに、俺は肩をすくめた。
 その言葉には我慢ならなかったのか、衛宮士郎は驚くほど素早く立ち上がった。それこそ、つい先ほどまでの醜態は嘘だったのかと思うほど。

「ちょ、ちょっとまったぁ! 何だよ二人して。俺の趣味がお、お姫様抱っこなんて……。そんなの言いがかりじゃないか」

「あら、それならさっきのアレは何なのかしら? 衛宮君の趣味じゃないにしては、随分長い事抱かれてたわよ」

 そんなに長い時間だったろうかという疑問もあったが、黙っておく。それより……。
 それは蓋をしていた何かなのか。

「そ、それは……。驚いたというか、その―――いや! ともかく、俺はそんな趣味は持ち合わせていない!」

「三回、だ」

「――――え?」

「お前が凛の言うように、横抱きにされたのが先のを含めて三回だと言っている」

 思考に没頭するあまり、周りとの対応をおざなりにした結果だ。三回目のそれは、俺に否があるのだろう。
 そして、今、脳裏に浮かぶものはなんだ? 最強の巨人に両断された夜か? それとも、原罪の剣に切り裂かれた夜か?
 理性の歯車は絶えず回り続ける。だが、それを回す動力は感情だ。ずらりと並んだ撃鉄は一つ一つが、そのスイッチ。
 一つずつ、それがオチテイク……。加速するそれが一方的に言葉を紡いでいく。

「前に二度。一度は柳洞寺で。もう一つは、ライダーを逃がした後だ」

 ああ、確かに目の前の存在はエミヤシロウだ。俺を庇うその様は、自身の原理と違いはない。
 彼女をどれだけ苦しめたのか。今なら想像することくらいなら許されるだろう。もっとも、言い訳させてもらえばそれはご同様だったが。
 彼女は今回ほど魔力に恵まれていたわけではない。鞘の風を解いただけで力を失い。聖剣の使用は彼女の存在を消し去る所だった。
 あの胸の痛みを、俺は忘れてしまっていたのだろうか?
 撃鉄がオチル、次々と……。

「あ――――」

 これは同属嫌悪か。なんだ、男も女も関係ない。血を流されるのは困る。そんなものを見せられては困る。ああそうだ。そんなことをされては我慢など出来ない。

(衛宮士郎は、我慢できない人なのですね)

 突き放たれるような声は、誰に告げられたものだったか。
 なるほど、その通り。こんなだから、理解できない。剣と剣は引き合うのは、戦いという場だけだ。鞘とは違う。
 なればこその、この感情なのだろう。
 感情という撃鉄が、歯車を乱す。そら、どんなに優れたものだろうと、限界を超えれば破綻をきたす。

「何のことはない。お前が意識を失ったときに、そうやって運ばれたというだけだ。お前が知らんのも無理はない。なるほど、確かに今回のものに関してはお前に責はない。私が好きでやった事だ。だがな、衛宮士郎。今度はセイバーはいない。貴様が死に掛けたとて打ち捨てるつもりだから、そのつもりでいるがいい。決して俺を庇う等という愚行は考えないことだ。―――凛」

 最後に衛宮士郎に背を向けるようにして凛に視線を移す。そして、彼女が頷いた事を確認すると、俺は二人を置いて先の見えぬ森へと跳ぶ。知らず、強く踏み込んだ両足は、自分が思う以上の力で、小さな身体を重力の楔から解き放った。



 interlude



 一言も発することなく、アーチャーが視界から消えるのを見送った。もっとも、彼女は人間に量れるような存在ではない。それがどれだけ可憐な姿であろうとも……。何か言葉を発する事ができたとしても、それはせいぜい一言、それも短いものに限定されたに違いない。
 そう、事実として一言も発しなかったのではない。発することができなかったのだ。
 衛宮士郎の脳裏に浮かぶのはアーチャーが発した言葉。それが、無数の棘と化し、抉る。

「何ぼけっとしてんの。行くわよ、衛宮君」

 停止していた思考を打ち砕かれた俺は慌てて、先を進む遠坂の後を追った。
 ざくざくと、地を踏む足には微塵の躊躇はない。小気味良いその音と、それよりも強く意思を持った声が、思考の渦から俺を引き上げていた。

「おい、勝手に進んでいいのか? 」

 どこか肩を怒らせているようにも見える遠坂の背中に声をかける。多少躊躇はしたが、この際仕方がない。
 アーチャーのことが心配だからという理由もある。もちろん、目的地の正確な場所が自分も凛も判らないという理由が一番なのだが。
 アーチャーが一人先に進んだのがそれに関係している事は察することができたが。

「いいのよ。だいたいの方向は判ってるんだし。アーチャーだって私の位置は判るわ」

 何か思うところがあるのか。遠坂の顔はどこか強張っているように見えた。その声は固さを含み、どこかいつもの精彩が欠けている様に見える。
 それから、五分ほど会話もなく歩いただろうか。いまひとつ勇気の出せず、ずっと遠坂の後ろを歩いていたわけだが。
 これは、どう考えても、気に入らないとかそんな感情を越えて……。

「もしかして、遠坂。怒ってるのか?」

 その事実を確認するために、自らその戦端を開いた。
 その言葉に、ぴたりと遠坂の足が止まる。

「あら、どうして衛宮君はそんなこと考えたのかしら?」


 振り向いた遠坂の顔はびっくりするくらいの笑顔だった。そりゃもう、清々しいくらいの。  だけど、その顔を見ても素直に褒める事はできそうにない。女性は笑っているときが一番怒っているとどこかで聞いた気がするが。
 成る程……。それは事実だったらしい。
 そして、早くも俺の勇気は砕け散ってしまった。

「いや、その、何でだろうな。多分、俺の勘違いだ。気を悪くしたなら、あ、謝るから!」

 慌てて目の前で両手を振る。正直ここまで怖いとは思わなかった。あまりの恐怖にいらぬ事を言ってしまいそうで、慌てて意味のない言葉でごまかす。男の自分が言っても仕方がないが、まあ、そんなやつだ。
 その姿が、あまりに滑稽だったのか。どうなのか。遠坂は一瞬こめかみをひくつかせた後、盛大に溜め息をついた。
 一緒に力も抜けていったように見えたが。

「勘違いじゃないわ。怒っているのは確かね。まあ、誰にとは言わないけど」

 それは、俺のことじゃないのだろうか……。

「まあ、怒ってるっていえば間違いじゃないわ。だけど、貴方に関しては今に始まった事じゃないから、どうだってよかったのよ。だけど、この際だから言っておいてもいいかもしれないわね」

 どうやら顔に出ていたらしい。

「今更話す事じゃないと思うけど。サーヴァントは自分よりマスターの命を優先させるわ」

 その声の響きに、一瞬、身を硬くさせられた。

「マスターが消えれば、それを憑代としている自分も消えるから、か」

「そうね。そして、セイバーも、アーチャーもそれは変わらないわ。むしろ、顕著な例でしょうね」

 否定したくても否定できない。最初の夜。今から会うであろう巨人との邂逅の日。セイバーは俺に逃げろと……。
 あの時、結果としてセイバーはたいした傷を負わなかったが。一歩間違えば、アーチャーのように大きな傷を受けていた可能性はある。
 何を馬鹿な……。セイバーの傷をたいしたことがないなどと。確かに直接バーサーカーに斬られたわけではない。だが、セイバーが吹き飛ばされた際、流した血を忘れたのか。あれは、ランサーの槍の傷が開いたものだったが。

「なのに、貴方はそのサーヴァント、この場合はアーチャーね。あの娘を二度もかばった。そうでしょ?」

 柳洞寺と昨日の夜の事か。だけどあれは―――

「まって。貴方にも言い分はあるでしょうけど。それを認めるわけにはいかない。少なくともアーチャーはそう思っている。貴方はサーヴァントじゃない、ただの人間よ。しかもろくに魔術も使えないへっぽこ。それなのに自分から死ぬような事ばかりする。自分のサーヴァントですらないアーチャーのために!」

 それは、自分のサーヴァントじゃないことなんて、関係ない。
 俺は確かに聖杯戦争を戦うことを選んだけど。だからって、セイバーやアーチャーが傷を負うことを肯定したわけじゃない。

「それは、遠坂とは協力関係だから……」

「そんな事で死なれるのは迷惑だわ。まずは自分の命を大事にしなさい。全てはそれからよ」

 そんなことされても、何も返すことが出来ない、と。
 だからといって、自分の命を優先させる事ができるだろうか? 多分、出来ないだろう。何か目の前であったとしたら、他の事を忘れて飛び込んでしまうかもしれない。だけど、それは―――

「―――ああ、そうだな。ありがとう、やっぱり遠坂はいいやつだ」

 どれだけ黙っていたのだろうか。俺が言葉を発するのを遠坂は待ってくれていたのだろうか。長い思考をはさんで、俺の口はそう言葉を発した。

「は? なんでそうなるのよ……」

 呆れた、と遠坂は肩を落とす。学校じゃこういう姿は見ることが出来なかったけど、猫をかぶってたんだなぁと、つくづく思う。まあ、こっちのほうが好きかもしれない。

「だって、遠坂はこんな俺でも、叱ってくれたから。冷たい奴はそんなことしてはくれないぞ」

「―――そんなの、気まぐれよ! それに言ったじゃない。迷惑だからって。だいたい、私は貴方に怒ってるんじゃないわ。私が怒っているのはアーチャーよ」

 どうやら、相当に熱くなってしまったらしい。言わないと言った怒りの対象を言ってしまってる。
 そうか、アーチャーに対して怒ってるのか……。
 そして、また歩き出した遠坂に並ぶと、すぐさま疑問をぶつけた。

「なんでさ? アーチャーが言った事は間違いじゃない。俺が未熟なことは事実だし、それで迷惑をかけたのもそうだ。それなのに、何で俺じゃなくてアーチャーなんだ?」

「あの娘、アーチャーはね。あんな形してるけど、相当な現実主義者よ。そうは見えないかもしれないけど」

「そうなのか?」

 その割にはなんだかんだで助けてもらったような気がする。そりゃあ、きついこと言われるけど。

「そうなのよ。重要なのは本来のあいつがそういう奴だってこと。まって、違うか。あいつの本来の姿は私にも判らない。ただ、あいつのスタンスがそうだってことよ」

「ふむ、それで、どうなるんだ?」

「それが徹し切れてないってことよ。セイバーもその原因の一つなんでしょうけど、一番の問題は貴方よ。衛宮君の存在がアーチャーに皹を入れている。気になってしょうがないんでしょうね」

「はあ」

 俺の何が気に入らないんだ。そりゃあ、未熟な所って言われればそれまでだけどさ。

「衛宮君を無視できなくて、イライラしているってことよ。まさか、貴方に対しての敵意が好意の裏返しってことはないでしょうけど」

「そ、そそそ、それはないんじゃないか?」

 慌ててその可能性を否定する。それはもう盛大に。頭と手を使って。

「まあね。今のは冗談よ。まあ、とにかく、さっきのあれはアーチャーの完全な八つ当たりだから。ちょっと頭にきちゃっただけよ。アーチャーらしくないじゃない。特にさっきのやつはいただけないわ」

 あれは、八つ当たりだったのか。その割には結構ズバッと切り込んできた。
 確かに、身に堪えるけど、遠回しに直せって言ってるようなもんだよなぁ。好意的に考えれば、だけど。

「む。まあ、あんなアーチャーも嫌いじゃないけど。たしかに変に強がってるようなアーチャーのほうが俺も好きだな。たしかにセイバー以上に抑揚のないアーチャーは怖い」

 あれは、表情が消えて声も平坦になっていく感じだった。何かのスイッチが入ったようにも思えるけど。
 そりゃあ、ちょっと変な感じをアーチャーからは受けるけど、それだって嫌う理由にはならない。

「そうね。あいつは変に余裕があるようなないような、そこらへんのさじ加減が微妙だから面白いのに。あれじゃあ、台無しだもの。そういう点では衛宮君の意識がないときは及第点だったかしらね」

 それはなんか複雑だ。本当に俺を気にしているのか。

「やっぱり、セイバーのこと気にしてるのかな。だって、アーチャーはセイバーのこと好きなんだろ?」

 何気なく口に出す。そっくりだし。恋愛感情みたいのとは違うと思うけど。アーチャーはきっと、セイバーに好意を持っているはずだ。
 それはセイバーにも当てはまる。セイバーも何でかアーチャーに執着を見せていた。姉だ妹だ何だと言ってたけど。
 だけど同時に思う。、アーチャーがおかしいのは本当に俺やセイバーだけが原因なんだろうか?

「衛宮君って、時々嫌になるくらい直球ね」

「え、そうかな」

「そうよ。自覚しておいた方がいいんじゃない」

 遠坂の言葉に、少しの時間押し黙る。自覚、するというのは思いのほか難しい。だけど――――

「覚えとくよ。他でもない、遠坂の忠告だからな」

 そう言って森を見上げるように、様子を伺った。動物の気配は感じない。未だ昼だが、この場所がいい場所とは思えなかった。
 夜にこんなところに放っておかれたら悲鳴を上げそうだ。
 未だアーチャーが帰ってくる気配はないが、それこそまだ彼女が先に行って十数分のこと。さすがにそれだけで把握するのは無理だろう。
 たいして奥深くに入ったわけでもないのに、木々の海はこの森の広大さばかりを教えてくれる。

「それにしても、大丈夫なのか、アーチャー。この森随分深いはずだし。結構大変なんじゃないか?」

 そう訊くと、遠坂はまるで獲物を見つけた肉食獣のような目をする。
 何か遠坂においしい言葉を紡いだだろうか?

「あら、衛宮君も理解してないのかしら。あいつは“アーチャー”よ。単独行動はお手の物。それに便利なスキル持ってるもの。ある程度の距離まで判れば、あの娘なら十分よ」

「あ、ああ、そうだな。アーチャーは弓の騎士か。そうなんだよな」

 剣で接近戦を挑んだり、でっかい盾を出したりしてたけど、確かにアーチャーだ。ちゃんと飛び道具使ってた。
 というか、一番印象に残っているのが、見ててコワイ料理だというのがダメダメな気がする。なんとなく。

「認識が改まったんだったらそれでいいわよ。だけど、今までいったいどう思ってたのか。随分と失礼な事みたいね」

 俺の表情を見て、何を考えているのか読み取りやがったのか。そう言って、遠坂は笑った。いつもの不敵ながら、それでいてどこか自分のサーヴァントを我が事のように自慢するような笑顔は、俺を安堵させるのに十分な代物だった。
 そういう私もついつい忘れちゃうんだけどね、という遠坂の告白はこの際、ご愛嬌という事で。



 interlude out



 森を駆ける。木から木へと飛び移る。蹴る足は枝を微塵も揺らすことなく、故に折れるものも散る葉もない。
 もとより冬の木々は、生を感じさせぬものばかりであったが。
 冬の大気は、風を切る際に心地よい冷気と化す。融解している精神を冷やすに十分足る。

 何を、馬鹿なことを……。

 先の自分の行動を鑑み、軽く溜め息を吐く。それくらいには、熱から冷めていた。
 その理由にも頭が痛くなるが、それ以上に凛の様相を考えるのがいろいろと辛かった。
 彼女は魔術士としてだけでなく、人間としても十分に甘い所がある。何か自分に良くない事が起こる気がしてならない。
 何しろ自分の幸運値は最低なのだから。まさか、そういうものまで自分が数値化されるとは、あの頃は露ほども思っていなかったに違いない……。
 中々に得がたい経験ではある。何より、聖杯によるそれだ。サーヴァントなどという規格外を召喚するもの。
 間違いないだろう。それは、この体になって十分理解している。
 ―――まて。この身がサーヴァントとして正しい存在なのだとしたら、残るのは記憶、経験ではなく……。
 やめよう。そんなことを考えても詮無いことだ。

 そのままかつて辿った道を跳ぶ。生気の感じられぬ森だが、動く物がないわけではない。
 居る所には居るものだ。森の主とやらも、何処かにいよう。

 先の言葉は、あの場において相応しいものではなかった。減点ものである。
 必要などなかったものだ。
 どうやら、衛宮士郎のことになると、自分は笑って流すようなことは不可能らしい。
 そう結論付けるしかない自分にまた、昂ぶりそうになるが溜め息を吐いてなんとか凌いだ。

 まだまだ、この身は未熟というわけだ。

 それで、衛宮士郎に関する思考を締め出す。あまりに嵌まり込んで、不覚を取っては目も当てられない。
 そうして、記憶にうっすらと残る、城の方向を目指して空を駆ける。
 凛から離れて十数分ほど経っただろうか。
 あるものを見つけて、足を止める。距離にして数キロ。少し目的地とはそれるものの、俺はその方向へと向きを変え跳んだ。
 そうして、あと少し、という所で地上に降り立つ。
 とたん、空は木々に隠れ、本来の暗い森へと変貌する。太陽はくすんだ雲と灰色の森に遮られ一寸も姿を表すことができないでいる。
 一歩足を踏み出すたびに、小さな音を立てる。が、それ以外に音はない。
 一歩ずつ、人間の歩むそれと変わらぬ速さで向かう。鼓動が少しだけ早くなる。それに比例して歩く足もテンポが変わる。

 ―――目の前には、廃墟があった。その言葉が相応しいほどに、打ち捨てられたようにそれは建っている。
 緑に侵食され、その亡骸は崩れることなくこの場所に在る。
 それは感傷か。あれから、一度としてこの場所を尋ねたことがあっただろうか。
 近づいて壁をなぞる。まったく同じで、少しだけ違うこの場所。
 隠れ家という意味であの時は使われたが、その実結果を考えると微妙に違う。そうすると、自然と笑みが漏れたのがわかった。
 声を出すそれではなく、唇が僅かに弧を描くそれ。
 それも感傷だと、頭を振りながら廃墟の中へと進む。実際にどれだどうなどとはほとんど覚えていない。
 もっとも、一階は覚える事ない木々の海、だが。問題は二階に関してである。
 当然だ。冬木市どころか、衛宮邸ですら全てを覚えていたわけではないのだから。
 だからこそ、それは強烈に印象に残っていたのかもしれない。それは寝具、または夜具。所謂ベッドと云う。
 慌てて視線を他のものに向ける。彼女との思い出は大事なものだが、だからといって今、それを思い出すのは―――

 ここは、予想以上に残っているものが多すぎる……!

 一瞬で、トップまで上がったギアで選んだ思考は、とんでもない方向へと向けられる。

(今の、俺の状態を凛に読まれたらえらい事になる!)

 刃金で鍛えられていたはずの理性は、瞬く間に融解し、思考は真っ白に塗りつぶされていく。
 心はかつての自分をなぞるように圧迫し、迷い込み、グラングランして、恥らいだす。
 そうだ、こんな風に俺は混乱していて……。

 そして、凛があの時―――!

 忘れていた。刹那の夢だと奥深くに仕舞いすぎていたらしい。久方に外の空気を吸ったそれは、最早制御不能のバーサーカー。
 限界を超えた思考は更なる先を求めて基盤を壊し、溢れる光景が満たしたそれは更なる先へ先へ―――

(アーチャー!)

(ヒィ!)

(あ、やっと返事した。何かあったのかと勘ぐっちゃうじゃないの。そりゃあ、かなり頭に血が上ってたみたいだけど。―――あんた、大丈夫?)

 思わず心の中で悲鳴をあげたが、なんとか返事として受け取ってもらえたようだ。

(あ、ああ、どこにも問題はないぞ)

(それならいいけど。なんか、また変な方向に熱くなってない? さっきとは違う感じがするんだけど)

 その言葉に、つい先ほどまで頭に溢れていたそれをまた、認識させられる。
 過去の映像は凛との衝撃的接触を終え、本命の文明の明かりはなく降り注ぐのは空にある希望ではなく月か星か太陽なのかそんな目で見られたら俺はそんな無理だまて彼女は×△□○☆!!!!!?

(う、あ……)

(何? アーチャー。今変な音がしなかった?)

(い、いや、何も聞こえないぞ。凛の思い過ごしじゃないか?)

 まさか、爆発する音まで聞き取られるとは……。サーヴァントのつながりがアレなのか、それとも凛がすごいからなのか。
 しかし、脳裏に浮かぶ光景は加速し、刹那に全てを終えた。ここまでくれば、コワイモノハナイ。
 後は落ち着くだけだ。

(―――まあいいわ。それで、アインツベルンの城の場所。特定は出来たかしら?)

(―――――――――あ)

 ―――忘れていた。

(アーチャー? ねえ、どうしたの?)

(私の足であと10分、凛の足なら走って一時間といった程度の場所には来ている)

 たしか、ここから北西に15キロ程度だったはずだ。こんな所で油を売っている場合ではなかった。

(そう、場所がわかっているのならそれでいいわ。戻ってきていいわよ。あんまり近づきすぎて下手打つわけにもいかないし。場所、わかるわよね)

(承知した。なに、君の位置なら把握している。すぐに向かおう)

 凛達は、城の方向から大きくずれることなく、おそらくは正しい道を選んでいる。

(ええ、まってるわ)

 念話が終わり、思わず大きく空気を吐き出した。あまり良好な精神状態ではない。
 凛のおかげで、振り切った針は、なだらかに戻ったから良いものの。
 背中を預けた場所は透明の壁だった。
 たしか、あの時はここから星が見えたのだったか。夜明けの空を見たのか……。

 それは一瞬だったのか、それとも一分くらいは見上げていたのか。
 俺は窓から離れると、凛たちの元へと戻るために廃墟を後にした。


 実際には場所は確認していない。自分の射程の限界、目標は巨大であるためそこまで近づく必要はなかった。
 そして、ある程度の獣道を把握すると、俺はここに来たとき以上に速度を上げる。
 少なくない数、木を倒してしまったかもしれない……。

 いくつか、後ろ暗い事ができてしまったが、俺は何の問題もないと何食わぬ顔で凛と衛宮士郎の前に降り立った。

「アーチャー、減点ね。貴女の足ならもう少し速く戻れたんじゃないかしら?」

 視線に「どこかで油売ってきたわけじゃないでしょうね」という念がこれでもかというくらいに籠められている。
 勘が鋭い……。
 衛宮士郎はそんなこと全然これっぽっちも考えていないというのに。

「まあ、まてよ遠坂。これだけ広いんだし。アーチャーだって大変だったはずだろ? そのくらいいいじゃないか」

「む、まあ、今回は衛宮君に免じて、追求はしないけど」

 次はないわよ、と。衛宮士郎の言葉は、正直助かったが、なんとも複雑な気持ちだ。嬉しくない。

「助かる。確かに私の身体は叩かれたら埃がいくらでもでるからな。出来ればそっとしてもらえるとありがたい。ここからは私が案内しよう」

 この場合、凛に言ってないのはほとんど核心部分だから、実は何の問題もない。
 まあ、先のような醜態は、少し婉曲的に伝えればいいだろう。訊かれた際は。
 しかし、俺は凛の嗅覚を甘く見ていたようだ。

「へぇ、面白そうじゃない。まだ、目的地は遠いんだし。話してみたらどうかしら? アーチャー」

 言える程度の事ならさっさと白状しなさい、と。俺を先頭にしたまま、歩む速さは変わらぬまま要求する。
 といっても、ほとんど横一列だ。少し顔を横にするだけで二人の表情は伺える。

「む……」

 衛宮士郎は目をぱちくりさせて、先のような援護は期待できそうもない。
 凛の顔は好奇に満ち満ちて……。

「どうしたの? やっぱり、言えないのかしら?」

 観念するしかないのか。

「―――はあ、仕方ない。お望みとあらば応えねばなるまい。といっても、あまり面白い話ではないぞ」

「へぇ、どんな話かしら?」

「恋の話だ」

「へ?」

「そうだな。あれは、ここと同じような深い森だったか。すでに日は落ちてな。まあなんだ。そのような時間に森にいたのだ。当然女の方は満足に歩けなくてな。当然男がその女を抱えたわけだが。まあ、その森もここに負けず劣らず広大な奴でな。結局、森の中ほどにある廃屋で……」

「ちょ、ちょっとまったぁアーチャー」

「なんだ、凛?」

「そういうのはちょっと、その、ごめん。私が悪かったから。もうちょっと、軽い話はないかしら」

 ふう。何とか都合のいい方向へと持っていけたようだ。正直に婉曲的に伝えるにしても、即興では思いつかん。

「ふむ、軽い話か。ならばちょうど良い奴がある。今から向かう場所も城だ。ある城での話を」

 そう言って一度言葉を切る。なにぶん、人に話せるような笑い話などたいしてない。

「それは、まだ私が未熟も未熟。そこにいる男と変わらぬ程度の実力しかなかった時のことだ。自分の現状というものを理解していなかった私は、その時、敵対していた者に拉致されてしまってな。ある城に監禁されてしまったわけだ」

「アーチャーにもそんな時代はある、か」

「当然だ。私自身の才能はセイバーとは比べるべくもない。凡人だからな。失敗などそれこそ数えきれんさ」

 そこには厳然たる事実のみが存在する。悔やみ嘆いた過去だが、それを否定するわけにはいかない。

「それで、続きは?」

 凛に促され、脱線しそうになった軌道を修正する。

「勿論私は無力化された後、さらに拘束されたわけだが。何とかそれを解いてね。一応の自由は得たわけだ。しかし、私の能力値を見ればわかるだろう? 何分運はあまり良くなくてね。すぐさま、誰かの足音が聞こえてきたわけだ。当然、私は見回りの類と思った。」

「確かに、最低ラインね……」

 誰と比べてくれたものやら。

「さて、時間のない私は選択を迫られることになったわけだ。ひとつは先手を打ち無力化すること。もうひとつは拘束が解けていることを隠して機会を伺うこと。そして最後は……」

「つまり、それを選んだってわけね」

「うむ。私が拘束されていた場所は、拉致した人物の私室、所謂寝室という奴でね。寝台があったわけだ。もともと未熟な上に拘束された際、厄介な事をされてね。本調子ではなかった。戦っても勝ち目はない。ならば身を隠すのが優先されると」

「ふんふん」

「―――ベッドに飛び込み、シーツをかぶって身を隠したわけだ」

「「は?」」

 二人の声が調和する。不協和音ではない。なんとも嫌な調和だが。

「その言葉の意味はなんだ? いや、いい。私にも十分判っている」

「理解しているならいいけど。アーチャー、それ本気だったの?」

「残念ながら。何せ私はあの時心の中で、「フ、ふわふわで完璧だ。完全な密室トリックを前に来訪者は声もなく立ち尽くし」などと考えていたのだからな。忌々しい」

「ちょ、なんでこっちを睨むんだよアーチャー。俺は関係ないじゃないか」

「それで、結局どうなったのよ」

「ああ、すまない。察しの通り、すぐに見つかった。その時の言葉も覚えている。「何を遊んでいるのですか?」だ。あの声は心底呆れた声だった。思い出すだけでそれなりに堪えるよ。ああ、確か「それで、隠れているつもりですか?」とも訊かれた気がするな。ベッドからもそもそと出た私は視線で訊いたわけだ。「甘かっただろうか?」とな」

「そりゃあ、ねえ?」

 凛が衛宮士郎と顔を見合わせる。

「返ってきた言葉はね、「大甘です。私が敵ならば一片の情けもかけずに両断する」と。まあ、拉致された私を心配して助けに来てくれたのに、あんな体たらくでは仕方がないことではあったな」

「あれ? ちょっとまって。その見回りって、アーチャーを救出しに来た人だったわけ?」

「その通りだ。まったく、ほいほいと出歩けるような状態ではなかったというのに。そして、その人物こそ私の……」

 む? 今、俺は何を口走ろうとした?

「どうしたのよ、アーチャー? 口ごもって」

「いや、なんでもない」

 ごまかす言葉はひとつとして漏れず、できたのは先とは違う少し固い声だけ。

「ふ〜ん。成る程。つまりこの話も。結局はそこに落ち着くわけね。なんだ、ただの惚気話じゃない。ああ、乙女のピンチに颯爽と現れる王子様ってね。随分と間の抜けたお姫様みたいだけど」

 いや、彼女は王様だから王子様ではなく―――いや、そうではない!

「何! 待て、凛。それは聞き捨てならない。訂正を要求するぞ」

 惚気話!? 乙女!? お姫様ぁ!?

「ねぇ、衛宮君。貴方もそう思ったでしょ?」

「まあ、言われてみればそうかな。その、助けてくれた人ってのも、元気だったわけじゃないんだろ。だったら、十分にそうじゃないか」

 まさか、衛宮士郎にまで……。ぬ、ぬぬぬぬ―――

「ぬ、これで話は終わりだ。以後質問は受け付けん。さっさと行くぞたわけが」

「あらあら、照れちゃって。話したのは自分からなんだから。諦めるのね」

 そういった凛は俺を追い越し、跳ねるように先へと進んでいく。
 これから、凛にからかわれるのだろうか。この森の道で。
 アインツベルンの城までの距離、そして歩む速さ。それを考えると、正直頭が痛い……。


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