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 結局笑い続ける私を止めることは無理だと思ったのか、セイバーは私が満足するまで放っておいてくれた。
 それが嬉しいことなのかは、よくわからなかったが、その時の私が笑い続けたのは確かである。
 少しだけ、後悔しているかもしれない。その、恥ずかしさで……。



 二月十一日


 さすがに朝まで笑い続けたわけではない。
 それでも、自分の行動が少し恥ずかしかった私は、セイバーの横で小さくなっていたわけである。
 見張りというにはあまりにお粗末ではあるが、元々見張りなどただの建て前ではある。
 霊体化されれば、いかな鷹の目でもサーヴァントを捉えることはできない。そうなると、接近を知るのはせいぜい数百メートル程度のことだ。
 その程度の距離であれば、サーヴァントなら容易く詰めることができる。
 私の射程距離ではあるものの、それは油断をすると弓が仇となる距離でもあった。もちろん、油断せずとも私の弓を凌ぐ可能性は高い。
 無駄とは言わない。見張りをしないとも言わない。
 それでも、夜に襲撃があるとするならば、私の目では捉えられないだろう。そんな確信はあった。そして、この見張りそのものがバーサーカー単体に対してのものだったのだという勝手な考えも。
 だから、この時間は私の自己満足だ。そして重大な裏切りだ。
 見張りという名を借りて、セイバーとの時間を楽しんでいるのだから。
ただ……ある種、嫉妬を抱いていた腹いせでもあった。
 たしかに馬鹿らしいことから不安はどこかへと消えてしまってはいたが、衛宮士郎に対してのある感情は消えてはいない。
 それは常に感じるものとは違い、徐々に大きくなっていた感情だったが。
 とにかく、それを忘れるための時間でもあるわけで。 
 そして、お粗末な見張りの名を借りた二人の時間を謳歌をするのは夜だけだ。だけだったはずなのだが……。
 
「ふう」

 自分の湯飲みを置いたセイバーが小さくため息を吐く。
 私たちは空が薄暗くなったくらいから、屋敷に戻っていた。
 時間は八時を過ぎたところ。朝ではあるものの、早朝とはもう言えない時間だろうか。
 だが、居間には私とセイバーしかいない。
 空になったセイバーの湯飲みに私はお茶を注ぐ。
 その間、誰かがお茶を飲む音がするわけでもない。ただ、湯飲みに注がれるお茶の音がするだけだ。

 つまり、誰も起きてこないわけである。
 つまり、つまりだ。私たちはこの時間になっても。二人きりなのである。決して……残念なことではないのだが。
 気恥ずかしさ、というのはどうしようもなく感じてしまう。否応がなしに。
 ただ、意識してしまうと言うことは。以外と言うべきか、自分を見失う代わりに相手をよく見ているのかもしれない。
 こんなことを考えていることそれ自体が、自分の混乱振りを表しているのかもしれないのだが。

「そんなに気になるのなら起こしに言ったらどうかね?」

 先ほどから何度目かわからぬ溜息を吐いたセイバーにたまらず私は言葉をかけた。
 本当はかけたくなかったのだが、さすがに落ち着かないセイバーを見ているのも忍びなかったのである。
 本当にかけたくなかったのだが。
 本音は、その、気恥ずかしさに耐えられなかったわけだけれども。

「しかし……」

「何時までも土蔵で寝かせておくわけにもいくまい。奴の頑丈さは折り紙つきだが、それでも人間であることに変わりないのだからな」

 ともすれば、口が回らぬほどに早くなってしまう口調をどうにか抑えながらセイバーの言葉を封じる。
 セイバーからさりげなく視線を外し、心を落ち着ける。外した方向――土蔵で眠りこけている衛宮士郎のことでも考えれば、落ち着くだろうか。  ある種の馬鹿である奴が風邪を引くとも思えんが。
 このままではセイバーがある種の病にかかってしまう。
 それに、もし。もしもだ。奴が風邪を引いてしまったら、それは私も困るわけで。

「そこまで言うのでしたら」

「ああ、ついでに朝食は任せておけ。適当に作っておくさ」

「適当、ですか?」

「――言い直そう。それなりに、作る」

「……それなり?」

「わかったわかった。しっかり作るから」

 降参と両手を挙げると、セイバーの視線が穏やかなものになる。
 
「ふふ。私を甘く見るからです。確かにシロウの事で落ち着かなかったのは確かですけどね」

 どうやら、からかわれていたらしい。だが、そのからかい方は、セイバー。

「ますます、駄目な方向にいってないか? それでは君が食いしん坊であることを否定できなくなるわけだが」

「――アーチャーには負けますから、問題ありません」

 失敗を悟ったのだろう。慌てたそぶりでセイバーは居間を出て行った。

「居たのが私だけでよかったな。セイバー」

 私はそう呟くと、掛けてあったエプロンを身に着ける。
 凛やイリヤが居たら、先のセイバーはそれこそ格好の餌食となってしまっていただろう。
 もっとも、それは諸刃の剣。私自身の動揺も、二人は見逃さなかったかもしれない。
 考えるだけでも、少し背筋が凍る。――これは、触れてはナラヌ。
 私は大きく伸びをして気持ちを切り替えると、片づけを始めるために自分の湯飲みを空にした。

 セイバーが残していった湯飲みを含め、テーブルの上を片付けると私は冷蔵庫の扉を開いた。
 たいした物はないが、セイバーの機嫌を悪くしない程度のものは作れるだろう。
 そう結論付けた私の背後に、いつの間にか世にも恐ろしいものが立っていた。
 
 それは決して死を招くような危機ではない。身体を侵すのではなく、あくまで心を押しつぶす類のものだ。
 それは初めて会うものではない。ただ、常に在るわけでもない。
 ただ、決して慣れぬもの。笑い飛ばせぬもの。怖れを込めて、私は下がる。
 私の背後に立っていたもの。その名を凛と言う。紛れもなく、私のマスターであった。

「な、に? おはよう……。どうした、の?」

 その、据わりに据わっている目が私に向けられる。何かあるのか、と。
 存在を観測したわけではないが、地獄の亡者も真っ青な威容を見せる凛に、私は首を振ることで答える。
 なんでもない、と。それ以外の言葉を告げる余裕などあるはずがない。
 少々、というにはあまりに挙動不審な私の態度であったが、凛は気に留めなかったようだ。
 私が後ろに下がったことで空いた冷蔵庫へと、凛はゆっくりと足を進める。
 その一歩一歩が、普通に感じる時間よりも長く感じた。

 冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップへと注ぐ。そして、それを足取りの遅さからは考えられぬ速度で飲み干す。
 すでに何度も見た光景だ。
 この屋敷に来てから、凛は朝に大抵これを行う。
 まったく、慣れることができない光景である。むしろ慣れたくはない。慣れたくはないし、そもそも見ていたい代物ではないというのに。どうしても私は凛から目を逸らすことはできなかった。
 結局、今でも彼女は私にとっては天敵の類なのだろう。多分、蛇と蛙の関係のような……。

 牛乳を一気に飲み干したことで、頭が冴えてきたのだろう。
 髪は乱れたままだったが、凛の目にはいつもの鋭さが戻ってきていた。

「ふう。生き返った。ん? アーチャー、それ、何なわけ?」

 口についた牛乳のあとを手の甲で拭った凛が、目を軽く見開いている。

「あ? いや、朝食の用意をだな」

 腰が引けていたのを隠すように私は姿勢を正すものの、声に含まれる動揺は隠し切れない。
 そもそもどうして牛乳一杯でこうも一変してしまうのか。
 だが、凛は私のそんな態度には関心がないのか。細く鋭くなった瞳が見ているのは態度ではない、違うどこかのようであった。

「そうじゃなくて……、いや、関係はあるか」

 固まっている私を、私のおそらく首より下を見ながら凛がぶつぶつと呟いている。
 一体なんだと……。
 私の顔にその疑問が現れてしまったのだろう。凛は、大げさに溜息を吐いてみせると、妙に眉を寄せて私に口を開いた。

「その格好は、何、って訊いているの。まさか、気づいてないなんて言わないんでしょう? 言わないわよね」

 ある種、願いすら込められているような凛の言葉だが、生憎と、私にはまったくわからなかった。
 急いで自分の格好を見渡すがまったく何も思い当たらない。
 料理の際エプロンをすることに問題はないはず。たしかに、これは私のではなく、衛宮士郎のものではあるわけだが……。
 
「はあ。その様子じゃ気づいてないみたいね。自覚なし。なんてことかしら。いくら彼でもここまで無頓着じゃ。いや、でも結局推測に過ぎないわけだし。実際は全然。でも……」

 何やらぶつぶつと自分の世界に入ってしまった凛に、私は何もすることができない。
 このまま放っておいて、料理を再開するべきか。
 そう思った私だったが、それを実行に移すことはできなかった。

「ちょっと待った!」

 自分の世界に入っていたくせに、外界の変化にはずいぶんと敏感らしい。
 私はたった一歩歩いただけだというのに、凛は鋭い声で私を制止する。

「何だというのだ、凛。私には君が言う問題など何も感じないのだが」

 さすがに意味のわからぬことで料理を中断されるのはあまり気分の良いものではない。
 私の声には微かな棘が混じっていた。
 だが、凛がその程度で怯むような人間でも、主張を曲げるような人間でもないことも知っていた。
 実際に私の格好には何か問題があるのだろう。
 本当に、私が気がつかぬレベルで。
 そんなことを考えていたためか、凛の眉間に僅かな皺が浮かぶ。あんた、甘いわ……。そんなことを言っているようでもある。

「もう。後悔しても遅いからね。アーチャー、あんた、自分の格好を言ってみなさい。それでわかるから」

「ふむ。エプロンをしているな。料理のためだ。問題などないはずだが」

「そうね。問題ないわ。私だって料理するときエプロンは使うもの。そう、エプロンだけなら問題ないわよ」

 その言葉に違和感を覚える。あまりにもあからさまないい様。エプロンだけ、とは。

「で、あんたの格好。まさかエプロンだけじゃないでしょ。ほかには何も着てないわけ?」

「まさか。どこかの馬鹿ならともかく、きちんと私は服を――」

 それだけで、それだけで十分だった。それだけで、私は凛が何を言いたかったのか、理解してしまった。
 いや、その言い方は少しおかしい。
 そう――やっと、私は気づいたのだ。

「あ、ああ……」

 驚愕の声は思ったよりも小さく、擦れたように鳴っただけだ。
 その私の狼狽を凛は黙って見つめている。
 まさか、まさか。私は――ずっと……。
 
「やっぱり気がついてなかったのね」

 凛の言葉が、死を宣告する死神にさえ思える。ああ、そのまさかだ。まさか――
 ドレスのままで活動していたなんて。
 いや、それだけならまだ良い。まさか自分の格好に気がつかずに、その上からエプロンを着けていたなんて!
 頬が紅潮していくのがわかる。隠すつもりはなかったし、そもそもどうする事もできない。
 どうにもならない戦場での窮地をはるかに上回る混乱が私を襲っていたのだから。

「うあ、いや、その、凛。これ、はだな」

 うまく言葉にできないことに何の疑問も浮かばない。
 むしろこれくらいですんでいることのほうがありがたいくらいだ。

「はいはい。落ち着いて。深呼吸でもしてみたらどう?」

「む、むう。そうだな。すう――はあ」

 凛に言われて大きく息を吸うものの、背中から、腹の底から這い上がってくるような言葉にし難い感覚は消える気配がなかった。
 心臓が大きく鳴っている。
 今まで、気がついていなかったのか? いや、それは否だ。
 少なくとも、土蔵で一回は気がついていた。
 何時からこの格好だったのだ?
 少なくとも、森の廃墟で目を覚ましたときはこの格好だったはずだ。
 戦っているときは?
 ああ、問題ない。あの時は確かに鎧を纏っていた。戦うにふさわしい姿だったはずだ。
 じゃあ、奴に出会ったときは。
 残念。あの時は、すでにこの格好だった。奴の笑いはこれも含まれていたのかもしれない。
 では、では。この土蔵で皆に醜態を晒したときは? 衛宮士郎に――
 解っているだろう? 気づいたのは土蔵だ。なら、それがどういうことなのか――

「あ〜もうっ! だからそこまでだって! 見てる分には面白いけど、度が過ぎるのも考え物よ!」

 加速する思考を凛が押し止める。
 
「とにかく! 私が言いたいことはわかったんでしょ! だったら今するべきこともわかってるでしょ!」

 わかっている。凛が忠告してくれなければ、ずっと私はこの格好でいたのだろう。それがどういうことになるのか――
 着替えなければならない。ならないのだが……。
 意外と衛宮士郎はなんとも思わないのではないだろうか。
 そんなことを思ってしまった。
 まるで、通りもののように。――そう思った。
 胸を焼いていた感情が洗い流されていく。そこに残るのは、一体何なのか。
 そもそも、鈍い男だ。おかしいとさえ思っていないかもしれない。
 そう考えてしまうと、着替えなければならないという気は失われていった。
 それからは瞬く間に様々な補強が行われていった。
 セイバーは元々似たような格好をしているのだから何の問題もないだろう。ほとんど色違いのようなものだ。
 イリヤの前でもずっとこの格好だったのだ。今更何か特別なことを言われることもないだろう。
 そうだ。凛だったからこそ。私にこのような指摘をすることができたのだろう。
 何しろ、私ですら。自分の格好に違和感をまったく持っていなかったのだから。
 ……最後のそれは、あまりにも拙い言い訳ではあったが。それにすがるほど私には胸の奥底から湧き上がる感情があった。

 そう。私は着替えたくない。この格好が良いのではない。好んでいるわけではない。
 ただ、どういうわけか。私は着替えるくらいなら、この格好でいるという恥ずかしさを選ぶ。
 そんな確信があった。

「さっさと着替えてきなさい! そうしないと見てるこっちが恥ずかしい……って。どうしたの? アーチャー?」

「着替えないと、駄目か?」

「は?」

 信じられないと目をむく凛に畳み掛けるように言葉を続ける。

「いや、別にこの格好が気に入っているというわけではないぞ。断じて。それはもう。だがな、セイバーには私が料理を作ると約束したし、今から着替えに行ってしまうと、セイバーが戻ってきたときにがっかりするかもしれないわけだ。つまり、私は着替えにいくわけにも行かないということになる。なるのだ。決して疑ってはいけない。凛。これは大事なことなんだ。セイバーのためにも着替えるわけにはいかない。そりゃあ、この格好は恥ずかしいことこの上ないわけだが」

 できるだけ早口で、凛がすべてを聞き取れないように適当な言葉を吐く。もとより自分自身ですら把握できない言葉だ。何を言っているかなんて重要ではない。ようは、着替えに行かない、という状況に持っていければ良い。
 今必要なのは、凛の気勢を殺ぐだけの勢いだ。
 畳み掛けんとする意志。勝利を掴まんと手を伸ばすことだろう。
 はたして――私の言葉は届いたのか。届かずとも、動かすことは出来たのか。
 頭痛と山葵と家電の操作がいっぺんに起きたような顔をした凛は、私の言葉を片手で制すると、疲れたような声で降参した。

「――わかったわ。まあ、あんたは紛れもないサーヴァントなわけだし。そう考えると格好なんか気にしてもしょうがない、か。もともと鎧の下はそれだったみたいだし」

 実際は少しだけ変わってしまったのだと思うが。それはどうでも良いことだ。
 今は、凛が私がこのままでいることを許したことの方が重要なのである。視線から後悔しても知らないわよ、といった凛の感情が伝わってきているような気がしたが。
 むしろ、着替えることの方が私には危険に感じるのだ。
 この直感は、間違いではあるまい。

 揺ぎ無き瞳で凛の視線を受け止める。私の意志に、凛はついに観念したのか。軽く息を吐くと、後ろ手に手を振りながら台所から出て行った。
 勝手にしろ、ということなのだろう。
 消えていく背中を見送ると、私は微かに力を抜き、朝食の準備に取り掛かった。
 すぐに凛とのやり取りは頭の端に追いやられていった。


 料理が好きか、と問われれば私はどう答えるだろうか。
 少なくとも今までは――そう、喚ばれるまでは好きとは言えない様な気がしていたのだが、現在の心境を考えるとそれも無理なのかもしれない。つまり、否定は無理である、と。
 そう判断する他ない状況でもあった。
 料理に限らないことではあるが、家事全般を行うとき私はどことなく楽しんでいるような気がする。
 そう、素直に思えるくらい、充実な時間を私に与えていた。
 たいしたものはつくっていない。でも、それでも私には十分だった。
 たった、一日、家事を行わなかっただけでそう思ったわけだから……実のところ。と思ったわけである。

 まあ、そんなことを思う余裕など、せいぜい料理を居間に運ぶまでのことだったが。
 没頭していたからか、居間に皆がそろっていることに気がついていなかったのである。もしくは気づいてはいたが、頭から締め出していた。満足したところで、やっと気づいたわけだ。驚愕の度合いが満足感に比例してしまったことは言うまでもない。
 結果だけを考えれば、皆この屋敷で暮らす人間だ。何事もなかったわけだから問題ないが、これが敵であった場合言い訳できない。
 殺気がなかったからとも、セイバー以外のサーヴァントを感じなかった、と、言い訳をすることはいくらでもできるが。誰の気配にも気づくことがなかったという結果、それがすべてだ。
 誰であろうと、私が気がつかなかったことに変わりはない。
 ただ、私はそんな真面目なことをいつまでも考えていられるほど冷静ではいられなかった。いや、気づくのが遅れたからこそ、いっそうそれが強くなってしまったのかもしれない。
 何しろ、自分の格好のおかしさ、という事実が料理の熱から冷めた私に容赦なく襲い掛かっていたからだ。それの前には、先の失態など敵にもならない。
 凛の前では強がって見せたが、実際に皆が私の格好に対してどんな反応をするのか予測がつかない。
 料理を運んで、残った僅かな洗い物をする間、私の心は平静とは言い難いものだった。

 だが、時間は待ってくれない。洗うものはすぐに無くなってしまったし、それ以外にも汚れは見えない。
 探せばあるのだろうが、それを今してしまうのはあまりに不自然すぎる。
 ゆえに、私が取れる選択肢は、居間に行くことだけだった。
 できるだけ自然に、皆の元へと向かいながらエプロンを外す。私を見ているのは凛、だけだろうか。下を向いている私にはその判断がつかない。
 そして、エプロンを外した私は自分の席に着いた。
 何もない。
 何もない。
 何もなかった。
 何も言葉をかけられない。誰も私に声をかけない。それが危機を乗り切った証であるととった私は、小さく、だが深く息を吐いた。
 そして、まだ自分が下を向いていたことに気がつくと、ゆっくりと顔を上げる。

「っつ――!?」

 そこで不覚にも私は、小さな叫び声をあげてしまった。
 私以外のテーブルを囲んでいた全員が私を見ていたからだ。

「な、なんだ? みんな」

 思わず、その意図を問う。上ずってしまった声はこの際仕方ない。

「何って、アーチャーが座るのを待ってただけだぞ。せっかく作ってくれたのに、一人だけ蚊帳の外ってわけにもいかないだろ」

 私の問いにすぐさま答えたのは衛宮士郎だ。
 当然のことだ、と言わんばかりの意思が、即答とも言える形を作り出したのだろう。力強い口調は皆で食べる、と言うことを疑っていないようにも思える。

「――そうだな。一緒に食べることができるなら、それが良いのだろう」

 何を守ろうとするのか。今は――それは自分の周りだけのものだけだとしても。
 それが……聖杯戦争の中悠長にそのような日常を残したことが、結果としてセイバーを奪われた原因であったとしても。
 衛宮士郎は、まだ……。考えを変えないだろう。先へ進めば進むほど、遠き場所へと手を伸ばすのだろう。
 そして、私も今は――

「ああ、藤ねえも桜もいないけどさ」
 
 私の思考を乱したのは衛宮士郎の言葉だ。そこには微かな悔恨が感じられた。それは先の私の考えが勘違いであることを示している。戦いになれば、日常は否応なしに壊されていく。聖杯戦争において、衛宮士郎が守れるものはあまりに少ない。
 思わぬ声の暗さに微かに場が沈んだが、イリヤにはまったく関係なかった。

「ねえねえ。早くしないと料理が冷たくなっちゃうよ。私、アーチャーの料理食べるの初めてなんだから」

 薄い頬を膨らませながら場を和ませる。
 
「そうね。食事の時間なんだから、あんまり暗いのは勘弁してほしいわ。衛宮くんもアーチャーでも見て元気出しなさい」

「は? ああ、うん」

 凛の最後の言葉の意図がわからなかったのだろう。微かに衛宮士郎は首を傾げたが、素直にまた私の方を見た。
 凛の意図は私にはわかる。私のドレスに気づかせるのが目的なのだろう。
 せっかく、皆の視線が外れたと言うのに――
 ついでに言えば、少ししつこい……。

「いや、やっぱり、意味がわからない。何で俺はアーチャーを見たら元気が出るんだ?」

「そりゃあ、ねえ。衛宮君、アーチャー好きなんでしょ?」

「そりゃあ、まあ。嫌いじゃないけどさ。だからって見ただけで元気が出るってのは少し違わないか?」

 私が衛宮士郎を見ても元気はでないな。好きではないから当然だろう。
 その点、セイバーを見ると、確かに、こう、なんとなしに何かが沸いてくるような気はするが。
 とにかく、衛宮士郎の注意を私からそらさなければならない。

「――セイバーの方が良いのだろう?」

 搾り出したように何とか言うことが出来たが、少し間違ったニュアンスになってしまったような気がした。
 凛の言葉に微塵も動揺することのなかった衛宮士郎に、何か思うところがあったのかもしれない。
 それとも、奴の言葉が気に入らなかったのか。
 ――どちらでもよくはなかったが、私の言葉が棘を含んでいたことは紛れもない事実である。

「あ、いや。アーチャー。別に俺は、そんなつもりじゃ」

 何故か狼狽する衛宮士郎に対して冷たい目を向ける。
 元々は自分自身だ。確かに消えてしまった部分がいくらかあるとはいえ、こいつがセイバーに対して抱いた感情ならわかる。
 それが、どんな感情であろうとも、あの夜の光景を忘れはしないだろう。
 睨み続けていると、だんだんと衛宮士郎の表情が変わっていく。それを見ているのは中々に、良い。
 ただ、そんな時間は長くは続かなかった。

「もう! いつまで遊んでるの! いい加減にしないと、私怒るからね!」

 ついに癇癪を起こしてしまったのか、イリヤが立ち上がり万歳するように両手を点に掲げて声を張り上げた。
 それは怖れを抱かせるような種類のものではなかったが、私は毒気を抜かれたような気持ちになった。
 気まずい気持ちを隠すようにして衛宮士郎から顔を逸らす。
 そもそも、注意を逸らそうとして私が見つめ続けるというのもおかしい。

「そうだな。少し遅いが、朝食とするか」
 
 私の声に凛や衛宮士郎は頷き、それぞれ箸を取る。

「へっへぇ。それじゃ、私の席はここだから」

 そう言ったイリヤは満面の笑みを浮かべながら私のすぐ傍にちょこんと座った。
 その態度の豹変振りに、私は微かな笑みを浮かべると、皆と同じように箸を手に取った。
 
 それからは元気に食事をするイリヤに押されっぱなしではあったけれども、随分と楽しげな朝食となった。
 ただ、ずっと黙ったままで食事を続けるセイバーが、少しだけ私は気になっていた。
 


 朝食の後片付けを終えて居間に戻ると、残っているのは随分と不機嫌そうな凛一人であった。
 昨日……昨夜は結局たいした追求もなく、またこれからの対策も練るのかと思っていたのだが。
 すんなりと片付けに入れるとは思っていなかったのだが、拍子抜けするくらい簡単に抜け出すことが出来た。
 そして、凛の不機嫌さはそれとはまったく関係ない。
 不機嫌な顔を隠そうともせず、テーブルに肘をついているわけだが、その理由は察することが出来た。つまりは――

「なんで、何も言わないのかしら……」

 私の格好に対しての皆の反応が気に入らなかったのである。

 「気にならなかったのだろうよ」などと言えたら良かったのだろうが、そこまで私の心臓は丈夫ではない。
 ガラスで出来ている、とは伊達では言わない。
 しかし、この頃は身体は剣で、とは言えぬ体たらくのようだ……。

「アーチャー、顔に出てるわよ」

 凛の指摘に対して神速で顔を覆う。あくまで無表情であるつもりで。

「だから、隠せてないってば」

 呆れた口調で止めを刺す凛に私は溜息を吐くと、開き直ることにした。
 
「そうか。なら、もう隠すまい」

 表情の変化を止めることが出来ないと言うのならば、最早それに括るまい。諦めるつもりはないが、今は不可能なのだろう。
 開き直り、というよりはやけっぱちというべきか。無駄であるなら、そこに心を注ぐ必要はないのだと。そう念じながらも一点だけは譲らないと同時に決めた。。
 せめてその所作だけでも普段通りであれと誓いながら凛に向き直る。

「ぷっ、何よそれ」

「そんなに、おかしいか?」

「ええ。最初のころより、もっとひどい。これじゃ衛宮君の言葉じゃ足りないくらいよ」

「……どの言葉だ」

 凛の言う奴の言葉がどれなのかわからなかった私は、憮然とした気持ちを抑えられぬまま問いを発した。
 気に食わない言葉は、結構な数言われたような気がするが、凛の言うそれがどれなのか判別がつかないのだ。
笑みを深くした凛は、いたずらを仕掛ける子どもみたいな顔で人差し指を自分の唇に当てた。

「ふふふ。教えない。その方が面白そうだものね。それより、行くわよ! アーチャー」

「――どこへ行こうというのだ?」

「道場よ、道場。まだ、認めてないんだから。私は」

 それだけで凛が何をしたいのが合点がいった。
 要するに、三度目の正直。最後の決着、というわけだ。私の格好に対しての……。

「ほら、行くわよ」

 そして、凛の手を振りほどく気力は私にはないのである。

 いくら衛宮の屋敷が、一般的な住宅と比べれば広大な敷地を有しているとはいえ、所詮は常識の範囲内である。
 少なくとも凛の洋館や、桜の家よりは小さい。近所迷惑にならぬよう、大河に注意を払う程度には。
 故に、道場への距離もそうたいしたものではないのである。
 そして、その道場への道すがら、聞こえるはずのものが聞こえなかった。
 それで、初めて気がついたのだ。

「セイバーが、いないな」

 小さく呟く。少なくとも私が感じ取れる範囲内に彼女はいない。
 それは聞こえてくるはずだった彼女の裂帛の気合が聞こえないことからも明らかである。

「居ないって、衛宮君を置いてどっか行っちゃったわけ?」

 凛が少なくない驚きを見せる。それも当然のことだろう。セイバーがマスターをおいて単独行動をするような短慮なサーヴァントではないのを凛は知っている。
 セイバーはサーヴァントという存在を正に体現するかのように、奴を、衛宮士郎を護らんとしていた。
 その彼女が、私が居るとはいえ自分のマスターを置いて出かけるなど、私としてもいささか信じ難いところはある。
 かつて、置いて行かれた経験はあるのだけれども……。

「少なくとも小僧は道場に居るな。二人で出かけた、というわけではないらしい」

 その事実に少しだけほっとしながらも、疑念は消えない。
 一度契約さえ奪われるといった不覚を演じながらも、何故、セイバーはマスターである奴の側を離れたのか。
 ――まて。何故、二人で出かけていないことに私はほっとしているのだ?
 そんな疑念が頭に浮かびかけたが、それを凛の声が吹き散らした。
 
「そう。ま、いいか。別にセイバーがいなくたって本命はいるんだし」

 だが、凛は私ほどに驚きを感じてはいなかったらしい。
 そもそも、先の私の凛に対する判断が間違いであった。そう思えるほどあっけらかんとしている。というか、残念がってるのは、なんというか。

「私の、考えすぎなのか……?」

「ん? 何か言った?」

「いや……何も」

 どう考えても、凛の驚きが聖杯戦争の最中、マスターを置いていったことに対するものではないことを理解した私は、疲れた声で否定するしかなかった。

「ま、いいじゃない。確かに不注意だとは思うけど。それだけ信頼されてるってことだと思うし。もちろん貴女を一番彼女は信頼してるんだと思うわよ。それこそマスターである衛宮君よりも」
 
 その凛の言葉に、私は勢い良く首を回転させてしまう。

「だから言ったじゃない、アーチャー。あんた、顔に全部出てるって」

 ニシシ。と珍しい笑いを浮かべる凛に私は絶句するのみだ。

「ま、楽しくしようじゃない。もう、そんな時間は少ししか残ってないんだし」

 それがどんな感情を元に発せられたのか。凛は道場の戸に手を掛けながら、随分と真剣な口調で言葉を発した。

 道場にいたのは、予想と違わず衛宮士郎とイリヤの二人だけだった。
 衛宮士郎はいつものようにセイバーと竹刀を合わせてはいなかったが、その手には確かに竹刀が握られていた。
 一人で素振りをしていたようだが、その姿はどこか違和感を感じさせる。
 そして、その違和感が何なのか、私が気づくのにたいした時間はかからなかった。
 
 奴が見せるその剣は、まさしく私の――私がこの体になる前の。つまりは、かの紅い騎士が見せるそれと同じものだったのだ。
 衛宮士郎にとって最適な剣。とは、言い過ぎかもしれないが、限りなくそれに近づけたのではないかと納得もしていた。
 この体では最早かなわぬ技だ。
 それを、未熟な身であるはずの衛宮士郎が行っている。
 それは完璧なものではない。そもそも、私とて十年の歳月を掛けながら完成には届いていない。完成どころかあの男にすら。
 だが、それでも。それでも私が今の衛宮士郎が見せる剣にたどり着いたのは、聖杯戦争より随分と後だった。
 何を間違っても、聖杯戦争の只中に、これだけの剣技を身に着けたことはない。剣に振るわれたことはあったとしても、だ。
そも――技術だけであれば、私と変わらないのではないか。
 次々と湧き上がる殺意にも似た感情を無理やり押し殺しながら、視線を凛に戻す。
 私の視線に気がついてもいない凛は、同じく私の視線に気づいていない二人へと声を張り上げた。

「ねえ、ちょっと! ちょっといいかしら?」

 それは張り上げた、と表現する必要がなかったくらいの声量だったのかもしれない。
 ただ、澄んだ空気に満ちた道場に思いのほか響いただけだ。私の邪念を吹き払う程度には。
 それは私にとっては随分と助かったことだったが、二人にしてみれば迷惑だったのかもしれない。

「何よ。リン。何か用?」

 目を細めながらイリヤが凛に目いっぱい低くした――それでも高いわけだが。不満げな声を掛ける。
 それを歯牙にもかけず凛は二人――イリヤと衛宮士郎へと近づいていく。
 そして、衛宮士郎が持つ竹刀の間合いのぎりぎり外。そのくらいの距離で足を止め、両手を腰に当てた。
 
「訊きたいことがあるのよ。二人に」

 それは決して人にものを尋ねるに相応しい態度ではなかったが、ここまではっきりとされると清々しいものかもしれない。
 第三者が見るなら、であるが。

「貴方達二人とも。アーチャーのこの格好見て、なんとも思わないの?」

 なんとも直球で、かつあんまりな言葉である。
 困ったような顔をした衛宮士郎は、俺の方へ視線を一瞬向け、すぐさま逸らして凛に答えた。
 不愉快な気分になるのはこの際仕方がない。奴の言葉の方が重要である。

「なんとも思わないって……。そりゃあ、思わないことはないけど」

「でしょう。で、何を思ってるわけ? 衛宮君は」

 凛の背中が期待を表現している。
 私のことを分かりやすいとは言うが、凛も中々楽しいものだとは思う。
 そして、私は衛宮士郎の表情から、すでに勝利を確信していた。それ故の余裕だったのかもしれない。

「いや、その、綺麗だなぁ、と」

「それだけ? 他には?」

 凛の背中が萎んでいくような錯覚さえ覚える。
 期待の反動が大きいのだろう。油断したな、凛。

「いや、特に。それ以外はなんとも」

「ふふん。なるほどね。リンはアーチャーの格好が気になるってこと」

 余裕たっぷりのイリヤに対して、凛の声はすでにやけっぱちですらある。
 初めから狙いを小僧に絞っていたのかもしれない。

「何がおかしいのよ。イリヤスフィール」

「だって。アーチャーはドレスを着ているだけなのよ。おかしい所なんてないんじゃないかしら?」

「そりゃあ、アーチャーは英霊だし。女の英雄なんていったらお姫様だっておかしくないかもしれないけど。だからといって、この場所で、この格好は! 不自然だと思わないの?」

「別に。おかしいとは思わないけど」

 口の端を歪めて、両手を腰に当てるといった自信満々な格好でイリヤは凛に答えた。

「そんなこと気にするなんて、リンは少しおかしいんじゃないかしら?」

 続けられた言葉に凛は二の句を告げられない。
 その姿にますます機嫌をよくしたイリヤであったが、微かな別の感情もその顔に表れていた。
 何故凛がそんなにムキになるのかわからない。そんな顔をしているのだ。
 それは、イリヤが正しい日本の知識を有していないからだろう。
 誰が教えたのかは知らないが、イリヤの知識は随分とおかしい。

「ああ。そっか。遠坂はアーチャーがドレスだから気になってるのか」

 やっとわかった。とでも言うようにポンと手のひらに拳を落とした衛宮士郎に、凛はがっくりと肩を落とす。
 もはや撃沈寸前の様相だ。勝機はあるまい……。
 そんなことを考える程度には私には余裕があった。 
 そして、もう大勢が決まってしまった以上は、私はこちらのほうを優先したい。

「ところで、衛宮士郎。セイバーはどうしたのだ?」

 凛が絶句している隙に、私は衛宮士郎に問いを投げる。何故、ここにセイバーがいないのか。

「ああ、それは……」

「じゃ、じゃあ今はどうなのよ! 衛宮君! アーチャーの格好。これは許せるわけ?」

 そして、私の問いに答えようとした衛宮士郎を、奇跡的に蘇生した凛が遮った。
 ここまでくると、凛の意図がわからなくなってくる。凛はどういった反応がほしいのだろうか。
 遮るだけでなく、凛は休むことなく衛宮士郎を追求し続ける。凛は何を望んでいるのか。
 セイバーに関する問いを投げておきながら、自分自身が簡単に脱線してしまっていた。
 
「セイバーなら、買い物に言ったわよ」

 そして、私をもとの道に戻したのは、いつの間にか私の近くに寄ってきていたイリヤだった。

「買い物に?」

「何か思うところがあったんじゃない?」

 意味深なことを言うイリヤからは、先ほどの子ども染みた雰囲気が消えていた。

「そうか」

 イリヤの言葉はおそらく、真実をついているのではないか。そんな風に私には思えた。
 セイバーが何を思い悩んでいるのか、私にはわからない。
 ただ、自分のマスターをおいて出かけるくらいなのだから、その重さだけは察することが出来る。
 そして、置いて外に行った裏に、私への、私たちへの信頼があると、思いたかった。

「それで、アーチャーはずっとその格好なの?」

 私を下方から伺い見るように見つめてくるイリヤに私は苦笑する。
 イリヤの言葉は、ついに凛が膝をついたゆえのものだったからだ。
 結局、最後まで誰にも同意を得られることはなかった。むしろ私だけが、凛の考えに納得した部分がある。それは私としてはある種驚きでもあったが、結果は結果だ。
 そして、私はそれを歓迎するのだ。
 もちろん、この格好が好ましいとはとても思えない。だからといって、ずっと鎧を装着しているわけにもいかない。
 未だ理由がわからぬ霊体化できぬこの身が恨めしいことこの上ないが、出来ぬことを考えても益はない。せめて奴程度の装備だったなら、と思わずにはいられないことも事実だったが。
 そして、私は何故か、着替えるよりはこの格好でいることを望ましいと考えている。
 それはただの直感でしかなかったが、もとよりこの格好での経験がない身としてはそれに従うほうが賢明なのではないか。そう思ってさえいた。

「なら、私はずっと着替えずともこの姿で……」

 反対意見もなく、凛も撃沈された今、私を止めるものはないと思っていたのに――。

「それはいけない! アーチャー、それだけはやめていただけませんか」

 そんな甘い希望は、あまりに簡単に両手から零れ落ちてしまった。
 何しろ、最強最後の難関が現れてしまったのだから。 
 唯一最後とも思えたチャンスを潰したのは、いつのまにか帰ってきていたセイバーの言葉だった。
 本当に油断していたのは、凛ではなく私だったのである。


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